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無惨な生活。もう手遅れ? そんなことないんだよ|連載『「ちょうどいい加減」で生きる。』うつ病体験記

うつ病の人は、決してサボっているわけでも怠けているわけでもありません。力がでてこず、倦怠感にさいなまれ、思考をうまく働かせることができず、他の能力も低下しているのです。だから「やろうと思ってもできない」。気力すらわいてこないのです。でも、見かけ上、病気だと見られないときがあるので、人からは「怠けてるだけじゃないの?」と言われることが結構ありました。苦しかったです。

「このままじゃ人生詰む」という焦りから復職

もしやる気が出るのなら、私は頑張りたかったです。働けるなら働きたかった。復職に初チャレンジするときの私はそうでした。体も少しは動かせるようになった。なら働こう、働かなきゃ、と思いました。

ただし、私の動機のなかに「焦り」があったことには注意が必要でした。同期入社した同僚たちが実力をつけ、昇進していくのを横目に、焦燥感を抱いていたのです。うらやましいとも思ったし、うつ病になった自分を恨みました。当然ながら仕事への自信はありません。何もかもが手探りです。失敗だらけ、傷だらけ。仕事は、そうそう担えません(任せてもらっても、できないわけですけれど)。しかも、たとえば受講する社内研修などは年下の後輩たちと一緒です。情けない気持ちにもなりました。でも――それでも、働けないことを想像すると恐怖する自分がいました。このままでは「人生が詰んでしまうのではないか」と復職にしがみつく自分がいました。

必死になっていたのですね。焦りが、そうさせていたことは明白です。

今から考えれば、この「焦り」が、私のうつ病をこじらせていたとわかります。早く第一線に復帰したい。早くみなに追いつきたい。早く病気を治したい。切なる願いではあるのですが、焦りによって私は、仕事でも生活でも激しい浮き沈みに遭うことになります。

もし、いま現在の私が復職当時の私に声をかけるとしたら、何と話しかけるでしょうか。

無惨な生活……すべては手遅れなのか

そう思ったときに、私は、かつて「質問箱」と呼ばれる匿名質問アプリ(リンクは下方)に寄せられた相談に答えたある内容を、ふと思い出しました。かつての私は、同アプリでも人生相談に乗っていたのです。以下に、その相談内容と返答文を(当時のものからアップデートして)掲載します。これがいまの私の答えに代えられる気がします。

Q.今年49歳になります。長らくうつ病です。仕事もロクにできず、親の介護も始まります。無惨な生活にすべてが手遅れだと感じています。

A.(私の回答) 質問者さまは、うつ病を長年患われていて、周囲が年齢相応の生活をしているのを見て、みじめさに涙されているのでしょうか。悲しい心境ですよね。さらに、親の介護も始まろうとしている。どうしても、ネガティブになってしまう。悲嘆が、私の胸をうずかせます。「こんなはずではなかった」という心中、ほんとうにおつらいと思います。うつ病が、環境が、今の状況をつくりだし、にっちもさっちもいかないところまで来ている。そのわびしさ、私にも一分がわかる気がします。

"現状"は「できない」ことだらけ

私がうつ病になったのは、社会人になったばかりのころでした。そこでズッコケて、キャリアアップも絶望的に。周囲が「正木は終わった」と噂しているという話も耳にしました。嘘ではなくほんとうに10万回くらい「死にたい」と考えたと思います。親にも心配をかけたし、精神病棟にも入った。長年、家に引きこもっていたときも、何の生産もせずに飯だけ食っている自分がいるわけです。存在していることが社会にとって負担でしかなく、迷惑だと感じていました。

ところが、です。私はいつしか、心のなかにわずかな支えを感じることができるようになりました。何が契機だったか? これだという原点みたいなものはありません。ただ、ほんとうにわずかな、ほんとうにわずかな喜びを感じられるようになっていったのです。おそらく、病気が回復してくると、自然に出てくる情動なのだと思います。

それで、何が自分の支えになったかというと、「できないと思っていたことが、できた」という些細なことです。うつ病のときは、顔も洗えない、歯も磨けない、洗濯もできない、テレビも見られない、読書もできない、電車にも乗れなければ約束ごとも覚えられないといった「ないないづくし」でした。

それが、一つ一つゆっくりと「できない」が「できる」になっていったのです。自分の顔をひさびさに鏡で見ることができた。それ以前に、まず鏡の前に立つことができた。嬉しかったです。また、やがては歯ブラシを持つこともできるようになりました。何と、歯を磨こうと思えたのです。伸び放題だったヒゲを剃ったときには、自身の顔の変貌に驚くとともに、何か「まともな表情になった」ような気がして涙がでました。

わずかな喜びを抱きしめて

その後も、風呂に入れた、覚えておくべきことを忘れなかった、約束を守れた、散歩ができるようになった、散髪に行けたといった体験をかみしめました。カタツムリのような速度ではあっても、「できた!」が増えていきました。これらすべてが、徐々に「確かな喜び」として感じられるようになった。希望は、待ってみるものですね。

歯ブラシを持つことができた(というだけ)で喜ぶ。ふつうに考えたら、変わっていると思われるかもしれません。うつ病が酷いときなら、もしかしたら「こんなことで手こずっている俺はクズだ」と思うかもしれない。しかし、それが喜びに感じられる瞬間もできてくるのです。私は、わずかな喜楽(きらく)の感情をかみしめました。自分のなかに「生きていてもいいのかも」という気持ちを育てていきました。薄紙を一枚一枚はぐようにして、1ミリでもいいからと「進んでいる」という実感を大切にしました。

些細なことでも積み上げれば自信になる

おそらく心構えとして肝になるのは、日常のなかにわずかに芽吹く楽しみや喜びを拾い上げて、積み上げていくことなのだと思います。ちょっとした朝露の美しさに、はたと目をとめ、ときめくような感じを大事にすることです。

「えっ。そんなこと?」と思われるかもしれません。つまらない回答かもしれません。でも、やってみてほしい。変わります。

私の場合、読書が良い例でした。私はうつ病の影響で3年ほど本が読めませんでした。活字を見ても頭に入ってこないのです。でも、ある日突然、一文だけ読めるようになりました。それが数十日後には1ページ「も」読めるようになった。ほんとうに久しぶりにページをめくった瞬間の喜び、忘れません。私はそれを記録にとっておくことにしました。日記みたいなものですね。「3年ぶりに1ページ読み切れた自分に感動!」と。1日1行でもいい。1節でもいい。とにかく喜びを"日記"に刻印しました。途中、サボったり、三日坊主になったりもしましたけれど(笑)、その「積み上げ」がある程度に達したとき、私は自分に少し自信が持てました。何カ月も"日記"を書いていると、見た目にも積み上がりがわかりますから、努力の軌跡みたいなものがハッキリし、また「こんな自分でも何かやればできる」といった自負も生まれ、自信につながります。

人と比較すれば「1ページ読み切れた」なんてまったく大したことはないと見做されるかもしれません。ですが、自分にとっては大ごとだったし、ドラマだった。それを自分でしっかり「ドラマとして」受け止めようと私はひそかに決めたのでした。

(つづく)

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