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気がかり【エッセイ】一〇〇〇字

 “HOW DARE YOU!”
 2019年9月23日。国連で、スウェーデンの当時16歳の活動家・グレタ・トゥーンベリさんは、鬼気迫る表情で訴えた。「生態系が全て破壊されています。大量絶滅の始まりにいます。人類も最終章に入っているのです。なのに、経済成長がいつまでも続くという話ばかり。“よくもそんなことを!”」と。
 活動家だけでなく、政治家や企業人がSDGsのバッジを付けたり、広告にマークを添えたりしているのを、最近、よく見かける。「やっているよ」と、バッジやマークを“言いわけ”“免罪符”にしていないだろうか。
 経済思想家・斎藤幸平氏は『人新世の「資本論」』で、主張する。「マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる『宗教』を『大衆のアヘン』だと批判した。SDGsはまさに現代版『大衆のアヘン』である」と。さらに、「経済成長を求めていては、CO2は減らせない。『脱成長』を前提に考えない限りは、実現できない」と付け加える。
 SDGsの目標8は、「働きがいも 経済発展も」である。はたして両立できることなのだろうか。産業革命以来、過剰な生産・消費のために地球資源を食いつぶし、結果としてロスを排出する、負のスパイラルに陥ってきた。労働者は、生産性を上げるために、過重労働を強いられ疲弊し続ける。地球と大衆の犠牲の上に経済成長を続けてきたのだ。その構造を“革命的”に変更することなくして、地球・人類の破滅の時計の針を、遅らせることができるのだろうか。
 これまでの経済成長の構造を変える政策として、「働き方改革」があげられている。ITなどテクノロジーを最大限に利用し、一人ひとりの生産性を上げることで、短い時間で仕事の成果を出し、残業をなくし、「働きやすい」環境を整えるために進めるさまざまな改革としている。
 しかし、「産業革命以来の過剰な生産・消費」の資本主義の根本的な解決なくして、実現できるのだろうか。冒頭のトゥーンベリさんが主張するように、経済成長と、「生態系の破壊・大量絶滅」とは相反することと、思う。“二兎”を追わず、経済成長を第二次的に抑えてでも、まずは、人間の「真の豊かさ」を第一にして改革を進めない限りは、これまでの延長線上における「持続可能性」とされるにすぎないのではないか。
 すぐには改革できないかもしれない。しかし、20年、50年先の子孫のために声をあげ、行動していくことが重要と考える。

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