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最善の自分へ、合理的に生きたい

わたしは、いつも「合理的」に生きたいと願っています。

「合理的」とは?

「合理的」とは、自分の感情や欲を抜きにして、今起きている問題に対して、最善の結果を得るために最善の行動をとることです。
まず、目指す最善の目標があり、それに向かって今考え行動します。

「合理的」に対して「論理的」という考え方があります。

「論理的」とは、頭の中で「こうなればこうなるだろう」「 こうなっているのだからこうであるはずだ」 と考え行動することです。

「合理的」であるということは「論理的」に説明がつくはずです。
問題によっては説明をするのが難しい場合もありますが、「論理的」ではあるはずです。

しかし、「論理的」であれば「合理的」なのかと言うと、そうではない場合もあると言うことです。

わたし達の周りで起こる問題というものは、多角的な面があり、幾つかの「論理的」な説明が可能になります。

幾つかある「論理的」な解決方法の中から、最善の目標を得ることが出来るものが「合理的」であると言えるのです。

しかし、自分の感情や欲を抜きにして行動することは容易なことではありません。そこは、やはり人間ですからね…。

わたし達は、誤った論理を選択し、もがき苦しみ、悩んでしまいます。
なぜ、誤って選択してしまうのか?

人間の「欲」というものが、正しい選択の邪魔をします。
「我欲」です。求める心。

誰にだって欲というものはあるはずです。

・食欲
・性欲
・物欲
・承認欲(地位や名誉、プライド)

など

欲というものは、手綱を放すと歯止めが効かなくなるものです。
そして、それは常習化され、増大化していきます。

どこかで自分の中に軸をもち、ぶれない思考のスタイルを構築しないと、周りの問題に振り回されて生きていく人生を送ることになってしまいます。

方位磁石は、常に北を指します。
自分の心の中に、常に最善の目標を得る方向を指してくれる、心の方位磁石が必要になります。

心が向いている矢印が正しいのか正しくないのかを客観的に観れる力が必要になります。心の矢印がどの方向に向いているのかを、客観的に観る訓練が必要になります。

自分を俯瞰で見ること。

「蟻の目と鳥の目」という言葉がありますが、わたしたちは、うっかりすると蟻の目だけで生きてしまいます。
時には、鳥の目で自分を上から見れるようにしなければなりません。

・蟻の目が見ているのは2次元の世界
・鳥の目が見ているのは3次元の世界

蟻は、論理的に生き、鳥は合理的に生きる。
鳥は、落とし穴に気づいていますが、蟻にはそれが見えていない。

瞬間的な激しい怒りや、強い欲望にかられた時には、反射的に行動せず、今心の矢印がどの方向を向いているのか、そして、どの方向に道義的な最善の目標があるのかを鳥の目で見れるように、日頃から訓練し、それを習慣化していかなければなりません。

しかし、それは簡単なことではありません。

これは、自分というものを理解するということだと思います。
「敵を知り己を知れば百戦殆からず」と言う故事がありますが、まさにその通りであり、己の中の敵となるものを客観的に観れるようになれば(良くも悪くも自分というものを理解できれば)、人生は危からずです。

何かを習得するためには、繰り返すしか方法はありません。
子供の頃、初めて自転車に乗れるようになった日のように、逆上がりが出来るようになった日のように、今は出来なくても出来るようになるまで諦めずにただ繰り返す。

それしか、方法はないようです。
途中で諦めるのも、出来るまで諦めないのも自分の自由です。
出来ない人生が決して間違っているわけではありません。

しかし、最善を求めるのであれば、外の世界(現実)も、内の世界(心)も、繰り返してつかみ取るしかありません。

考え、行動し、修正し、そしてまた行動する。

蟻の目と鳥の目
この言葉を、いつも心に置いて生きたいと思う。

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