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アマチュアオーケストラにおける自治と社会

誰かが決めたルールに従って生きることは「統治」であり、自分たちが決めたルールを自分たちで守って生きることは「自治」であるといえる。これまで多くの場面において、オーケストラは指揮者を中心とする統治のモデルで語られてきた。この「統治」と「自治」は、現実世界では必ずしも一方のみで存在するものではない。また近年、オーケストラにおける指揮者に限らず、演劇における演出家の役割などにおいても、いわゆる「脱権力」の志向が、とりわけ若い世代に見られている。なのでオーケストラにおける統治を素朴に批判できる時代はやや過去のものともなりつつあるが、他方で本稿では、これまであまり着目されてこなかった「自治」の側面について、アマチュアオーケストラを通して考えてみたいと思う。

もっとも、自治は「オーケストラ」ではなく「アマチュア」の領分かもしれない。アマチュア団体とはトクヴィル的な意味で結社であり、それはオーケストラに限った話ではないともいえるだろう。ただし、僕が予感する自治の可能性、あるいは社会の契機といったことがオーケストラという集団を運営する過程に存在することは間違いない。そして、ともすればアマチュアオーケストラもまたプロオーケストラと同じ運営上の軌道を描くことがありながら、そうではない形もありうることは、プロ/アマチュアを超えたオーケストラ自体の可能性といえなくもない。アマチュアオーケストラを単なる趣味サークルではなく、オーケストラにおけるプロではないオルタナティブの形態と位置づけなおすことで、僕たちはオーケストラやクラシック音楽への認識を拡張し、新たな地平を開くことができる。これは僕が長年取り扱ってきたテーマでもある。

それぞれが出来ることを持ち寄る

僕たちアマチュアオーケストラでは、ほとんどのメンバーが職業音楽家ではない。様々な職業に就いていたり、家庭や地域で役割を持っていたり、あるいは学生だったりする。ゆえにリハーサルや本番は基本的に週末となる。今の時代、平日にも定時で帰ることができる仕事ばかりではない。そもそも土曜日や日曜日だって、休めない仕事もある。その中で僕たちは個人練習、合奏リハーサル、そして本番を迎えるわけだが、実際のところ、楽器演奏だけをやっていればよいという訳にはいかない。練習・本番の会場予約(これが辛いことに、まだ多くの自治体ではウェブで完結しないのである)、会計・経理、広報計画、チラシデザイン、舞台計画、メンバー管理、楽譜管理(これがまた見つからないのである)、楽器手配(大型楽器の運搬も自分たちでやる場合が多い)……ここで挙げたことはあくまで代表的な「業務」であり、実際には細かい事務作業、膨大な「日の目を見ない作業」がある。それは家事にも似ている。ふと我に返った時、なんで仕事が終わってからこんな大変なことをやっているんだと思う。でもその答えは簡単で、僕たちはこれをやりたいからやっているのだ。

ただし、やはり誰もいつでも、そうした活動(演奏・運営)が十分にできるわけではない。僕たちは日常を生きていると、仕事や家事が忙しい時期に入ったり、何かしらの事件が起きたりしてしまうものだ。そういう時、どうしてもオーケストラ活動を優先できない場合がある。これはプロもそうだと言えばそうだが、生きていれば当然いろいろ起こるのであって、それに左右されるのは仕方のないことだ。

それでも僕たちは、限られた時間でそれを取り戻そうとする。「今週は水曜が早く帰れそうだからカラオケに入って練習しよう」とか、「ちょっと余裕が出てきたので、チラシデザインは私がやります」とか、そういう具合にして、日曜音楽家たちの曲作り・制作は進んでいく。

それが何とか進行するように、練習計画を立てて、あるいは運営スケジュールを組む。その中で、月1回は集まって運営ミーティングをしよう、とか、最低でも6回は練習に参加できるようにしましょう、という風に決めごとを作っていく。そのようにして演奏面でも運営面でも、集団で力を合わせて、少しでもいいコンサートにしようとしている。

僕は、今の時代にここまでの自治空間が存在していることを、本当にすごいことだと思う。

自分たちを雇用する管理職・経営職がいないということは、自分たちで自分たちを管理するということだ。もちろん、運営のために組織(めいたもの)はどこかで必要になる。会計係、楽器係、楽譜係、広報係という具合に、役割は分担され、その進捗は事務局長が統括する。だが、こうした官僚機構が楽団員を支配しているわけではなく、ネグリ=ハート流に表現すれば、それはあくまで戦術的な存在なのである。

また、これはオーケストラにもよるのだが、学校・大学や職場を超えて、あるいは世代や地域を超えて、実に様々な人が集まっているのが、アマチュアオーケストラの特徴だ。これは、言ってみれば社会の縮図のようなもので、僕たちはともに活動するだけで、様々な人生に触れあい、価値観を交換することができる。このある意味でとてつもないポテンシャルを、中学生のキャリア教育に重ねたのが、アミーキティア管弦楽団(以下、アミオケ)が2019年から企画する「うたと未来コンサート」シリーズだった。

このコンサートでは、中学生との合同演奏に加えて、本番当日の午前中に、演奏者と中学生とが、将来の暮らし・働き方・仕事について一緒になって考えるワークショップを開く。と言っても、何かかっこいいメッセージを伝えに行くのではない。日々の生活の中に音楽がある姿そのものを見せるのが、中学生にとっては実は一番の「キャリア教育」なのだ。一人ひとりがこれまでどういう人生を歩み、音楽と向き合い、日々を暮らし、あるいは乗り切っているのか。それを表現する言葉はひとりひとり違う。そうした個々に人生・生活がある大勢の人々が、それぞれに出来ることを持ち寄って、本番を少しでもよくしようする。そのような「社会を作ろうとする大人たちの背中」には、中学生に伝えられることがたくさんあると思うのである。

【今年も淡路島に行きます!】 アミオケが企画する〈うたと未来コンサート〉シリーズ。 通算4回目となる今回(3/3)は、洲本市立五色中学校の皆さんとの合同演奏です。 この企画では、午前中に演奏者と中学生が一緒になって、将来の暮らし・働き方・...

Posted by アミーキティア管弦楽団 Orchestra Amicitia on Thursday, January 11, 2024

社会の契機

こうした自治空間は、いま述べたように「社会を作ろうとする」一人ひとりの心の持ちようによって、物理的にも精神的にも支えられている。けれども、人数が多くなればなるほど、それを常に均等に保つのは難しくなる。また「プロジェクト型オーケストラ」では、主催者と参加者という立場に分かれるため、その集団に自分が深く関わっている/帰属している、と感じられる度合には、どうしても濃淡が出てしまう。共和政(大まかに言えば、市民の自治によって成り立つ政治体制のこと)が成立しやすいのは規模の小さな国家であるとしたのはモンテスキューだが、それは直感的にも納得できることだろう。

これは特定のオーケストラに限らずどこにでも起こる話だが、例えば本番が近い練習の中で、いつまで経っても上達しない演奏者がいたとする。その人のことを、少し離れた場所に座る別の演奏者が、「ちゃんと練習しろよ」とか「意識が足りない」というようなことを陰で言うことがある。あるいはTwitterか何かでぼかして書いたりする。いい話ではないが、残念ながら珍しい話でもない。そして、その気持ちも分からないではない。

まず僕はこれに対して、「ああ、まさに『社会』だな」という感想を持つ。つまりその時に僕が何を考えているかというと、「仲のいい友達が相手だったらそういうことはやらないだろうな」に尽きる、ということだ。集団の規模が大きくなり、少し遠い相手のことはよく分からず、自分には自分なりの価値観があって、だからその相手のことが受け入れられない。でも、そのことを直接は伝えない。よってすれ違いや溝が生まれる。このような話、どこかで聞いたことはないだろうか。まさに今、社会や世界で起こっていることそのものではないだろうか。

僕はオーケストラを企画して運営する立場にある者として、少しでも「いい社会」を作りたい。だから、みんなとどう関わりたいかは、言葉にすることもあれば、方針で示すこともある。もしくは、振る舞いを通して空気感を作るということもあるかもしれない。

他方で、例えばアミオケではどんな演奏を目指すのか、参加者には練習にどう臨んでもらうのかといったことについては、都度運営の中で議論をして、その時々で最もよいと思う方針を決めてきた。それは簡単に決まるものでもなければ、一度決まれば二度と変わらないものでもない。でも考え続けることが大事だし、それを示すことが大事だと思う。

本当は、あんがい僕たちは、日頃から学校や職場で、人間関係やルールについて疑問を持ったり、もっとこうだったらいいのにと思うことがあったりするのではないだろうか。だとしたら、同じようなことをオーケストラでもしてしまうのは、ちょっともったいないのではないだろうか。学校や職場というのは、関係性や制度がある程度定まってしまっていて、状況がなかなか変えられないことが多い。でも、そうじゃない集団のあり方を、僕たちは例えばオーケストラを通して改めて実現できるかもしれない。それは、僕は希望だと思う。

僕はまじめな性格だから、民主主義とは何かということを考える。それは、自分の関わる範囲で起こることを、その時の自分にできる限りで見過ごさないで、一緒にいい関係を作ろうとすることだと思っている。そして、その場にいる人たちで出来る一番いいものを目指す、ということだとも思っている。だから僕にとっては、アマチュアオーケストラとは民主主義そのものなのである。

もちろん人間なので失敗もするし、不運が重なって運営が立ち行かなくなることもあるだろう。いずれにしても、僕たちは「やりたい」という気持ちに支えられながら、それぞれがその時に出来ることを持ち寄って続けていくよりほかない。そうしてこのオーケストラ文化が、市井の人々の間で脈々と受け継がれてきたことは、実に尊いことだと思う。昨年3月に開催した〈酒蔵コンサート〉は、クラシック音楽や酒の文化が、人々の手を介してつながれてきたことをことほぐ企画だった。

アミオケは来年2月に10周年を迎える。これは僕ひとりでは到底辿り着かなかった。これまで関わってくれた運営・演奏者・地域の人々・お客様、すべての皆様とこの場をつないでこれたことに、心から感謝したい。

\\情報公開!// 【10周年記念コンサート開催決定!】 【近日募集開始!】 _ 来年2025年2月2日、 アミオケは設立10周年を記念するコンサートを開催いたします! これまでアミオケでは、ホール公演に加えて数々の町を訪れ、地域の人々...

Posted by アミーキティア管弦楽団 Orchestra Amicitia on Tuesday, February 13, 2024


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