見出し画像

橋【エッセイ】六〇〇字

 早大エクステンション「エッセイ教室」冬講座。二回目のお題は、「橋」。講義の前に、サイモン&ガーファンクル『明日に架ける橋』(Bridge over Troubled Water)を聴かせてくれました。「明日に架ける橋」もあるよね、と。昔のことを「橋渡し」しなければならないこと。人と人、心と心をつなぐ「橋」。ひとそれぞれの「橋」にまつわる話、想い出がありますよね。さて、あなたには?

 父と話さなくなったのは、小五の頃から。会話といっても、せいぜいキャッチボール。きっかけは母への暴力だった。「オヤジを、反面教師として生きてやる」と、母を困らせもした。が、四年までは違った。父の転勤で、小学校を五回転校した三校目の、愛別にいた頃までは。
 海軍出身の父は、戦争映画を観に旭川に連れて行ってくれ、その悲惨さについて話し合ったこともある。ノンプロの選手だったので、(今の)スタルヒン球場に連れていってくれたりも。そして、町の中央を流れる石狩川で、泳ぎを教えてくれたのも、この頃—————。
 夏休み。街をつなぐ愛別橋の近くに、大きな岩石が堰となり、プールのようになった場所がある。毎日、上級生たちと岩から競って飛び込む、遊びをしていた。ある日、戻ると、いきなり、ビンタが飛んだ。子どもだけで泳ぐのは、学校からも父からも、厳しく禁止されていた。父の職場が川向うの街にあり、仕事帰りに、目撃されてしまったのだ・・・。
 その日たまたま風呂が故障しており、銭湯帰り。アイスを舐めながら、泣き治まらない私に、橋の上で父が言った。「下流に浅瀬がある。こんど連れて行ってやる」と。
 父は、母が急逝した三年後、大酒が祟って、五十五で後を追うように亡くなるのだが、その前年。大学卒業前に東京から帰省し、初めて二人だけで、夜通し呑んだ。愛別橋の話になり、また戦争の話になった。そして、父は、つぶやいた。
「戦友は皆、お母さん万歳と叫んで死んだ—————」。

(おまけ)

これ、まさに『ウォーキング小景』ですよね。ありきたりの風景を、いかにきちんと言葉で表現できるか。「エッセイ」の本質のように思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?