見出し画像

自分が何者かを追求して約20年。読んで会って行き着いたところ

あれはショックだった。

学生時代のこと。誉めの天才とも言われたある先輩と、私を含む後輩4人で食事に行った。何の文脈かは忘れたけれど、そこで先輩が後輩1人1人の魅力やキャラの“味”を語りだした。1人目、2人目、3人目……。優しく的確に各人の特長を指摘する先輩のさまは、まさに妙技だった。が、最後わたしの番になった時、先輩が腕組みをし黙ってしまった。で、こう告げた。

うーん。正木はな、何て言うかな。難しいんだけど、きっと良いところがあるんだよ。今はそれは現われにくくわかりにくいんだけど、でも良いところはあるはず

私は傷ついた。思春期から大学生になるまで、私にも当然「俺って何なんだろう」「俺に取り柄ってあるのかな」と悩む時期はあった。しかし、この出来事ほど自信喪失に拍車をかけたことはなかった。大好きだった先輩からの言ゆえ、なおさら。。

いまの私に通じる2つの大きな要素

トークがオモロイやつ。気が利くやつ。賢いやつ。リーダーシップが図抜けたやつ。技術に長けたやつ……。魅力的な人は周囲にたくさんいた。私は残念ながらそのどれでもなかった。「何者でもなさ」が20歳くらいだった私の一番の悩みだった。

しかし今は違う。そういったことで落ち込むことはない。まあアラフォーにもなると普通そうなのかもしれない(どうでしょう)が、遠慮のない表現でいえば、今の私は「自信」に関心がない。

なぜ、そう変わったのか。変われたのか。要因は2つある。

一つは読書人との出会い
もう一つは、自分が意外な努力家だったことだ。  

画像1

大学3年の時。慕っていた読書家の先輩のようになりたくて書物を手に取った。それまで読書経験はほぼなかった。宿題で感想文を書くために「まえがき」「あとがき」を読むのが関の山。通読経験はゼロ。大学の専門は宇宙工学で、数学は好きでも人文系に親しみはなかった。しかもその先輩は「学生時代に500冊くらいは」と常々言っていた。

学生時代に挑んだ1日1冊読書

ということで私は「大学卒業までに500冊読み切ろう」と決めた(単純)。大学3年夏のその時点で、卒業までの日数は約500日だった。実質「1日1冊」の挑戦。だが、絶対にやりきると決めた。自分の「何者でもなさ」から脱却しもしたかったし。

最初に触れたのは吉川英治だった。選んだのは『宮本武蔵』。高校時代に読もうとして挫折した本だった。未知の作品でないことは安心材料になる。また、剣術の天才みたいな武蔵像も何となく持っていた。活字に不慣れな自分でも読める程度の文体でもあった。さらに偶然にも、同時代に漫画家・井上雄彦氏が『バガボンド』で武蔵の描き直しをしていた。ファンだった私はそれに後押しされた。

だが、ことは容易ではない。私は、あの読みやすい本の第1巻でさえ何と12時間もかけて読んだ。徹夜で。どんだけ読めないの。

それで結局、寝ても覚めても読書を続けることになった(そうした)。活字との葛藤。登場人物が覚えられない苦しさ。でも、歩きながら読書。食べながら読書。電車バスの中で読書。待ち時間読書。トイレ読書。寝る前読書。つまり、全すきま時間読書。1日1冊が間に合わなそうな時は6畳一間をグルグル歩き回りながら読む徹夜読書もした。

気がつけば、卒業日に534冊目を読了していた(この時の延長で今もカウントを続け、2020/5/3時点で12,752冊に)。

当初、読書はマジでつまらなかった。しかし534冊読了した時には、私は読書の虜になっていた。この経験は人生の分水嶺になった。  

読書は活きる。「こんな時に?」という場面で

読んだことが何に活きたか。まずは仕事だ。新聞社に入社し、私の記者人生が始まった。モノを書く時、得た知識は当然役に立つ。加えて、資料の読み込みも探索も同僚に比べ飛び抜けて速くできた。私の私による私のための急進的な「読書家」化計画のおかげだ。私は、わりかし短期間で、職場内での「色々知ってる若手」としてポジショニングできた。

画像2

また、「知」そのものは人間関係を作る武器になる。20代前半、私は経営者・ビジネスマン・メディア関係者の集いや懇親会に顔を出して人脈を作った。その時に役立ったのが知識である。相手が誰であろうと何を話題にされようと、大抵のことは具体的に返答ができた。そういう“若造”は案外、経営者に好かれる。金融が話題になればゴールドマンサックスやJ.P.モルガンの戦略的凄さを私が語る。その姿を見て、当時まだ勤め人だった森永卓郎氏(現・経済アナリスト)が「そこまで知ってる若者は、まずいないよ」と驚く、みたいな。

「知」は相手との会話の回路を作るのに役立つ。相手とやりとりをする時の懸け橋や土台になる。こうして私は、財界から芸能界まで人脈を広げながら「巧みなしゃべり手」にもなっていた。それまでの私は「何を話せばいいかがわからない」というフェーズで苦戦するレベルだった。笑いも全くとれない、お世辞にも話がうまいとは言えないキャラだった。それが知のおかげで会話=得意分野にまでなった。もちろんその影響で「膨大な人脈のハブ」にもなり得たし、専門家やプロ同士の出会いをつくる「人と人のつなぎ屋」にもなった。

知に特化したポジションへ。そして生まれる自信

読書は私に自信をくれた。

それとともに、自分に自信をもたらしたもう一つの要因、「自分が意外にも努力家だったこと」も「自分は何者か」を問う時の大きな武器になった(自分で言う。(`・ω・´)キリッ)。しかし、その才能もまた読書を始めなかったら自覚できなかったかもしれない。そう思うと、読書人、また良書との出あいの力は計り知れない。

文学から始まった読書は基本、乱読である。それでも特別あげるとすれば、学び続けたのは「哲学」と「仏教」だった。自然とそうなった。そして30歳過ぎには、私は「哲学・仏教といえば彼」というくらいのポジショニングができた。メディアに関係していたから、それなりに仏教の側面で業界にも知られた。どれくらいかというと、テレビ出演するある学者先輩が、収録直前に「これからテレビなんだけど、『なぜ仏教はインドから東にだけ広まって、西にはほとんど広まらなかったんですか』って聞かれたら、正木くんならどう答える?」と電話で意見を求められる程度に、である。

画像3

その時にはもう「自分は何者か」という問いは抱かなかった。別に答えが出たわけではない。今でも「自分は何者か」と考えたらよくわからない。だが、とりあえずアラサー男子の当時の私にとって問いは切実さを減らしていた。

意外なところから再び問われる「自分は何者か」

ところが36歳でIT企業に転職し、昨年、副業ライターとして書く段になった時に困ったことが起きた。編集者から「正木さんの肩書きですけど、何にしますか?」と聞かれた時に「え?」となった。編集者は二の句で「あ、つまり、例えば何の専門家なのか、とかなんですけど……」と。私は唸ってしまった。

専門、何だろう。いちばん詳しいのは仏教。次に哲学だ。が、もし私が物書きとしてスタートするなら、やはりビジネス誌からになる。仏教・哲学とビジネスを融合させた文は魅力があるかもしれない。それで書こうかと一瞬は思ったが、最初からそれで売り出すには無理があるとも思わずにいられなかった。需要がなさそうだと率直に感じたからだ。それなりにファンが得られた状態で哲学云々を始めないと、先が難しい。かといって元来の専攻だった宇宙物理学というのもナンだ。当然ITの知識で専門家と名乗るにも無理がありすぎる(当時、IT歴1年半)。そもそも仏教も哲学も社会学も経営学も組織論も人類学も歴史学等々も到底「専門」といえる程ではない。「研究」という水準のことは何もしていない(仏教については、懇意にしている東大名誉教授から「学者並み」と言って頂いてはいるが、私に確信はない)。

困った末、結局私は「会社名のみ。専門の肩書き無し」でデビュー。執筆の場は「専門家コラム」なのに何の専門でもないという……。しかもそのメディアは創刊したばかり。ビジネスに新しい風を吹き込むコラムに、似つかわしくない文体を私が紡ぐ。ビジネス関連ではあるが、内容も重い(以下がその記事。6000字ほどあるので、別で読んで頂けたら嬉しいです)。

これは読まれないだろうなと思った。が、意外にも「549」の「いいね!」がついた(2020/5/3時点。皆さんありがとうございます)。

俺の専門って? 何もない??

とはいえ、デビュー後も「自分の専門は何か」という問いはつきまとった。ダイヤモンド・オンラインで初めて書く段になった時も、肩書きの考案に苦心し、結局「読書家にして実践・思索家の」という枕詞をつけてもらって自身を修飾した(編集者さん、困らせてしまい申し訳ございません)。最新の記事でも肩書きは未だ明記されていない。

画像4

学術の分野にもあることだが、「どこの大学や研究機関にご所属ですか?」という問いにきちんと応答できることには一定の威力がある。「自分は〇〇です。」と言える何かを持つことが有用な世界がある。ビジネスの世界がまさにそれで、だから、とある雑誌で書評した『在野研究ビギナーズ』の著者・荒木優太氏の考えに私はとても共感する(書評のリンクは下方)。

結局、私は何がしたいのか? 実はそれは明確だった。「アカデミズムの入り口に読み手を案内すること」だ。私自身はアカデミックなレベルで何かを述べることはできない。だが、魅力を伝えることはできる。私自身がアカデミズムに痺れているので、痺れを言語化し、読者の興味関心をおこし、水先案内人としてアカデミズムの世界へお連れする。その役目を負うことはできる。しかしピッタリな肩書きがない。

そんな中ある編集者からこう言われた。

ないのであれば、作ってしまいましょう

「ああ、そっか。作ればいいのか」とすぐに納得した(謎)。で、さまざまに思考をめぐらせつつ案出したのが、現在FacebookやTwitterのプロフに記載している「知の越境家」という肩書きである。

ぴったりな肩書き。ないなら作ってしまおう

かなり大胆な名乗りなのは重々承知だ。それを、誰に断りもせず勝手に名乗り始めた(ただし、この呼称は志しているものとして基本的に掲出していく)。発想元は、先に言及した東大名誉教授の一言だった。「正木くんは特化した知識も持っているが、何と言っても特長的なのはそのカバー領域の広さだ。越境的に知を運用できれば、ビジネスの世界から出発して、アカデミズムにも良い影響を与えられるかもしれない

「越境」という語が頭から離れず、身に過ぎた名称と自覚しつつも、名乗った者勝ち的にこのたび旗揚げした。しかし「越境」というよりは「つなぎ」の方が語感には近いかもしれない。「主」は自身の経験知、なまの人間の経験を知と結びつけること。その上で、分野の違う学問同士の間にそびえる山脈を乗り越えるような高みに行くのでなく(そんなことはできないし)、あくまで別々のジャンルにある知を「つなぐ越境」に徹する、知の越境家。それは以下をもといとする。

・広範な領域にそれなりの知見を持つ
・別々の文脈に置かれた知と知の組み合わせを考案できる
・それを一つの物語にまとめられる
・難解な概念をわかりやすい比喩に置き換えできる
・知的な人と人をつなぐ

幸い、これらに自信はある。もちろん、こういった仕事に批判的な人がいることは知っている。にわか知識で「よくわかる」を謳い、文を編む書き手を嫌う人もいる。だが、アカデミックな世界と一般人を「つなぐ」人が社会には必要だ。そして今の日本にそれを担っている人が(特にビジネスの分野で)ほとんどいないことを私は知っている。

目標が似ている人をYouTuberから一人あげるとしたら現状では中田敦彦さんになるだろう。半可な知識で炎上もしている彼だが、やろうとしていること、それがニッチであることは彼も私もよく理解している。だから、いま空いているポジションに自分が位置してしまおうと。それで学問に、人類の知的蓄積に、それを教えてくれる書籍に、読書に、敬意を表現し続けられたらいいなと思う。

どうなることやら。

「知の越境家」を温かく見守って頂けたら幸いである。

 ▼▼ 荒木優太『在野研究ビギナーズ』明石書店、拙書評リンク ▼▼





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?