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週間レビュー(2022-8-28)_第三世界の建築

泊まり込みをすると3日はたったの12時間程度にしか感じられない。
最寄駅から自宅までぼやぼやと歩いている時間や溜まった食器を洗っている時間、煙草でも吸いながらただただ談笑している時間が、日常をうまく記憶化しているのだなと気がつく1週間だった。
丁寧に扱う時間に濃度は生まれるけれど、雑に使い倒す時間はどんどん濃度が消えていく…故に今週は本当に書けることが少ない。

デザイナーとビジネスの意思疎通は難しい

依頼を受けたまま何だかんだで組織の記念雑誌を作っている。
これが今納期ギリギリ、かつ今最も重い自分の業務だと思う笑(普通の仕事よりも圧倒的に閲覧し、批評されるリスクが高く、自己表現に振ることができないので説明責任を果たせないから)デザイナーのいない、または未経験者の多い場所で何かを作ることが初めてだった自分にとっては小さい仕事かもしれないが、いい勉強になっていると思う。

前提として何かクオリティやこだわり、人に対してWOWを作るにはクリエイティブを実行できる環境を抑えることと合理性を無視した時間投下(個々の技術を磨くこと、そして悶々とアイデアを絞り出しこだわりを持っていくこと)が重要だと思うのだけど、調整や議論、対人コミュニケーションが大半の状態で成り立つ組織においてはその感覚はなかなか伝わらない。伝わらないのはそれはそうでできれば、さっさと終わらせたいし効率的かつ最短時間で機能するものを欲している。ビジネスとデザインの人間がうまく混じり合えない理由でもある。

レム=コールハースは絶対に勝ちたいコンペを前にしたら、所員を現地に移動させ、大量のそして莫大な予算をつけ、絶対に負けられない状況に追い込んでから制作を始めるらしい。自分はこのやり方が正解であるとまではいかずとも、そうしない限りは良いものは作れないと思っている。スタートアップのようにできる限り体系化を進め、効率的に機動力を持って動いていくだけでは作れないものや表現がある。全員の無謀なまでのこだわりやコミットをいかに作り、制作のゴールに対しての合意形成ができるか。この辺りの感覚をどうやってノンデザイナーである人達に伝え、良いものを作っていけるのかがとても難しい部分だと思う。あまり解を持ってない。

メタバース公論

神楽坂のメタバース公論のイベント、内容はとても面白かった。特に元ロフトワークの林さんの天真爛漫さ、自由でいてそれで冴えている感じがとても良いなと思って一瞬でファンになった。

イベントでは理科大あたりの研究室がPLATEAUをいかに建築に活用できるか?を考えました。という動画を見た。が正直全て自分の中で既出のアイデアで、実装されていないことを考えたら、大学院の研究室の研究とはこのくらいなんだろうと思ってかなり失望し、まあ実際日本の大学院はいいかなと思っている。自分はMESONに潜り込んで学んだことが多くてその選択は大きかったなと改めて思った。

総じて、メタバース(これに包括されるものが登壇者の各々で違ったように思ったが)建築家が建築家の職能すらも消えうると言っており、理論としてそう唱えるのであれば、自分が建築家の職能を消す、または新生させるために、何かしらのサービスや取り組みを実装してしまえば良いのかもしれないと感じている。建築の生産を行政や資本家から取り返すこと、つまり非中央集権的な生産アプローチを実践していくことは建築のリバイバルになりうるだろうと思う。そこを論理的にも作品的にも攻めて制作した上で、NGOでの建築活動に派生させていきたい。

また「アーキテクチャという思想を先行させてものを作っても良いのではないか?」という話があった。これの真意はわからないが、自分はロックにデザインすることだと思っている。つまり社会のグランドルールやブループリントを建築することは社会から求められていないように思えて実は求められているとも考えることができる。り持論を持って仕掛けていきたい論点と近く、興味が近しい人がいたら是非話したい。

世界の状況と建築に可能なこと

建築は果たして世界を前進させているのかな、誰かを本質的に救えているのかな、本当に課題解決に繋がることを出来ているのかな?と世界の状況に触れていると強く思っている。改めて、みんな世の中は転換期だというけれど、果たして転換するに見合ったアクションを取れているのだろうか、そして建築はどうだろうか。語るだけではなくて成したい社会に向けて体を張って行動できているのだろうか…
自分に語り掛けてもおそらくキリはないし、模索を続けなければいけないのだけど、原さんの「建築には何が可能か?」という問いかけになかなか答えられない今の建築力しかない自分が恥ずかしい。
世の中を本当の意味で前に進める吉坂隆正のような、そんな存在になれないものだろうか。

NGOに進みたいカモと言ったら、それはメインストリームから外れることだね、と言われたが、果たして本当にそうなのか??最新テックの技術力を誇示することにどのくらい意味がある?そしてクリエイティブ云々の展覧会をすることにどのくらい正義がある?富裕層の娯楽の生産ではないと誰が断言できる?誰の命を救うべきで、誰の人権を保持するべき?テックは未来っぽいだけではなくて、本当に世の中を前に進めている?人間を更新することはできている…?

中谷さんのいうような第三世界を目指せは学科ではよく言われる。僕らにとって第三世界の建築ってなんなんだろうか「?

この辺りどんどんクリアにしなければいけないな。

終わり

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