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パニック障害・うつ病と診断されたあの日|連載『「ちょうどいい加減」で生きる。』うつ病体験記

本文中に、うつの症状に関する記述があります。そうした内容により、精神的なストレスを感じられる方がいらっしゃる可能性もありますので、ご無理のない範囲でお読みいただくよう宜しくお願い致します。

私がかかった施設は、東京・池袋の東にあるクリニックでした。80歳くらいに見える高齢の「おじいちゃん先生」が担当医でした。医師は、私を丁寧に問診していきます。また、体のさまざまな個所を触診していきます。診察は1時間強。単刀直入に医師が口を開きました。

「不安神経症でしょう」

不安神経症と診断されて

その言葉を聞いた瞬間、私は「なんだ、うつ病じゃなかったのか」と安堵しました。同時に"うつ認定"されなかったことにモヤッとしました。なぜなら、こんなに苦しくて心身が悲鳴をあげているのに「うつで休む」ことはできないのかと思ったからです(私の主観ですけれど……)。できれば「きわめて深刻ですね。今すぐ休職してください」と言ってほしかった。倒れたかった。それくらいに体感として"地獄"だったのです。私は複雑な心境になりました。

ちなみに不安神経症とは、不安や恐怖の感情が過剰につきまとい、日常生活に支障をきたしてしまう状態のことです。過度のストレスや疲れなどをきっかけに感情のバランスが崩れてしまい、理由に不釣り合いな不安と恐怖が出つづける。私はまさにこの症候に合致していました。

不安神経症――私にとって不可解な病名です。この診断につづけて、医師はこう説明しました。

「不安神経症は、うつ病を併発することがあります」

これが杞憂(きゆう)でなかったことは、こののちすぐに実証されてしまいます。

体調が急激に悪化。欲望の感度も狂う

処方された薬を飲む日々が始まりました。効果が出るまでに2週間はかかるとのことでしたが、効いている実感はなかなか出てきません。それもそうでしょう。これは私の不作為ですが、私は医師の指示をすぐに実践しなかったのです。忠告内容を大枠で表現すると、「生活リズムを整えて特に十分な睡眠をとる」「ストレスを避ける」の2点になります。ところが、このどちらにも私は十分に応じなかったのです。妙な責任感が働いて、たとえば仕事の量も、人生相談に乗る機会も減らすことができなかった。これが災(わざわ)いします。

まず、睡眠がとれなくなりました。何時になっても目がギラギラして、意識が飛ばない。気がつけば「一睡もできずに朝」ということがしばしば起こりました。また、食事の味もわからなくなります。まるで砂をかんでいるよう。ついには食欲もわかなくなっていきます。加えて性欲が減退していることも、ありありとわかりました。欲望の感度が狂ってしまったようなのです。

不安や緊張もあたり前。引きつづき電車には乗っていましたが、さすがに体がもたなくなり、駅でうずくまる日も増えました。ですが――仕事は? 妙なマジメさで、職場には行きつづけました。直属の上司はたいそう心配してくれましたが、私は「大丈夫です」「大丈夫です」の一点張り。心身がバラバラになるまで、このときすでに秒読み段階でした。

一つ、教訓があります。追い詰められた人に心配の声をかけたとしましょう。その際に相手から「大丈夫だよ」と返ってきたら、むしろそれは危険のサインかもしれません。私は明らかに、「大丈夫だよ」の一言を大丈夫でないことを隠す言葉として使っていました。

診断は「パニック障害・うつ病」に

不安神経症と診断されたのは2005年の1月のことです。それから1カ月が経ったある日のこと、不調がさらに急変します。

その日わたしは、久しぶりに実家にいて(何と、この時節になっても私は体調不良のことを親に何一つ打ち明けず、ひとり暮らしをしていたのです!)、ソファに腰をかけていました。何かの作業をしていたと記憶していますが、そのときです。突然、呼吸困難に襲われました。息を吸おう、吸おうとしても吸い切れない感じがします。あたかも海で溺れているかのようです。動悸も激しくなり、心臓が壊れそうな気がしました。血管が強く収縮しているからか手足もジンジンしびれています。私はパニックになりました。壁を這うように動いたり床をのたうち回ったり……。「これは……死んでしまうのではないか……」。そう恐れおののいていると、たまたま母が私を発見。

「どうしたの!?」

私は即、大学病院に運ばれました。

しかし、異常は見られません。母の手前ということもあり、私は心療内科にかかっていることを伏せました。「精神科にかかってみては」というコメントが医師から出てくることもありません。

結局、後日かかりつけのクリニックに行ったところで、私はやっと事情を報告。そこで新たな診断を受けました。病名は

・パニック障害
・うつ病

の二つ。医師から結果を告げられたとき、私は大きくうなだれました。ショックを受けました。矛盾するようですが、先日までの私の望みは「うつ病という診断がくだされたら、休みたい」だったのです。"うつ認定"されるのを待っていたはずでした。ところが、うつ病が現実になると私のプライド? 自信? のようなものがガラガラと音を立てて崩れました。自分の気持ちが、自分でわからない。正直、錯乱していました。

そしてここから、いよいよほんとうの地獄が始まります。

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