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エッセイ/宛先不明

自己免疫疾患について。
――治らないのだ。
――変わらないのだ。
――死にさえできないのだ。

いつも、熱が40度あるように怠くて、身体が大規模反乱を起こしていて、「とにかく何もしたくない」私自身に鞭打って、毎日、何を見て、何を感じ、何を思い、何を考えているかを書いている。
徹底した自省である。ヘドロのように美しい、独り言である。

認めるのは厭ではあるが、私は感性が壊れているようで、実際は、外界と私は、断ち切れている。
だから、あたかも繋がっている「かのように」、私は執拗に、今日の雪模様など、筆先で著す。

突き詰めれば、私は、私のなかに棲む異物にしか関心がない。どちらが本体で、どちらが異物か。そもそも、それも分からない。

なぜ、私が私に反旗を翻しつづけるのか。
私に裏切られるほど、私からそっぽを向かれるほど、つらくて惨めなことが他にあるだろうか。

しかし、それは私が私の声を徹底して無視し、黙殺した、当然の反応だ。
無知からとは言え、警告音を発しつづける心を蔑ろにして、絶え間ない吐き気、異常な発汗、めまい、頻繁なパニック発作、どれも見て見ぬふりで逃げ切った、逃げ切れると高をくくった。
薬を飲んだ、出されるまま、浴びるように飲んだ。日がな朦朧としていること、それだけが救いだった。

「失敗でした」と言うことは、もういまは容易なことで、しかし、そのことばには、少しも実感が伴わない。成功の像が見えないからだ。
何の作業をやらせても、どんな実務をやらせても、私はポンコツだ。何度やっても、何を読んでも、まったく意味が分からない。
ただ、教えることだけは間違いなく天才であった。唯一、努力の仕方を知っていたから。――いや、もうそれは、いいのだ。――いや、よくない。
世の中をわたる唯一の手網を、吐き気ごときで、発汗ごときで、めまいごときで、パニックごときで、そんな些細なことで、手放すわけにはいかなかった。
死んでもチョークは離すまじ、と、まるでそれは、木口小平のような悲壮であった。

いまや、なにもかも、崩れた。Game Over なのである。
あとは、長年、ひどく蔑ろにされ、虐げられた心が、身体に仕返しをするのを、ただ甘受する。
応報。

本当に、よくやったよ。
不意にこう呟いたときだけ、私の身体も、私の心も、ともに嗚咽を上げてくれる。
誰もかもが、責めるのだもの。
誰もかもが、期待するのだもの。
なら死ねばいいのかい、って、それしか言うことがないじゃないか!

明るく元気で朗らかなことばが、人気の秘訣。そちらはそちらで、よろしくやってくれ。

もう、人気も、友達ごっこも、うわべだけの承認も要らない。
ただただ、私を助けてやりたい。

本当に、よくやったよ。

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