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週間レビュー(2022-2-25)_豊かさからの逆行

明日は時間をかけて取り組みたいことがあるので、今日は土曜日にまとめようと思う。ずっとモヤモヤとしながら、日常を生きざるを得なかった1週間だった。人が死ぬのも誰かの大切な生活の場所が無残な姿なのも、知性のない人間の行動も全てが苦しい。

週の雑感と感想

ウクライナとロシアの戦争についての個人的な感覚

あらゆる報道を見るたびに心は落ち着くことができなかった。スマホの画面を見ながら、自然と涙が出た。それでも日常生活を普段通り送っている自分自身にも、そして社会にも憤りを感じたし、それでも憤りの中で日常を過ごさざるを得ない今がとても苦痛だ。

どんなに報道を見て悲しみに暮れても、実際現実にいる僕にできることは残念ながらほとんどない。できることといえば自分の給料の一部を寄付することくらい。事実きっと少しの役にしか立たないだろうし、自分の気持ちをちょっとでも落ち着かせる役割の方が大きい。多くの人のテンプレートのような発信も同様の効果だ。お気持ちにしかなれないからもどかしいし、だから自分は安直ことはしたくない。残念ながらそういうものだ。

1人の22歳の若者として、どのように受け止めたら良いのだろうと考えている。まだ結論を出せているわけではないけれどちゃんと自分の言葉で残しておこうと思う。

今できることは子供の時に教科書で習ったWW2以降の平和を維持するためのデザインは完全に壊れてしまったことを認識すること、そして10年後20年後自分たちの世代がいずれ裁量を持ち、社会の主体になるであろうときこのような事態を起こさないように、世界中に心を許せる友人を作りながら、意識的に世界を前進させることなのではないかと思う。

そのためには自分が世の中を健全に前に進めていると信じられる仕事に改めて向き直したり、悲しむ以上にこれからの社会をどうやって構築するべきか歴史を学び直しながら今を行動する以外にないのかもしれない。
今現在、世界を動かしている人達はさまざまな理由はあるだろうけれど結果としては失敗してしまっている。今の人類は国家間のチームワークの点でも敗北してしまった。繰り返さないと誓ったのにも関わらず、同じことを繰り返してしまった。

これはしょうがなかったものなのだろうか、乗り越えられないものだったのだろうかと問い直す必要があると思っている。
歴史にもしかしたら?はないけれども、どこかの分岐点で回避できたかもしれない。あの時の誰かの勇気ある行動一つで変わった現実が存在したかもしれない。それは大きくいえばいつかの自分にも責務があるのかもしれない。

人類の知性やチーうワークは未来において、現在よりそう浅はかではないと願いたいし、そうするために今は一生懸命に行動するほかない。
最後に、ウクライナの戦禍にのまれた人々の無事を心から祈りたい。

文化活動は世界をプラスに作用させてきたのだろうか?

同時に、今回の件を外しても政治は失望してばかりだが、同時に平和を志すアート・建築・文化活動にも疑問の目を向けざるを得ない。
破壊される建築物や人々の生活、国から逃げる人々。
戦争とはこんなにもクリエイティビティのないものかと改めて思う。
災害とは全く違う、人間の知性の貧困が露呈する感覚が苦しい。

同時に、あんなにも平和を叫び、平和を望みながら行ってきた今までの文化活動はなんだったのだろう。建築も然り、現代美術も然りだ。

どうして本質的に抑止的な意味を持てなかったのだろう。
どうしてSNSはあんなにも心無い言葉が飛び交うのだろう。
文化活動は本当の意味でどの程度世界に対してプラスな作用を働かせることができてきたのだろう。もちろん自分の所属していたAIESECも同様だと思う。なんとなくだが、こうなってしまった以上、今までのやり方では全ての文化活動はダメなのではないかと思う。
きっと今回世界が結果的には許してしまった武力的なやり方は静まることはない。改めて文化の意味を、やり方を問い直さないといけないはずだ。

戦時中、日本の建築家の多くは戦争に加担した。(村野藤吾などの一部の建築家を除いて)建築には抗えぬパワーがある。だからこそ繰り返さいように、建築の技術者として、本当の意味でこれからの社会で建築は平和を構築できるのだろうか?どうするべきか?」と自分に問いかけている。

国際交流は欺瞞か?

国際交流や異文化交流の重要性が再露呈していると感じている。
なぜなら平和を構築するのは結局のところ洗練されたシステムでも各国のエリートが集まれば良いわけでもない。最後に平和を作るのは、人間同士の関係性の強度や過去の憎しみをも包括する温かい愛情だと思うからだ。

2020年のコロナ禍で中国の若者とかなりディープなディスカッションをしていた。(どちらも拙い英語で)日本と中国という対比だけではなく、国によるメディア環境の違いや教えの違い、そのようなバックグラウンドを抱えながらの中々難しい議論だったがその中で、中国の若者は以下のような言葉を送ってくれたのだ。

”But for my point of view, what happened in the past is the history and should stay in the past. We learn from the past to create a better future. I have many friends from Hong Kong and Taiwan as well. It’s hard for us to talk about anything about politics. But all we wanted is a better future.And there are so many people in the world.And the difference of all of us makes up the world  ”

この感覚を若者が持てること、そして国を超えて感情を共有できることはとても重要なことだと感じている。
他国や他人を否定するのは容易い。事実、戦争時の歴史をバックに会話をしたら日本は中国に対して何もいえない。そのバックグラウンドを外さない限りは、今の各国の政治家のように、認識の違い、スタンスの違い、正義の違いになりお互いに否定し貶し合うことで終わってしまう。その先にあるのは暴力的で野蛮な衝突的な態度のみだ。恥ずかしい限りだが、今の政治家の会話のほとんどがこのようなものだと思う。この状況は絶対に変えないといけない。

国際交流は今までなんとなく扱われてきてしまった。または陳腐化していた。改めて今その重要性が世の中に対して露呈してる感覚を持っている。
一緒の釜でご飯を食べる、好きなものの話をする、気持ちを共有して愛情を伝える、自分の国の文化や政治、国の良いところを認め合い建設的に批判する。そういうことが色々な場で起こったら、今のような安直な否定の連鎖は産まれないだろうし、建設的な批判と知性のある会話によって社会は育っていくのではないかと思っている。

今こそ能力主義的かつエリート的なスキルアップのための留学以上に、幅広い人に対しての国際的な交流と多くの世界中の友人が必要な時だと心から思っている。

次の世代の建築家としてのスコープ

今年一年色々とぐるぐるしていた。建築には何が可能なのだろうと考えていた。色々やったけれど、それでも建築家になりたいと思っている。
どうしてもスパンの長いものなので建築関係者は「我々の世代は」といういうコンテキストを強く意識するが、自分の世代は秋吉さんや今の若手建築家の次の世代であるという認識がある。
括り方が好きではないけれど、ミレニアムの建築からGenZの建築へのシフトの最中に自分は存在していると理解している。
ミレニアムの建築家たちが葛藤しながらも長い間凝り固まった業界を開こうとしてるものに私たちは追随する、そして超越する形の建築家像を提示しなければいけないと強く感じる。安直に学科の教育に評価に甘んじていても未来はないはずだ。考え続けて、傲慢にならず、先手を打ちたい。

パンデミック以降の世界には戻れないことはもう重々わかっているのだから、次の世界を物質的にも社会としても建築できるように胸を張って毎日精進しようと思う。来週も忙しいが一生懸命生きよう。


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