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踊り、踊る、阿波おどり

こんにちは。
フリーでライフコーチをしているまさみです。



私は趣味で、阿波おどりとフラをやっています。

阿波おどりを始めたのが20代後半、
東京の高円寺に住んでいた時で、
かれこれ18年くらいになるでしょうか。

フラは、震災後に地元に帰ってから始めたので
10年程。


我ながらこんなに長くやっていることに
驚きです。


私は子どもの頃、
体育が全くダメで、足も遅いし、
球技もからっきし。


跳び箱が跳べずに、
居残り練習をさせられてたし、
持久走大会はビリグループの常連で、
ドッジボールをやれば、
ボールが怖くてしゃがみ込むから、
外野にとっては当てるのにおいしい奴でした。

唯一人並程度にできたのは、水泳とスキーだけ。


どちらも小さいうちから両親に連れられて、
海やプール、山に行って
やっていたからそれなりにはできたのでした。


でも、今は全くやっていません。

スキーはやっぱりスピードが怖いし、
雪山は寒いから、
大人になって、自分でわざわざ行く気に
なりませんでした。

水泳も部活をやめてからは
ほとんど泳がなくなりました。


スポーツとか趣味とか、
やらなきゃいけないことじゃないから、
やっぱり自分が好きじゃないと
続かないものなんですね。


そんな私が、大人になって、
踊りに出会ってハマりました。



阿波おどりとの出会い


東京で暮らしている時に、
たまたま引越しした先が杉並区で、
阿波踊りのお祭りがある高円寺だったんですね。


初めて見た阿波踊りのカッコよさに見惚れて、
私もやってみたいなと思いました。


もともと日本的な文化に触れたい、
関わりたいと思っていたからなのか、
阿波踊りにビビッときたんですね。


ただ、どうやったら
踊りを始められるのかわからなくて、
何年かは「見る阿呆」で過ごしました。

当時、杉並区の手話サークルに所属していて、
手話を勉強していたのですが、
杉並区の聴覚障害者協会の人たちと一緒に
踊る阿波踊りの連(チーム)があって、
そこで毎年夏の高円寺のお祭りに
参加するメンバーを募集していたんですね。

それを知って、すぐ参加申込みしました。


私には運動神経はないと思います。

体育もダメだったから、
自分にスポーツは合わないと思っていたし、
体を動かすことは自分と関係ない世界と
思っていました。


それなのに、それなのに。

踊りは違いました。


スポーツと一緒で、体を動かすことなんだけど、
競争する世界じゃないのが良かったのか、
音楽と一緒になって
体を動かすのが良かったのか、
表現するという部分が良かったのか、
とにかく今でも続いているくらい
好きになりました。


初めて踊った高円寺のお祭りでの
高揚感が忘れられません。

今思えば、踊りはロボット状態で、
目も当てられないお粗末なものだったし、
2日間のお祭りが終わった後、
私の足の親指の爪は壊死してました。

生え変わるのに半年かかりました。

足の親指と人差し指の間、
ちょうど下駄の鼻緒が当たる位置は、
皮がむけてベロベロでした。


でもそんなことも吹き飛ぶほどの
気持ち良さがそこにはあったんだと思います。

翌年も懲りずに参加の申し込みをしていました。


初めの年はなりふり構わず、
練習についていくのに必死でしたが、
2年目ともなると、少し余裕が出てきて、
自分の踊りがどんなもんかを
自分で省みることができるようになりました。


自分がロボット状態とそこで初めて知って(遅!!)恥ずかしくて
一生懸命練習したのを覚えています。



自分を知り、踊りの奥深さを知る


運動神経がないと改めて痛感したのは、
指導してくれる人の動きを見て、
自分も同じように動いているつもりなのに、
全く動けていなかったりとか、
手をこう動かしてと言葉で説明を受けても、
そのように体を動かせないことを
知ったからです。


できる人は、言われたら、
そのように体を動かせるんですね。


私にはできませんでした。

スポーツをやってきていなかったから、
どの筋肉を意識すると、
どういう動きになるのか、
自分の体の動かし方が
全くわからなかったんですね。


東京の連で6年踊って、
地元に帰ってきて、仙台の連に入りました。

自分のことを経験者と思って入ったんですが、
私の踊りはまだまだでした。


東京の連は、聴覚障害者の方たちと
楽しく踊るが目的になっていたので、
阿波おどりの踊りそのものの追及は
そこまでされていなかったんですね。


自分の中で踊れていたと思っていた踊りは、
まだまだ未熟な踊りでした。


より美しく踊りを魅せるためには、
体の軸を残して体をひねって
立体的に踊らないといけなかったり、
足の運びや手の使い方も
全然なってませんでした。

仙台の連でまた一から踊り方を叩きなおして、
今年で12年目。

それでもまだまだ自分の踊りに
納得はできていません。

もっとよくできると思って日々鍛錬です。

奥深いから続けていられるのかもしれません。



変人のなせる業


はっきり言って、
趣味で踊っている人は変人です。


自分で言うのもなんですが、
趣味で踊っても1円もお金になりません。

むしろ、持ち出しがあるし、
自分の時間も労力も提供していく活動です。

もちろん、
それを上回る感動や楽しさがあるから、
続けているわけですけども。


大人になると、
仕事だったり、家族のことだったり、
踊りに自分の時間や労力やお金を
使える人は少なくなります。

だから、やる人自体が少ないし、
続けられる人も少ないです。

趣味は、仕事じゃないので、
続ける義務がなく、いつでもやめられます。

踊りが好きでも、
所属するチームのメンバーと折が合わなければ、
楽しく続けられないし、
ライフステージが変われば、
趣味の時間の確保も難しくなります。


阿波おどりの歌に、
「踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 
踊らにゃ そんそん」
というものがあります。


踊りなんて生きていくのに
必要なものじゃないんです。

だから、
それをやる人、やり続ける人は
基本的に変な人なんです。


変なこと(必要のないもの)に時間を使うなら、
外から見てるんじゃなくて、
中に入って面白がった方がいいよねって
ことだと私は受け取っています。


私が踊りを続けられたのは、
続けられる環境があったから。


特に家族ができてからは、
自分だけの力ではなく、
協力してくれる家族のおかげと
感じています。


学生時代に運動神経が良かった人たちも、
大人になって踊りをするような変人は
少数派なので、
そもそも運動神経いい人が
踊っていないんですね。
(もちろん踊っている人もいますが、
割合として少なくなっていると思います)


だから、私みたいに運動神経がない人でも
大丈夫なワケ。

続けていくうちに
体の使い方が徐々にわかってきて、
段々と踊れるようになっていくような人間でも、
踊りのメンバーとして重宝されるわけです。


特に、仙台は、阿波おどり人口が少ないため、
踊るだけですぐに日の目を見ることができます。


こんな私でさえ、
今では新しく阿波おどりを始める人に
教える立場になり、女踊りを取りまとめる役目を
するようになりました。


踊りの価値を再認識


そんな踊り人生の中で、
ここ数年は厳しい時期でした。


コロナ禍で、
集まって練習することもままならないし、
ましてや踊りを披露するイベントも
開催されませんでした。

私の場合、コロナ禍前に、
息子を妊娠、出産していた時期も
お休みをしていたので、
しばらく踊りの無い夏を過ごしてきました。


しかし、去年秋口から年末にかけて、
舞台で踊る機会が増えてきて、
阿波踊りを人前で踊ることができました。


あぁ、踊れるって幸せなことなんだなと
噛みしめることができました。


そして、今。

阿波踊りは夏が本番です。

今年の夏は
お祭りが開催されるかなぁと
期待していましたが、
仙台七夕まつりでは、吹流しの飾りつけだけで、
広場でのイベント等は開催なしとのこと。


仙台市と徳島市は観光姉妹都市で、
毎年徳島から阿波おどりの選抜メンバーが来て、
一緒に吹流しの下を踊るという
イベントが開催されていたのですが、
今年もそれは無し。


ただし、他のお祭りは開催されるものも
出てきて、段々と出演依頼が舞い込みました。


踊りの夏が始まる!!


しかし、
コロナの影響がなくなったわけではなく、
メンバーの中には、
医療関係、福祉関係の仕事をしている人もいて、
練習やイベントに参加しづらかったり、
また、メンバーの個人的な事情
(仕事、家庭など)で
入れ替わりもあったりして、
万全な体制とは言えません。


それでも、出演の機会はあるなら、
踊りたいのが踊り手。


今できるベストを尽くすしかないわけです。


今は踊ることが厳しいメンバーも、
いずれ世の中の状況や、
個人的な事情が変われば、
また踊れるかもしれません。


現に私も妊娠・出産の間休んでいて、
でも連としての活動は続いていたわけです。

連の活動が続いていたからこそ、
自分の状況が落ち着いて、
また踊りたいと思ったら戻れました。

そう戻れる場所があったのは、
私が休んでいた期間も
踊り続けてくれていたメンバーが
いたからなんですよね。


だから、今厳しい状況だけど、
踊り続けようと思うのは、
帰ってこれる場所を残しておきたいという思いも
あるからなんです。


人生に別の軸を持つ意味


私が阿波おどりを続けてきた18年の間に、
私は、いろんな仕事を転々としてきたし、
結婚して、DVを受けたり、うつになったり、
最後には離婚して、住む場所も変わりました。

再婚して、子供も授かって。

こうやって見るとめまぐるしく
私のライフステージは変化してきました。


そんな人生の山や谷を経て思うのは、
踊りという自分の人生の別の軸が
あったからこそ、
助けられた部分もあるし、
踊りでうまくいかないことがあっても、
自分の別の側面があったからこそ、
腐らずに続けてこれたと思っています。


持ちつ持たれつ。


人間とは単純な生き物ではないのです。

お金にならない時間や労力も、
意味のないものではないと実感しています。


もし、今、仕事と家の往復しか
していないと気付いたあなた。

ぜひそれ以外の場所で
違う自分を見つけてみては。

きっと人生に新しい彩が生まれて、
生きることに張り合いが出ると思います。


自分が好きなことは、
苦手だと思い込んでいることに
まぎれているかもしれないので、
これだと思った直感を信じて、
ぜひ門をくぐってみてください。


趣味は、違うなと思えば、
いつでもやめられます。

気軽に試してみてね。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

【自己紹介】

人生を「面白がる」人/ライフコーチ
自分ではどうしようもない制限がある中でも、
幸せを感じることができる未来を
手にできるようにお手伝いします。
辛い経験(DV、離婚など)を
乗り越えてきた私だからこそ、
自分の弱さを認めた上で行動することの
意味、大切さがわかります。

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仲良くなれるのは、こちら。

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