迷惑なんてない。遠慮なく「助けて」を叫ぼう|連載『「ちょうどいい加減」で生きる。』うつ病体験記
「誰も自分を必要としていない」「居場所がどこにもない」――自殺が未遂に終わって、私は一度は「生きよう」と思いました。ですが「死にたい」衝動はかんたんには晴れません。たとえば、季節が春から夏になったころのことです。ほとんど外出できなかった私でしたが、深夜帯だけは散歩ができるようになりました。適度な運動で気分転換ができればとも思ったのです。しかし……川沿いを歩きながら、心が死に揺れるのを感じました。どうしたらいいか、正直わかりませんでした。
死の淵にいるときに支えになったのは友だち
うつは、長いトンネルにいるようなものです。トンネルのなかは真っ暗で何も見えません。不安です。恐怖です。私は壁伝いに歩きますが出口は見えない。長く歩きすぎて、私はやがて「このトンネルには出口がないのでは」と思うようになります。出口を探しているのですから、心の奥底には「助かりたい」という衝動が確かにある。けれど、ふとすると「もうこの病気は治らない」と絶望して、ついつい希死念慮(きしねんりょ)にとらわれてしまう。
そんなときに支えになったのが「友だち」でした。
繰り返しになりますが、うつの症状が酷かったとき、私は電話に出ることができませんでした。携帯電話が鳴るたびにビクッとして、通話どころではなかったのです。友だちとの関係は断絶していました。着信履歴を見ることも怖くてできません。ですが、徐々に電子画面が見られるようになると、「あ……こいつ(友人)電話してきてくれてたんだ……」と、何件かの履歴に目がとまりました。私はこのとき初めて友人に「助けて」を言うことになります。それまで私は一度も「助けて」という悲鳴を他人に伝えたことはありませんでした。今から振り返れば、当時の私は自分で勝手に孤立していたのです。
「正木が死んだら正木に会えなくなるじゃん」
友だちはすぐに私のサポートに打ってでてくれました。ありがたかったです。あまりにも嬉しくて、私はこのとき自分を支えてくれた友人の氏名を薬袋にメモして、生涯忘れないようにしようと決めました(薬袋は、闘病の証しとして大切に持っていました)。当時の私は記憶力が減退していて、すぐにものごとを忘れてしまうので、記録するようにしていたのです。幾人かの友だちが、病気のことなどまるでないかのように自然と接してくれました。胸に響く言葉もかけてくれました。
「お前がどんな状態になったって、俺は変わらないよ」
「死ぬことだけは、ダメだからね。こうやって、会いたいから正木のところに来てるのに、死んだらもう正木に会えなくなるじゃん」
ギシギシと心がきしんで、悲鳴をあげているときに、そっと寄り添ってくれる友がいるだけで、環境は一変します。友だちの存在にはそれほどに意味がある。「ちょっときついわ……」「じつは、つらくてさ」「苦しいよ……」と語れる関係性があるのなら、思いきって頼ってみてください。人間関係の状況にもよりますが、これは友だち以外の、たとえば家族にも言えることでしょう。また、「そういった人間関係なんてない」という方にも、いまは支え合いのコミュニティがたくさんあります。繰り返しになりますが、そういう場に、ぜひ頼ってみてください。
苦衷のなかにいる人は「助けて」が言えない
ほんとうに苦しいとき、人は、場合によっては自身の殻に閉じこもって「助けて!」が言えなくなります。「迷惑だよね」「負担になっちゃうし」「心配かけたら悪いし」と思って、黙ってしまう。私も長らくそうでした。自死した人が出たときに、「何で相談してくれなかったの」と言う人がいます。そう言いたい気持ちはわかりますが、死にたい人が家族や友人・知人に相談することには、心理的なハードルがあります。電話に手が伸びない。そうそうかんたんに相談できないのです。ひょっとしたら「人さまに迷惑をかけてはいけません」という教育が、頼ることを躊躇させ、人を「頼り下手」にさせているのかもしれません。
でも、考えてみてください。誰に対しても迷惑をかけずに生きている人がいるでしょうか。私たちは「おぎゃあ」と生まれた瞬間からオムツ替えをしてもらっています。そんな感じで人は「支えられて」生きているし、逆のシーンもたくさんあります。お互いにある意味で"迷惑"をかけ合っている。いまうつ病でSOSを発する側になっている人も、別の時期には誰かのSOSを受け取る側になっているかもしれません。現に私が、そうなっています。人生をトータルで考えたら、ときに人に頼り、ときに人から頼られて、人は育まれ、生きているということがわかります。ここには「どちらかだけが迷惑」ということはありません。
「迷惑」ではなく「お互いさま」の思想で
こう考えていくと、じつは「人生って結局は『お互いさま』だよね」という考えに行きつきます。迷惑ではなく「お互いさま」の思想です。
しかも、人は案外頼られると嬉しいものです。「迷惑かな……」と思いつつも相談してみると、「迷惑なんかないよ。むしろ打ち明けてくれてありがとう」と相手が反応してくれるケースは多々あります。
とはいえ「なかなかそう割り切れるものではない」という方もいらっしゃるかもしれません。ですが、どうか、つらいとき、苦しいとき、悲しいときには、遠慮せずに「助けて」を叫んでみてください。「こんなことになったのは自分のせいだ」みたいに考えて自分を責めないで、とにかく人に頼って、そして助けてもらった際には、「迷惑かけて、ごめんね……」ではなく、「ありがとう」と言ってほしい。これが「お互いさま」の思想に通じる生き方です。決して独りにならないで。自分の殻に閉じこもらないで。そして――。
自殺は、絶対にダメです。どうか、生きて。
私は「お互いさま」という発想の大切さを、身をもって体感しました。そうは言っても、ほんとうの意味ですぐに悲鳴をあげられるようになるまでには、数年の時間を要しましたが……。
さて、そんな私も、少しずつ友人に頼ることができるようになって、また季節も移り変わって、体調が徐々に変化してくると、いよいよ「復職」という段階に入っていきます。私は合計で3年間強の休職をしました(途中で、ひとり暮らしの家は引き払い、実家に戻りました)。休職期間は何回かに分かれていますが、それぞれに復職シーンがあり、それぞれに大変でした。
特に、「周りから見たら元気そうに見えるのに、ほんとうは病んでいる」という自分の「見た目」と「内心の病状」のギャップにはとても苦しめられました。「ほんとうはやれるんじゃないの?」「頑張れるんじゃないの?」と言われることが、身を裂かれるように痛かったです。
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