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きっかけ【エッセイ】八〇〇字

 朝日カルチャーセンター通信教育講座の最終課題、「きっかけ」。人生どうころぶか分からないもの。いろいろなターニングポイントがありました。
 さて、本日、ワクチン接種一回目。行ってきます!
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 人生、何が幸いするか分からないものだ。
 三十路から、翻訳をテーマにする会社にいた。「バベルの塔」の崩壊後に多言語になり、翻訳が必要になったとの故事に因む、社名の。
 20代は、三つの職を転々とした後、失業保険をもらいながら、訓練校の簿記1年コースに入った。給付期間は半年だが、通学中は延長される。卒業しても、求職中は、最大、半年受給できる。在学中、簿記2級を、後に、税理士試験に挑戦し、簿記論を取得。給付期限真際に入校したので、計2年。ちゃっかり元を取り、さらに資格まで取得。後に、役立つことに。
 30歳を超え、年貢の納めどきと腹を括り、17年勤続することになる。翻訳教育・出版・翻訳受注の事業を展開していた。先端をいっている感じがして、応募。英語は苦手だったので、資格を活かし経理として(実際は、野球が得意なことが、評価されたようだが・・・)。
 半年後。上司とそりが合わず、辞表を出したのだが、広報が合っているとして、異動。その後、水を得た魚のごとく働くことになる。
 仕事に慣れたころ。上司が、上にいい顔してばかり(いまいう「忖度」)なことに、不満を感じるようになっていった。その地位になったら、言いづらいことでも、ズケズケと言ってやる、部下のために、と思っていた。
 その後、成果が評価され、昇進。が、ヒラ時代の「初心」は、影を潜め、「まずは、出世。役員になったら」に、変わっていった。
 経営会議に参加する立場になった、ある日。営業戦略の大きな変更を余儀なくされる。広告費の大幅削減の方針が出されたのだ。変更すれば縮小再生産の状況を招くと、強く反対した。社長に初めて、異を唱えたのだった。
 案の定、部下1人の閑職に就くことになる。が、仕事は、1年後に興す会社のテーマ「インターネット」の研究。25年前のこと。
 会社は、売上が最高時の10分の1になり、共に闘った仲間は、各人各様に異なる道を歩むことになる。まさに、「バベルの塔」に。
(だが、終わり方までは、分からないのが人生・・・)

画像は、ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(ウィーン・美術史美術館蔵)

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