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「あたりまえって何だ?」 2年ぶりに日本に帰って、めちゃくちゃ驚いたこと。

当たり前だが、あたりまえを疑うことは難しい。
3ヶ月もあれば人はすっかり新しい環境に慣れてしまえるし、
それが習慣になっていればなさらのことだ。
日本に2年ぶりに帰った時に目にした、とある日本の当たり前に驚いた話。


新婚旅行を先取りしたような旅だった。

2018年のはじめ。カナダでのワーキングホリデーが終了した僕は、そのまま日本には帰らず、当時は付き合いたてだった妻と共に、ニュージーランドとオーストラリア、ヨーロッパを旅した。正確には妻は一足先にオーストラリアへ、僕はニュージーランドにいた日本の友人と、その懐かしい国を旅した。

オーストラリアでは、妻のお姉ちゃん夫婦が住んでることもあり、たまにクライミングトリップに出かけはするものの、基本的にはお姉ちゃん夫婦と暮らすように旅していた。(実はお姉ちゃんの旦那には兄弟がいて、それぞれがパートナーとその家に住んでいたので、まさにオーストラリアの大家族という感じだった。)

ヨーロッパでは、妻が「カングー」というを車を買い、車内を住めるように改造、バンライフをしながら、フランス、スペイン、スイス、イタリアを回った。
クライミングをして、ハイキングをして、湖で泳ぎ、カナダで知り合った友人に会い、温泉に入った。美味しくて安いオリーブやバゲット、ワインがいつも車内に常備されていた。

ヨーロッパでは国境(元国境)の近くに住む人たちは、それぞれ2つの言語を話し、文化のグレーゾーンにはいっているんだなと気づく。入国管理局やパスポートはいらないけど、建築物も含めそういった文化的な変化は分かりやすかった。
例えば、フランス(シャモニーのあたり)から峠を越えてスイスに入ると、
道路は一変して綺麗に整備され、まるで、ちゃんとカーブの負荷計算してますよ、
というような走りやすい道になった。フランス側は少し荒れた道路だったのに。

イタリアでは、スーパーマーケットに入って驚いた。
生鮮食品のコーナーにプラスチックの手袋が置いてあり、野菜を手に取る時はその手袋を使うという文化があった。それはイタリア北部だけでありイタリア全土ではないのかもしれないが、これまで訪れた国ではそのシステムは見たことがなかった。僕が気にせず素手で野菜を物色していると、隣にいたおじさんがやんわりとその手袋を使うように促してきた。(もちろん、コロナ前の世界だ)

その手袋コーナーの下に置いてあったゴミ箱が、プラスチックの手袋で溢れそうになっているのをみて、その時はあまり気が進まなかったけど、郷にいっては郷に従ったのだった。

そういう常識が変わる時、違う国を旅しているんなぁとつくづく感じるものだ。
なので、それは嫌な経験だったという訳ではなく「へぇー、イタリアってこういう文化があるのか」と思ったぐらいだった。個人的に最も文化的変化を感じることの一つに「トイレ事情」があるが、それを体験した時と似たような心境だ。


その後も滞在できるギリギリの期間までバンライフを楽しみ、僕は妻より一足先に、そして2年ぶりに日本に帰ることになる。
(妻はフランスのワーホリビザを取得していたので、1年間は滞在できた。)

さてここから。
僕がドキドキしながら2年ぶりに日本に帰って、一番おどろいたこと。

みなさんは何だとおもいますか?

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2年ぶりの日本へ

長いヨーロッパからのフライトが終わりに近づく。いよいよだと高ぶる気持ちをおさえ、飛行機の窓から外を眺める。水の張られた田んぼが見えた。
飛行機を降りると、最近では感じることがなかった肺を満たすような湿気に
「あぁ日本はやっぱりアジアなんだ」と頭をよぎったのもよく覚えている。

それから空港の中のあらゆるサインが苦労なく読めること、周囲の人の会話が集中力もいらずに理解できた時に、ついに日本に帰ってきたことを実感したのだった。

空港で働いている人たちが(基本的に)日本人ということがとても新鮮で、
自分の国というか、帰属感というか...とにかく仲間がいっぱいいる!
という感覚だったように思う。

ただこれらは僕が驚いたことではない。
日本語が使えるということにめちゃくちゃ懐かしくてテンションが上がったし、
トイレは段違いに清潔、美味しそうレストランもそこら中に軒を並べている。
でもそれは驚くというより、僕が日本に期待していたことでもあったからだ。
もちろん「そばと天ぷら」で舌鼓を打ったのは言うまでもない。
違う国を旅していて「美味しいラーメン」には出会えても、「美味しいそば」に出会うことは本当に難しいのだ。

ついつい長く書いてしまう癖があるので、本題に戻ろう。

ーー

ふと訪れた衝撃

日本についてからは、すぐに家族のいる奈良の実家に帰った。
久しぶりの奈良盆地をみてニヤけるのが止まらない。
家族や幼馴染との久しぶりの再会。これ以上の心が温まる瞬間はあるだろうか。

そんなある時、久しぶりに母と近所のスーパーマーケットにいった。
そのスーパーは僕がこどもの頃からあり、母の’’お気にりのスーパー’’の一つだ。
(そう、つまり何個もある)

久しぶりに母と出かけることに、懐かしさがこみ上げてくる。
再び母の日常を垣間見れていることにもとても幸せに感じた。

久しぶりの日本のスーパーマーケット。何を買おうかな!
なんてワクワクして中に入ったまさにその時、そこで目に飛び込んできた光景に衝撃を受けた。大げさじゃなく、たぶん二度見したと思う。


多くの生鮮食品がプラスチックに包まれていたからだ。
バナナも、トマトも、キュウリも、プラスチックのトレイの上にラップがかけてあるやつもあった。どの野菜がラップされていたのか詳細は覚えていないが、
とにかく最近では見たことがない光景だった。

それはまさにイタリアで感じた驚き...どころではなかった。

ーーー

変わりゆくはずのあたりまえ

この瞬間の僕にとって、日本はまだ「自分が住んでいる場所」に戻ってはいなかった。なのでより敏感に違和感と感じ取ったのもあるだろう。

この後家庭でさらにプラスチックの袋にいれられて、廃棄されていくゴミの行く末も気になった。けどそれよりも先に思ったことは、これを全て梱包するのってめっちゃ時間がかかるんじゃないかということだった。それぐらいあらゆる生鮮食品が包装されていた。

誰かが機械を使っているのかもしれないにせよ、このために一生懸命働いている姿を想像して、なんか複雑な気持ちになった。まじめにコツコツとそれを陳列している人の姿も浮かぶ。もしかしたら何年も、そうして綺麗に陳列作業をされているのかもしれない。日本人らしさとも言える勤勉さや懸命な姿は、それはそれで美しさのひとつだとも思う。が、違和感がすごすぎてショックを隠せない。

その後も多少の差はあるにせよ、日本で立ち寄ったスーパーマーケットはそう言う傾向があることにあらためて気づいていった。

もちろん食品に何かしらの包装が必要な時もあると思う。なので日本のスーパーがダメだなんて頭ごなしに言うつもりはなく、むしろきちんと整理整頓されていたり、清潔な床が保たれていることに感謝を感じる。こっちのスーパーみたいに半分腐っているものが平気で並んでいることもない。

ただプラスチック梱包をする対象物に関して、本当に必要かどうか考え直してみてもいい頃ではないだろうか。先にも書いた通り日本以外であの量の梱包はまだ見かけたことがない。

以前日本に住んでいるときは「外国産はあぶない」とか「外国産は信用できない」とかという言葉を当たり前のように聞いたり見たりしたけど、今は盲目的にそう信じることはなくなった。

カナダで禁止されてる農薬が、日本では禁止されていないということもあるし、その逆のこともある。今の僕にとっての「国産」は、ここカナダ西海岸で取れたモノを指すように、常識とはその時々で変わるものだ。
(ちなみに僕は夏の間は農家さんから野菜の定期便をしている。野菜が取れない冬の間は、メキシコやチリ、カリフォルニアなどからきた野菜も食べている。)

気をつけないと常識は習慣になっていく。
これからも常識は変わるだろうし、変わっていくべきだとも思う。

ーー

習慣にとらわれるな。


習慣にとらわれるな。(Not bound by convention)
これは以前勤めていた会社で学んだ哲学のうちの一つなのだけど、この言葉は様々なシーンに当てはめられるだろう。もしある行動が
「それまでの習慣でただやっているだけ」なのであれば、疑ってみるチャンスだ。

「それまでやってきた」はあまりあてにならない。それが理由になりうるなら、
これまでやってきた戦争や搾取はどうなるのか。と聞かれるかもしれない。
それは極端な表現かもしれないが、本当に何が必要なのかはその時々で自分の頭を使って考えるべきなのだ。

とそんな風にえらそうに書いている僕も、よくその罠に落ちいる。

だからそんな自分に「習慣や常識にとらわれるな」というリマインドを込めて、この言葉で文を終わりにしたい。クライミングの思考法とも共通するものでもあると。

この夏が来たらまた日本を離れ2年がたつ。まだいつ帰れるか確定はしていないけど、次に日本に帰った時には何に驚くのか。今から楽しみで仕方がない。

おしまい。

おまけ

プラスチックの問題は、マイクロプラスチックも含め有名になってきているので関心のある人も多いはず。スーパーの有料袋、カフェでのストローやカップも廃止しているところも増え、それは日本も同じだとニュースで目にする。
ゼロウェイストマーケットを開いたり、ゴミを減らす生き方の啓蒙活動をしている友人がいるが、彼らや彼女たちはいつもカッコよく色々なことを教えてくれる。あなたの近くでも何か催しものがあるかもしれない。

その一方で環境問題というのは何を信じるかがとても難しい。調べれば、調べるほど膨大で、しかもどちらの意見も出てきたりするからだ。何を信じるかもあるし、誰を信じるかもある。

僕はあまりライフスタイルを強制するのは性に合わない。
僕自身が自分のアイデアじゃないとなかなか行動できないというのもある。
いくらNetflixにあるドキュメンタリーを見ても、お肉をいただくことだってあるし、どうしてもファッティーツナ(トロ)が食べたいなって時だってある。

*子どもの頃からベジタリアンである妻との暮らしと、こちらでのお肉が日本産のお肉よりおいしく感じなかったという理由もあり、日常的には食べなくなった。

その上でプラスチック問題の話をすれば、一番大きな問題である漁業の網のリサイクルや方法を見直すことも必要だし、プラスチックを分解する微生物の研究ももっと応援するべきだろう。代用素材のスタートアップを支援することもいいかもしれない。こんなふうに、プラスチックと普段何を食べるかという問題がまた繋がってきたりする。

人口が増え周囲の環境に対して何も考えなくてよかった時代はかなり前に終わっているはずだ。でもだからと言ってストレスを抱える日々を送るのも違う。
日常の無理しすぎない範囲でできることをしつつ、期待できるテクノロジーを使う企業が出てきたら少ないながらも投資などで応援したいと僕は考えている。

何かいい企業、勉強になる映画などがあれば教えてください。
最後にもし興味があれば、手軽に見れる中で個人的に印象に残った次の二つ映画のリンクを貼っておきます。あくまでもとっかかりとしてどうぞ。
COSPIRACY 』 『SEASPIRACY



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