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「あの女(ひと)探し」番外編 マンハッタン散歩(3-3)【エッセイ】一六〇〇字

(上の画像は、ホテル清掃のかたへのチップ)
8月7日にアップした「あの女(ひと)探し」の続編、じゃなく、「あの女(ひと)探し」をするきっかけとなった、マンハッタンの旅の話。「あの女(ひと)」探しから、“母をたずねて三千里”に変わったが、その珍道中の話です。

 パークを過ぎると、左のウエスト地区には、コロンビア大学がある。見学する気もないので、まっすぐ歩く。先には、ニューヨーク大学があり、目的地近くになる。が、その前に通過しなければならないのが、ハーレム地区。ハーレムと言えば、一昔前、観光客はおろか地元のニューヨーカーたちでさえ立ち入りを躊躇った危険な場所、というイメージがある。しかしジュリアーニ元市長の治安改善対策の結果、安全な街になったとガイド本にあった。確かに、壁画アートがあったり、ジャズが流れてきそうなシブイ雰囲気がある。が、土曜日ということもあってか、住居やアパートの前でたむろしている住民の殺気には、ちょっと緊張が走る。極力、目を合わせないように、ひたすら歩く。すでに2万歩を超えた。

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 生まれたであろうアパートの住所は分っているので、現存しているかどうかを確認すれば良い。が、公園で撮ったと思われるモノクロ写真。たぶん住居の近くの公園なのだろう。その場所を発見することも、重要なミッション(だった)。
 ニューヨーク大学を左手に、目的地の方向に進むと、大学の崖下に大きめの公園があった。ここでも、パークのように、岩盤があちこちに露頭している。やはり、マンハッタンは、岩盤の上にあるのだ、と再認識する。しかし、写真の場所を特定するには、あまりにも広すぎる。万歩計は、2万5千に近い。Yさんは合氣道、私は8,000歩ウォーキングで鍛えた脚がすでに棒のように固い。浪漫なミッションは、二人ともどうでもよくなりつつあった。

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 どうにか、生誕のアパートメントであろう建物に到達する。母上が誕生したのは、90年以上前だが、相応の古さを感じる。Yさんの祖父は台湾銀行のニューヨーク支店長だったらしく、おエライさんが住むに相応しい格式を感じた。きっとこの建物がそうだ、と確信する。建物の周辺を撮影し、入口にきたとき、住人らしきひとが出てきた。Yさんが、2年の在米経験の英語で、訊いてみる。すると、「ああ、ここは100年以上前に建ったらしいよ」と答えた、のだった。ついに最大のミッションを果たした。

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 とりあえず、やり遂げた達成感からか、疲れからか、2人とも口数が極端に少なくなり、地下鉄の駅に自然と足が向いていた。が、案の定、またも路線を間違ってしまったのだ。
 初日、ヤンキー・スタジアムに地下鉄を使ったときも。そのときは、2人があたふたしている姿を見て、30歳前後の黒人青年が声をかけてくれ、2駅先で反対のホームの電車に乗り換えればいい、と教えてくれ、開始時刻に間に合った。が、今回は、完全に路線を間違ってしまった。仕方ないので、ホテルに比較的近い駅で降車し、歩くしかなかったのだ。結局、4,000歩以上歩いただろうか。やっと、ホテルに戻ることができたのだが、万歩計は、3万を優に超えていた。
 その夜。その疲れがあったにも関わらず、アラ古稀追っかけジジイは、嬉々として公演会場に向かったのだった。パフューム、恐るべし! 方や、私は、Nとlittleローリーと、グランドセントラル駅の地下にあるオイスターバーで会った。牡蠣ならシャブリでしょと、洒落たのだが、このあり様。
 「君は何と悩ましい女(ひと)なのか。嗚呼、ローリーよ」

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(グランドセントラル駅の前)

 子に恵まれなかった私には知る由もなかったが、同年代のご仁のご苦労を思い知った『母をたずねて三千里』の旅の、夜であった。なお、就寝中に脚が攣って睡眠不足になったのは、ここだけの話にしておく。

 そのlittleローリーは、来月、Elementary Schoolの1年になる。収束し、来日した折には、会おうぜ、ローリー。少しは人間っぽくなっているだろう。
(とりあえず、おしまい)


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