見出し画像

透明な感情

大人になってからも読書感想文はすごく苦手である。ウッとなる。夏休みの宿題の最後はいつも読書感想文が残っていた。

というわけで、去年、文学学校の宿題(?)で書いた読書感想文。
何か書こうと思うのだけれど、今、どうしても書けないので掲載しておきます。今読んでもなんか恥ずかしいです。


透明な感情 (川上弘美 神様 を読んで)

恥ずかしいことに川上弘美さんを知ったのは割と最近のこと。いつだっただろうと読書記録を見返してみると、去年の六月に『おめでとう』を読んだのが初めての川上さんデビューだった。それから『溺レル』そのつぎは九月に『神様』を読んでいた。最初に読もうと思ったきっかけは全く覚えていないけれど、どうしてもっと早く読んでおかなかったんだろうと思った。
『神様』に収録されている〈神様〉と〈草上の昼食〉は、わたしとくまが登場人物(熊は人物ではないけれど)で、くまはくまなのに、礼儀正しく、古風で、信心深い。人よりもよっぽど人らしく、丁寧で気遣いもでき、これがもし人だったらお話にはならないだろうなと思う。それでもくまはやっぱりくまなので、わたしとくまの間には大きな隔たりがあるのだろうと想像できる。ピクニックでくまとわたしは同じものを食べているけれど、その他に共有できることは少ないだろう、だって、くまなのだから。
くまの息づかい、体温、毛並み、声。
タオル、まな板、包丁、手の込んだ料理、言葉遣い。
くまのくまらしさ、くまの人間らしさ、主人公はどちらをどんなふうに感じていただろうか。
どうしてだかわたしはくまのくまらしさに惹かれてしまう。吠えているシーンなんかはこわいけれど、くまがくまであるということに気づいて、そしてやっぱり好きだなと思う。
川端康成の『雪国』の中に、こんなフレーズがあったのをふと思いだした。

ーー熊のように硬く厚い毛皮ならば、人間の官能はよほどちがったものであったにちがいない。人間は薄く滑らかな皮膚を愛し合っているのだ。

官能的に感じてわたしはとても好きなフレーズだったのだけれど、〈神様〉を読んでしまうとこれに反論したくなってしまう。と同時に川上さんがなぜ他の動物でなくてくまを選んだのか、わかるような気がした。
さっき、くまとわたしでは共有できることは少ないと書いたけれど、大事なものがあった。
神様である。神様とは便利である。自分のことでも人のことでも相手がくまであっても、自由に祈ったりお願いしたりしてよい。けれど、どうでもいい人のことをわざわざ神様にお願いしたりはしない。自分以外のことを祈るとき、そこに宿るものは万物共通なのかもしれない、と思ったりする。出せない手紙もヘタクソな絵も、わたしとくまの間に流れているものは、未熟で不安定なものだからこそ、純粋で透明な何かなのだろうと思える。
川上さんの小説に流れる、そんなものがわたしは好きなのだと思う。


#読書感想文 #川上弘美 #神様 #読書 #小説 #短編集

この記事が参加している募集

読書感想文

いただいたサポートは創作活動、本を作るのに使わせていただきます。