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まちづくりは「クソダセェ」のか?


二年ほど前、こんな言葉を見た。

学生や若者からすると、まちづくりはクソダセェらしい。

大人の何の目的でやっているのか分からない、「まちづくり」と称した自分たちの興味を惹かない活動や、意見だけあーだこーだ言って結局動かない大人たちを見ていると関わりたくないという。たしかに若い人を集めたワークショップをしても「学生らしい意見」とか「若者の意見」を聞きたがる割に、得てして採用されない気がするし、なんとなく若い人たちが蚊帳の外に追いやられているように感じなくもない。

”まちづくり”だ何だと言って必死に政策をつくっている行政からすると耳の痛い話である。要は、自己満足な内容と動かない大人に「クソダセェ」と思っているらしいのだ。


ここからはあくまで私見として聞いてほしい

僕のまわりのまちづくりに熱い人たちは、ものすごく行動的だし決して自己満足で終わるようなことはない(と思っている)。イベントひとつにしても、どうすれば楽しんでもらえるか、次につながるかを一所懸命に考えている。それは、イベントの企画運営者として力を貸してほしいと呼んでもらったことで感じたことだ。そしてイベント当日の運営スタッフとして参加してくれる学生たちは、ボランティアとしてイベントを支えてくれる。この学生たちも同じことを思っているのだろうか。僕たちがやっていることは「クソダセェ」のだろうか。


入庁して5年目。3年間、仕事としてまちづくりに関わって、和歌山市のアツい人だけでなく、全国のスーパーマンや行政マン、おもしろい仲間と繋がりができた。建築とデザインに興味がある僕は、プライベートでもまちづくり関係の人たちと交流を持つようにしている。というかそれが楽しいし、地元や全国のまちを盛り上げて楽しみを生み出してくれている人たちの知見を知りたいというのもある。


Uターンしてたったの4年過ごしただけだけど、感じた違和感が2つある。


一つは、まちづくり界隈の人たちが、ある一定の人たちの間でコミュニケートされ構成されていること。セミナーに参加してもいつも同じ顔触れが並んでいる。イベントに行ってもよく遭遇する。まちづくりに関わる人たちが内輪化してしまっているように見える。だから外の人から見ると内輪の人だけで盛り上がっているように見えて参加する障壁が高いように感じるのだと思う。コミュ力がそこそこある僕でも、最初はセミナーなどに参加して当人たちと話すのが怖かった。よそ者は入ってくるなと言われるのではないかとビビっていた。

おそらく今もこの内輪感は解決していないし、今後も変わることはないと思う。なぜなら、当人たちは「いつでも来てきてー!」「まちづくり楽しいよー!」と、むしろ超ウェルカム体制でいるのだから。少しでも関わってみたいと思っている人と当人たちをつなぐモデレータが必要なのかもしれない。


二つは、まちづくりを頑張る人たちと、次世代の若い人とのレイヤーがはっきりと分かれていることだ。一所懸命に和歌山を盛り上げている人たちは、決して行政と手を組んでまちづくりをしている界隈の人たちだけではない。まちづくり会社の人たち、飲食業界の人たち、建設業界の人たち、ノリノリの若い衆、40代、30代、20代、色んな人たちがそれぞれの想いをもって活動している。

行政とも一緒に新しい取り組みをしながら、パブリックマインド的発想でまちづくりをしているのは主に30代~40代で、これがパブリックマインドレイヤー

行政とは関わりなく、自分たちの独自のスタイルでイベントをうったり盛り上げている20代は、ゴーイングマイウェイレイヤー

この2レイヤーにはっきりと分かれているように見える。もちろんイベントをすれば交わることもあるし、お互いの関係性はできていて、知らない人同士ではない。大きく括ればひとつのグループにもなるような、そんな2レイヤーである。「THE ベン図」みたいな。(レイヤーと言いながらベン図)

ベン図

PML(パブリックマインドレイヤー)は”まちづくり”を自分たちの信念を持って行っていて、次世代のプレイヤーの発掘・育成までしている。リノベーションまちづくりから一気に盛り上がった和歌山では、家守(まちづくり会社)の面々が、行政と手を組みながらも、着実にまちのコンテンツを作り出し、日常を更新しながら、我々に「和歌山のまち」の価値を見せている。スンバラシイ。

GML(ゴーイングマイウェイレイヤー)はPMLを避けているわけでもないけれど、積極的に絡んでいこうというわけでもない。GMLは自分たちのやりたいことを自由にやっている。大人からの指図は必要とせず、試行錯誤しながら自分たちの周りをドンドン巻き込みながらカルチャーやコミュニティを作っている。スンバラシイ。

PMLとGMLが相乗効果を生むような関係性ができて、GMLから後の家守やプレーヤーが出てきてくれることが一番理想的だ。その2レイヤーのハブ機能となるキーマンがいればもっといい。マジ理想、である。


僕が感じるこの2つの違和感が「クソダセェ」につながっているとしたら、GMLには”まちづくり”というこの掴みどころのないふわふわとした言葉を紐解いて、この先の縮退局面(人口減少や少子高齢化)をどうやって持続可能なものにしていくかというような楽しさを知ってほしいと思うし、自分たちだけじゃなく、未来のこと家族のこと生まれてくる子どもたちのこと、なにより和歌山のことを考えて行動をしてほしいと願う。

和歌山を誰よりも好きになってほしいと願う。

”まちづくり”は「クソダセェ」かもしれないけれど
大人たちは少なくとも君たちより多くの人のことを想って行動している。

そしてそのクソダセェ”まちづくり”が他人の笑顔や楽しみを生み出しているとしたら、とんでもなくカッコいいと思わないか。君にできるかい。


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