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1万円札が福沢諭吉から渋沢栄一になる前に言葉をつむぐ

2024年に紙幣が刷新され、1万円札が福沢諭吉から渋沢栄一に変わる。その一報を聞いた時、私は「また流行るかな」程度の軽い気持ちで学生時代ぶりに渋沢の著作を本棚から引っ張りだし、再読した。『論語講義』(講談社学術文庫)、これは面白い。特に渋沢の人物評や脱線話から感じられる彼の息遣いが良い。明け透けない物言いも一興だ。一方の『論語と算盤』、これは私にとって面白いものとは言えない代物だった。

思想書として楽しかったのは渋沢より福沢

ざっくり言えば『論語講義』は物語寄り、『論語と算盤』は理念と実践体系寄りである。『論語講義』は肉、『論語と算盤』は骨である。『論語と算盤』にも様々な小話が挟まってはいる。けれど、あまり面白くない。同書で示される理念系も、当時としては新しかったかもしれないが、今となってはむしろ「耳タコ」情報である(だが、それら理念の重要性は今も色あせない。普遍的である)。

私は彼の自伝・評伝の類いはあまり読んだことがないので、実業家としての活き活きとした彼の側面をあまり知らない。もしそれらを知った上で読んだのなら『論語と算盤』も「ああ、そういうことか!」とひざを打つコンテンツに変わるかもしれない。が、とりあえず思想書として「構えて」読んでしまった私には、スティーブ・ジョブズや堀江貴文さんの書々ほどには『論語と算盤』は楽しめなかった。身読するには、穿てるような姿勢や経験が必要なのだろうか。

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他方、思想書として読んでいて楽しいと感じるのは福沢諭吉である。例えば『明治十年 丁丑公論・瘠我慢の説』(講談社学術文庫)の中で福沢は「公」と「私」を論じている。興味深いのはその展開の仕方だ。例えば「国家」。普通は(現代人のわれわれなら)これを「公」として捉える。ところが福沢は「国家は『私』だ」と言う。なぜなら、国家といっても個々人が抱く想像の産物に過ぎないから。

人によっては「?」と疑問符がつく話かもしれない。しかし、幕藩体制から日本国家へとラディカルに変化する時代を生きた福沢にとって、国家はまさに「これから手応えある実在にしなければならないもの」「『公』を与えなければならないもの」だった。恐らく当時の日本人も(というか『日本人』という意識すら曖昧だった?)「ニッポン」という語の、新たな使い方における「手垢のついてなさ」を持て余していただろう。

国家に「公」の魂を入れる

しかし、国際社会は「国家」対「国家」、待った無しの世界だ。何となく「ある」ことにしている国家に実質を与えなければ「危ない」と福沢は考えた。現代的に言えば、そこにある建物を役所(議会)と見、そこで働く人を公務員(代議士)と見、そこで行う手続きを公的作業(国政の議)と見做す「根拠」を作らなければならない。

では、何が根拠たり得るか? 福沢の答えは「手本になる人物」だった。いま風に言えば「ロールモデル」と呼ばれる存在だろうか。個々人の妄想にすぎない「国家」というものに根拠を与えるのは、治国平天下のために「おれ(私)生き抜くわ」と腹を括れる人物だ、と。命を懸けられる人物だ、と。「嗚呼、彼をこそ規矩に」と周囲が思える、そんな人、人、人。その人らの実存と魅力によってこそ「私」としての国家に一抹の公共性が点灯すると福沢は語った(確か)。

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「さすが」と言われる人々への信託が国家の手触りである――。現在の政治家諸氏には耳が痛くなるような話だが(痛くなってほしい)、まさに仏像のかたどりが終わったあとに「開眼=仏像に入魂すること」を行うがごとく、大人物たちが国家に公を入魂する。これが福沢の信念だった。確たるリーダーをしかるべきポジションへ。しかもこれは福沢があまり論じていない側面ではあるが、「ロールモデルのレガシーをどうやって良い塩梅に維持するか?」という課題もここには存在する。一時のカリスマで組織が盛り上がり、すぐ滅ぶようではいけない。

福沢の構想をいち早く(別様に)実現した渋沢

その側面で新規性あるソリューションを示したのが、「対国家」意識のもとに実業家として名を馳せ、財閥形成に至った渋沢栄一だった(が、ここでは詳論はしない)。彼は、近代国家にとって大切な市場経済というフェーズでロールモデルになった。しかも、アダム・スミス以来の議論ではあるけれど、市場と国家にはある種の緊張関係が生まれ、市場の運用は国家の実在性に関わるようになる。「国家」の手触りを作るという意味で渋沢は「市場」という角度から福沢の構想実現に貢献したとも言えよう。

ちなみに日清戦争の時に渋沢は戦費募金という形で福沢に協力もしている。

福沢はそんな渋沢に対し、「政府の役人になることだけが出世の道だと思い込んでいる人(青雲の夢)が多いが、そんな夢からはやく目覚めてほしい。実業の道にすすんで、今はこの社会において最高の地位にある、渋沢栄一の生き方こそがもっとも模範とすべきものである」(『時事新報』)と讃辞を送った。

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渋沢が信を置いた『論語』、福沢は嫌い

渋沢が愛した『論語』は私も好きな書物である。「論語読みの論語知らず」状態かもしれないが、さまざまなことを『論語』から教わった。

一方、福沢は『論語』を嫌った。孔子に対しても散々毒づいた。福沢はリアリストだったので、渋沢が何を信じようが「モデルとしての渋沢」「渋沢の生き様」は著作と立て分けて評価したのだろう。

と、ここまでつらつら書いたら、何となく渋沢の生き様が知りたくなってきた。図書館の貸し出し制限が解けたら別様に学んでみようかな。

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