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『全体主義の起源』(ハンナ・アーレント)― 歴史は今まさに繰り返している

ハンナ・アーレントと聞いて10年ほど前の映画を思い出した方は多くないかも知れませんね。その映画は彼女の著作『エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』という裁判傍聴記録が元になっています。
彼女自身がユダヤ系で、同胞への迫害の酷さを戦後知り、それを生んだ全体主義に関して、何故そんなことが起こったのか、何故誰も止めれなかったのかという思いで研究を重ねました。そんなアーレントの主著である『全体主義の起源』に沿って、今世界で起きている事を説明したいと思いました。

(1)まずは、アーレントのプロフィール:

1906年ドイツ生まれ。ドイツ系ユダヤ人。ナチスの台頭した時期にアメリカへ亡命した。基本的には哲学者で、ドイツではハイデガー、ヤスパース、フッサールに師事していました。戦後ナチスの蛮行を知るに及んで、全体主義について考察し、何故誰も止めることが出来なかったのかについて考え続けました。

(1906年)ドイツ・ケーニヒスベルクのドイツ系ユダヤ人の家に生まれる。
両親とも信仰は持たなかったが、ハンナは家族ぐるみで付き合いのあったシナゴーク(ユダヤ教会)に通っていた。
(1924年)マールブルク大学に入学。ハイデガーに会い、哲学研究を始める。
その後、フライブルク大学でフッサールの、ハイデルベルク大学でヤスパースの指導を受けている。
(1933年)フランスに亡命
(1940年)フランスがドイツに降伏したためアメリカに再亡命
(1951年)市民権取得後、各大学で哲学を教える。
(1951年)『全体主義の起源』でアメリカ学会デビュー
(1958年)『人間の条件』を発表
(1963年)『エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』を発表
(1975年)自宅で逝去(心臓発作)

(2)『全体主義の起源』に入る前に『エルサレムのアイヒマン』について:

・戦後、アルゼンチンに潜伏していた旧ナチス将校(中佐)のアイヒマンがモサドによって拘束され、エルサレムに強制連行され、公開裁判が始まることなりました。アーレントは出版社にかけあって自ら志願してこの裁判を取材しました。
・アーレントは裁判でのアイヒマンをみて愕然としました。彼はどう見ても「悪人」ではありませんでした。法や命令に忠実に従うことを義務と課し、自分で価値判断することなく淡々と実行する単なる「小役人」に過ぎない事でした。
・そんな報告をしたアーレントはユダヤ人コミュニティからバッシングを受けます。彼らにとってアイヒマンは極悪人でなければならなかったのです。

(3)国民国家の勃興と反ユダヤ主義

・欧州でのユダヤ人への憎悪はずいぶん昔からありました。しかし、19世紀からの反ユダヤ主義はこれまでとは異なるモノでした。単なる好き嫌いの問題ではなく、国民国家意識の高まりの中、国内の異質分子としてのユダヤ人が国民統合のためのスケープゴートにされた政治的・組織的排除だったとアーレントは分析しています。
・ここで言う「国民」というのは言語・歴史などの文化的アイデンティティを共有しているグループで、「国民国家」というのはその国民が自分たちで治めている国のことです。島国の日本人にはわかりにくいのですが、欧州では国民意識はナポレオン戦争までは希薄だったようです。庶民(特に農奴)は事実上土地に縛りつかれれていて、領土や領主はしょっちゅう変わるような世の中でしたから。
・またそんな状態でしたから、1つの地域に文化の異なる多くの人が混住していました。ナポレオンというフランス人がヨーロッパを席巻したことで、占領された側が「何で俺たちが、あんなフランス野郎のいうことを聞かなければならないのか」と反仏意識を持ち始めたことが国民意識を生み出したと言われています。
・当時のドイツをみると、ユダヤ人は金融分野だけでなく医者・弁護士・学者などの分野で既に多くを占めていました。
・そんな国民国家の中では、ユダヤ人には同質化(ユダヤ人としてのアイデンティティを棄ててしまう)するか、異分子として扱われるかの二者択一しかありませんでした。ユダヤ人が自身の国民国家を持たない限りは、いずれにしてもユダヤ人は事実上消滅してしまうことになる。それに抗うと内紛が生じる。

⇒今の移民問題の行く末を暗示、否、明示している。

(4)帝国主義

・アーレント曰く、帝国主義が「人種思想」と「ナショナリズム」を生み出して、国民国家を解体に導き、それが全体主義に継承されていった。

・帝国主義を推進・維持するのは国民国家ではできない。異分子が存在するので、ある程度の法による支配、つまり帝国全体を支える政治機構が必要である。しかしそれまでの国民国家は同質の住民の存在とその「同意」が前提となっていました。植民地獲得を含む異質民の征服の場合は「強制的な同意」しかないが、結局統合は出来ず圧政を行うしかない。
・特にアフリカへの膨張政策に過程での(生物学的特徴や習俗が全く異なる)アフリカ系の人々との出会いは強烈だった。彼らの体格・容姿を見て、自分たちと同じ人間と認める心構えが出来ないどころか。恐怖ですらあったに違いない。そして何とか対抗するために人種思想を生んだ。それは「種の違い」と「優劣差」という考えを持ち込んで暴力的対抗を正当化する思想基盤を創作した。そしてこれが優性思想につながっていく。

・20世紀の激動が更に新しい問題を引き起こします。それが「無国籍者」の存在です。ロシア革命からの「亡命者」、多くの国での独立・紛争・内戦の結果、多くの「難民」が生まれてしまいました。アーレントも、
「第一次世界大戦の直後に始まった途方もない規模の難民の流れから生まれ、ヨーロッパ各国が次々と自国民の一部を領土外に追いやり、国民としての身分を奪ったことで作り出された無国籍者は、ヨーロッパ諸国の内戦の最も悲惨な産物であり、国民国家崩壊の最も明白な徴候だ。」と語っている。
この辺りの切迫感は日本人には実感がないでしょう。報道自主規制がされているのか、あまり知られてませんが、同化を拒むどころか自分たちの文化を権利主張するような(事実上の)移民を抱える川口市の将来が見えてくるようです。

・では、人権屋の好きな「無国籍者」の人権はどうなるのでしょうか。アーレントは、
「人権は譲渡できない、奪う事は出来ないものと宣言され、(中略)人権を確立するには何の権威も必要ないと思われた。人間それ自体が人権の源泉であり本来の目的であった。」と言います。
続けて、
「政府の保護を失い市民権を享受し得ず、生まれながらに持つはずの最低限の権利にすがるしかない人々が現れた瞬間、彼らにそのような権利を保証してくれるものは存在せず、いかなる国家や国際的権威もそんな準備がないことが明らかになった。」と。
つまり、フランス革命以降、人権は天から降ってくる当然の権利を信じられてきたが、そんなファンタジーは戦争がいとも簡単に完膚なきまでに破壊してしまった。いまだにそんなファンタジーを唱えている人がいるなら「それを証明するために、中東へ行ってパスポートを持たずにウロウロしてみたらいい」とアドバイスしてみればいい。人権を保証しているのは国家と言う共同体なのです。

※余談ですが、10年ほど前に無謀な3人組が勝手にイラクに行って捕まった事件がありました。彼らは結局日本政府が動いて助かった訳です。「自己責任なんだからほっとけば良い」と叩かれてましたが、それでも救わなければならないのが共同体の原理なのでしょう。

(5)そして、全体主義へ

・多くの「大衆」が生まれました。大衆は市民(自分の利益を自ら考えて意識している人)と違って、「自分に取って何が利益なのかすら分からない連中」です。そんな大衆が選ぶのが「全体主義」という訳です。市民なら自分がどこに所属しているか、対立するのは誰かを理解していますが、大衆は違います。まさにバラバラに自分個人のことしか頭にない「アトム化」(アーレント)された人々です。まさにオルテガの大衆です。市民は自ら動いて権利や利益を得ようとしますが、大衆は口を開けて待っているだけです。誰か良い餌を入れてくれないかなあ」と

・そんな大衆は深く考えません。難しい議論はしない。分かりやすいイデオロギーがあれば喰いつきます。その喰いつきがどうなっていくかは、以前紹介したルボンの『群衆心理』の世界につながります。「群衆」は「自主的に判断・行動する主体性を喪失し、極論から極論へと根無し草のように浮遊し続ける集団」という訳ですが、ルボンは価値観の崩壊が、そんな群衆を生んだと書いています。いろいろな事がつながっていきます。そして今も変わっていませんね。

・棲む世界で支えを無くした大衆が、そこから生まれる不安に耐えきれず頼れそうな「世界観」に吸い寄せられてしまう。

「ファシスト運動であれ、共産主義運動であれ、ヨーロッパの全体主義運動の台頭に特徴的なのは、これらの運動が政治的には全く無関心で愚かな大衆からメンバーをかき集めたのである」とアーレントは語ります。

これこそが全体主義の起源であると。そんな時人は強いカリスマを渇望します。

※余談ですが、戸塚ヨットスクールという学校があった。問題児であった青少年を厳しい訓練で立ち直らせるという教育で成果をあげていた。しかし、死亡事件が起きてバッシングにあった。教育論としての是非はともかく、故小室直樹氏が「青少年をアノミー(無規範)から救うことで立ち直らせた」と説明されていたことが記憶にある。問題行動を起こす原因がアノミーだった場合は治るのでしょうが、そればっかりとは限らないのでしょうね。

・そして全体主義は、自己を徹底的に破壊し、最終的には「人格」をも奪っていきます。あのアイヒマンのように。

「彼(アイヒマン)は愚かではなかった。単に無思想なだけ。これは愚かさと同じではない」(アーレント)

(6)最後に

進歩改革・個性尊重・個の輝き・因習破壊などの美辞麗句を掲げて、心の支えであってきた家族・共同体とそこで育まれる価値・伝統・思想を破壊し、個人を丸裸にすることで、人々の不安を煽る。これが全体主義者の戦略になりうるわけです。今、サヨクが全世界で推進しているアジェンダがまさにここにあります。
ヨーロッパはこの意味で地政学的にも不幸でした。島国で君民一体で国を紡いできた日本は直接的な影響は少なかったのが幸いしてます。しかし、移民だとか個人主義だとか新自由主義だとか、「欧米化」を植え付けられ、疑似欧州になりかけていないでしょうか。