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「ショック」「喪失感」に気づくことが、こんなに大事とは知らなかった

少し前に、私は川のそばに住んでいると、ここに書いたことがある。

あまりきれいな川ではないけど、なかなか見た目のよい鉄骨の橋がかかっている。

かっこいいな、といつも感じる。

その橋は、毎晩、特定のテーマに沿って、カラフルなイルミネーションがなされ、なかなか美しい。

市のサイトに行くと、イルミネーションカレンダーなるものがあり、毎日のテーマが分かるようになっている。

先日、その橋は、赤と白に彩られた。
the colours of Japan - to pay tribute to the former Japanese prime minister

橋だけではなく、この国中のあらゆるランドマークが赤と白に点灯された。

海外にいると、不思議な形で母国がググッと近寄る。
日本にいたときは、当たり前すぎてというか、環境の一つのように感じてしまい、深く国について考えることは、私にはなかった。

この一週間程度で、二回も領事館に出かけた。
初めての在外選挙、そして初めての弔問記帳のために。

必然的に、母国を意識した。

ここで書きたいのは国政の話しとかではなくて、ごく個人的なことだ。

「ショック」「喪失感」と言えるような状態を、人生で初めて認識した、という話しだ。

私は、まあまあ大人の年齢だ。

これまで、自然災害や、大きな事故や事件などもたくさん見聞きしてきた。

そんな時も、自分がその出来ごとにどう感じているかを意識せず、それらの情報に心身さらしていたと、今回、気づかされたみたいだ。

この数日、なんだか、訳も分からず心に重石を感じ、食べても、飲んでも、なにを見ても、全く栄養が吸収されないような、変な感覚があった。

軽石みたいにスカスカだな、
ああ、先週から風邪をひいているからだ。

そんな風に思っていたけど、
周りの人に、「この事は、あなたたち日本人にとり、大変辛い経験だと思う」というようなことを言われて、固まっていた心が一瞬グラッとした。

そして、カフェで何気なく読んでいた市からのお知らせで、ランドマークのイルミネーションが赤と白になると知ったとき、

思わず頭を両手でささえ、左右にゆっくりと振って、俯いてしまった。

なんていったらいいか、
自分になにが起きているのか、分からなかった。
特別な感情や意見など、持っていなかったはずなのに。

しかし、私の意識とは反して、なぜかひどくいつもと状態が違ったのだ。

心がショックを受けて、シーンとしてしまったこの状態を、私は、何と呼ぶか知らなかったのだ。

これは余りよくないなと思いながら、noteを開いたら、
心のまもりかたや、インパクトのある情報との向き合いかた、などの記事が幾つか上がってきていて、なにか参考になりそうだ、と読んでみた。

そんな自分の行動すら、まだ、ピンとこなかったけど。

それくらい、まさか、自分が、

ショックを受けているとは、気づかなかったのだ。
気がピンとはりつめて、感じることができなくなっていたようだ。

幾つかの記事が教えてくれたように、自分がショックを受けたことをシンプルに認識し、影響を受けそうな情報と距離を置くようにしていたら、
あっけなくその訳の分からない状態は収まっていった。

振り返ってみたら、今回と同じような状態は、今まで何度かあったはずだ。大小はあれど。

それとは気づかないで、よくぞ、強引に突っ走ってきたもんだと、自分でも呆れてしまう。
もちろん、その反動も大きかったけど。


大人ってなんですか? 

その問いに、やっぱりこう答えたい気がする。

自分で、自分を、守ることができる人

そのために、自分を見つめてあげるのは大事だと、
今回のことをきっかけに、改めて、知ることになった。

そして、

よく言われることだけど、
なににショックを受けたか、はあまり重要ではない気がしていて、

ただ、そうなんだと、その状態を知ることの方が、大事そうだと何となく分かった。

ましてや、そんなときに、トリガーとなった物事の真相や、是非まで考えが及ぶときは、それが今すぐに必要なことか、

すごく慎重でいたいと、本当に思う。