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「浄化」【エッセイ】八〇〇字

 北海道・新十津川に、両親の墓を守る、二つ違いの弟が住む。その弟夫婦に、五年目にして、一人っ子となる女の子が誕生した。三年後、一週間帰省し、姪との時間を楽しみ、帰京の千歳空港でのこと。時間になり出発ロビー入ると、姪が急に泣き始めた。つられて、涙が止まらなくなった。そばを歩いていたスチュワーデスに、笑われてしまったことを思い出す。八五年。連続ドラマ『北の国から』が終わり、スペシャルを放映していたころだ。
 小さいころから、泣き虫だった。
 自転車を練習していたとき、転倒して泣いて戻ると、父の平手が飛ぶ。ケンカし、泣いて帰宅すると、また平手が。「負けて、ピーピー泣いてくるな」というわけだ。すぐさま家を出て、間もなく勇んで戻って、言った。「〇ちゃんに勝ったよ。逃げて行ったよ」と。(相手にむかって石をぶつけた、のだけど)。
 何をするにもよく泣き、よく殴られた。『北の国から』の舞台、富良野・麓郷でのことだ。純や蛍のように、ピーピー泣いていた。だけど、スパルタ教育のおかげか、しだいに泣かなくなった。少なくても、父の前では。
 反動か、大人になってからは、涙もろい。五〇歳で逝った母を想うとき、大学三年までの恋人に振られたときも。大泣きする男になってしまった。特に『北の国から』が始まってからは、人目をはばからず、よく泣く。
 放映終了後も、感動シーンを思い出すだけで、涙がこぼれる。声を出して泣く。有名な「汚れた一万円札」や、「ラーメン屋で、店員に泣きながら訴える五郎」のシーンなんかは、いま書きながらでも、涙がこぼれそうだ。
 最近、弟が午前様で、自宅前の路上で倒れて頭を打ち、緊急手術することに。姪からライン連絡を受け、涙が止まらなかった。なので、電話はできないと送ると、「がんばって」スタンプが返ってきた。あの姪から、である。
 アリストテレス『詩学』曰く。「悲劇を観ながら涙を流すのは、浄化なり」、と。

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