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下宿屋の引越し【エッセイ】三二〇〇字

 4年前に亡くなった藤田宜永の小説に、彼の高校時代を描いた自伝『愛さずにはいられない』がある。TOP画像の文庫本に付箋が見えるが、私の学生時代によく知る場所や店が出てくるページに貼ってある。彼はワタクシと同い年。まさに同時代を描いている。ただ違うのは、早稲田学院の大都会の遊び人。純粋な田舎もんとは、ケタ違い。アッシなんざぁー、赤子みたいなもんだ。

 顎を外したアホな体験を書いた『トラウマ』の続きになる。これまた、アホな話…。
(あ、一部、「18禁」の内容になります。悪しからず。💦)

 長期病欠を言い訳に留年するも、現役受験に、失敗。滝川という人口5万の小都市から大都会、札幌での下宿生活となった。初めて親元から離れた解放感に浪人という分際であることを忘れ、浮ついた生活が始まる。場所は、札幌西保健所の裏、札幌西高校の近く。下宿屋の(向かって)左隣が整骨院。そこの先生に人生最大の醜態(顎関節脱臼、要するにアゴ外れ)の危機をお救い頂いた。ここまでは前回書いた。たまたま(というか日課に近いが)下宿屋に麻雀で来ていた、その先生のご子息に助けられ、無料で治してもらったのである。
 彼は、札幌西高校卒。道内で3位にランクされるような高偏差値校(現在でも4位のようだ。俳優の田中裕子も卒業している)。しかし大学は、低偏差値レベル。高校時代から、麻雀とパチンコの毎日。土日は、桑園競馬場に一日中たむろしていたようなので、むりはない。むろん、大学に通っているという雰囲気も感じたことが、ない。持っているのは、常に競馬新聞 —— 。
 北海道でも暑い夏はあるわけで、プールに行きたい気分にもなる。しかし、近くには、そんな気の利いた施設など、ない。そこで昼間の熱が残る日は、そのギャンブラー殿に下宿生のほとんどが毎晩のように誘われる。「西高のプールに行こう。夏休みで、警備が甘い」と。
 なんとか出入りできる卒業生ならではの、金網の穴を熟知。なんなく侵入。最初のうちは、音を立てずに銭湯に浸かるように泳いでいたが、そのうちに気が大きくなり、バタ足どころか歓声まであげるようになった。さすがに、見つからないはずがない。「コラー!! 何やっているーーー!」と、烈火のごとく怒った宿直の先公(先生のこと)らしきものが走ってきた。顔を知られているギャンブラーは、慣れたルートから要領よく先に逃げ切る。慌てた私と隣の部屋のWだけが、パンツのまま、裸足で逃げた。幸い、警察沙汰にはならなかったが、服とサンダルは置いたまま…。
 ギャンブラーであっても、責任感はある。翌日、学校に謝りに行き、回収してくれたのだった。そして、「プール事件では迷惑をかけた。詫びに、ゴーゴー喫茶に連れて行く」ということになった。競馬で大勝ちしたらしい。
 若いかたは、「ゴーゴー喫茶」を知らないだろうから、少々説明する。と言っても早い話が、「クラブ」「ディスコ」である。ダンス愛好家の集まりである(ウソ!💦 男女が触れ合う機会を提供する場所である)。
 その「現場」は、大通り公園をススキノ寄りにずぎた辺りにあったと記憶する。近くに三越があった。店の名前は覚えていない。その日は、遊び慣れているギャンブラーの一人舞台。下宿生は、ユダレ(全国的には、“ヨダレ”?)を垂れ流しながら、ミニスカートの女子たちを鑑賞しているだけだった。しかし、その経験で勇気付き、下宿生だけでしばらく週1ペースで行くことになる。多くは隣の部屋のWが一緒だった。
 客の大半は、男グループで店に入り、女性を「品定め」する。目が合った子がいれば、勇気を振り絞り、「踊りませんか」となる。ゴーゴー喫茶というからには、「ゴーゴー・ダンス」。各人各様に体を激しく揺り動かしたり、腰をくねらせたり、両手を交互にアップダウンさせる。ロックやソウルミュージックに合わせて踊る。なので、誰でも踊れる(リズム感は別にして)。あと、同じ動きをするパターンもある。前や横に動いたり、手を叩いたり、しゃがんだりして、全体の動きに合わせる。なので、通い慣れたものじゃないと、その流れから落ちこぼれる。これが終わると、ワルツなんてまさに社交ダンス派の踊りも。徐々に、「踊り場」から人数が少なくなる。そして、サンバやマンボ、ルンバなど、リズミカルな踊りに。ルンバが踊れると、女子たちの熱い星マークの視線が、集まる。そのころになると、極めて少人数になってくるのだが、ここで暗転。チークダンスである。脱落したものたちでも、身体を密着すればいい踊りだけにテク的には誰でも参戦できるのだが、ほぼ「OK」カップルに限られる。
 下宿の部屋で、みんなで踊りの練習を繰り返し、なんとか形になったところで出かけるのだが、結局、成果をあげたものは、いなかった。ワタクシも、なんとかチークまで行ったことはあるが、「その後の一言」が出てこなかったのであった(スンマセン💦)。
 「ゴーゴー喫茶」は、冒頭の『愛さずにはいられない』に出てくる。
 小説の最初のほうで、こうある。
<僕がよく通ったゴーゴー喫茶『ジ・アザー』は、末広亭から少し四谷に寄った一角にあった。(中略)入場料はコーラがついて三百円。かかっているのは大半、R&Bだった。フォー・トップス、シュープリームス、ジェイムズ・ブラウンなどの曲である>
 大学に入ってすぐのころも、「踊り場」には何回かは行ったことがある。まさに、その『ジ・アザー』であった。ここでも、「丸坊主」だった。釣れたのは、一年の大学祭の最終日、満月の日。穴八幡という神社の小公園。バイト仲間のK子であった。極めて奥手だったのである(宜永と大違い)。
 藤田の前掲文に、「入場料はコーラがついて三百円」とある。当時のバイト料が時給200円くらいと記憶するので、入場料は、1,500円前後だったと思う。そのあとの飲食代が加算。ただし“成功者”は、その代償として別途高額なコストを要することになる。
 当時、ブックマッチを片手で火を点けて高く掲げウエイターを呼ぶことが流行っていた(箱マッチでもできるが)。ブックマッチというのをご存知だろうか。厚紙でできている。普通は、一本をちぎってやすりの茶色い部分で擦って火を点ける。それを片手でマッチ棒を「く」の字に折り、火薬の部分を親指とやすりに挟み、手を一気に振ることで点火させる。そのブックマッチを高々と挙げる。

 こんな無様な下宿生活。自分でも、このままではいけないとは思っていたが、同年卒業の級友Oからも、こう言われていた。
 「菊地よお~。そんなとこにいちゃ、また落ちるぜ。ちょうどオレんとこの下宿で一部屋空いているんだ。引っ越した方がいい」と。
 しかし、なかなか抜け出せなかった。だが、その引越しの決定打になったのが、こんな犯罪紛いなことだった。
 左隣が整骨院ではあったが、20メートル離れた右隣は、なんか怪しい。普通の古アパート風なのだが、夜になると車が前に停まり、人が入って行く。全てがアベック。隣のWの部屋の窓から見えるのだ。
 で、そのギャンブラーに聞くと、連れ込みモーテルだと言う。
 その日から、下宿生の有志(むろん、Wも一員)の探検が始まった。
 人通りがなくなった頃を見計らって、鼠小僧よろしくコソコソと一部屋ずつ「探索」。そのうちに鍵穴から中が見える部屋があることを発見。3、4人が交代で覗くが肝心なシーンは見えない。ところが、ある日、黒人の男と日本人のカップルが、その部屋に入って行ったあと、出動。 ———  観てしまったのだ。
 Wが小声で言った。
「おい、ビール瓶みたいだべさ!」

 よくもまあ、警察のお世話にならなかったものである。

 短い夏が過ぎ、OとWに手伝ってもらいながら、リヤカーでの引っ越しとあいなる。荷物と言っても、蒲団と衣服、身の回り品、(いちおう)予備校のテキスト、文庫本。むろん、ギャンブラーには、行き先を伝えずに。
 その後も、親不孝が続く。軟派なことではなかったが、学生運動熱を患い、『政治少年死す』の海賊版の出版に夢中になったのだった。当然ながら、受験の結果は、みなさまのご想像通りである。が、隣部屋のWは翌年、北大に合格している(いつ勉強していたんだ?)。

 藤田はあとがきで、本人自ら「〇〇〇〇依存症」だったと書いているように、途中から(男のワタクシでも)食傷気味になり、小説は完読していない(文庫本で800頁近くも読まされてはね…)。
この後の親不孝な話は、


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