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日本は情緒の世界。西洋は屁理屈の世界。さて、俳句でも詠みませんか。

ブラジルに来て、私が最初に入植した場所は、パラナ州の伊藤コーヒー園だったのですが、ここの伊藤さんは南米銀行の創立メンバーのインテリ移民で、「文春」と「中央公論」を定期購読していました。

私は日本にいるときは週刊誌を読むぐらいで、「中央公論」などという名前も知りませんでした。

当時はT Vも日本語のラジオもなく活字に飢えていたせいか、どんな難しい記事を読んでもよく頭に入るような気がして、中公の隅から隅まで精読して大変良い勉強をさせて頂きました。

その伊藤さんが「少し知識のある人も、仕事を止めるとみな俳句や短歌を始めるが、何で日本人はあんなもんが好きなんだろう」と半ば嘆くように言ったことがありました。

私も仕事をやめて息子の住んでいる市に越したら、早速句会の誘いが来ました。

先ずは何でも経験だと思って始めてみましたが、季節感がどうだ歳時記にはこうあるというばかりで、花鳥風月の情緒だけの世界には物足りなさを感じるようになりました。

確かに近代短歌や新俳句の創立者である正岡子規も「歌は感情を述ぶるものなるに理窟を述ぶるは歌を知らぬ故にや候らん。」とはっきり言っているのだから、理屈好きの男に俳句は馴染まない……といってもよいと思います。

風がささやいたり、山が呼んだり招いたり、眠ったり笑ったり、そのうえ亀が鳴いたりするのだから理系の人には無理だと思うし、主観と客観の境目があいまいな情緒では、世界の人々に広まることはないでしょう。

しかし現代の世界は、一神教の理屈・屁理屈のぶつかり合いでは解決できず、今日のウクライナ紛争を何年続けていても、平和など来るはずはありません。

やはり屁理屈は一旦脇へ置いて、日本式の感性や直感で物事を決めるようにした方が良いようにも思えるのですが。

【今日の名言】
「善友は助け合って成功し 悪友は誘い合って堕落する」

「人類史は「理性」で理論的に考える人たちが牽引してきたが、理性は必ず行き止まりになる。
そして、「ひらめき」「腑に落ちる」「天啓」が注目されて、大調和になるために日本の「感性」の再登場になるだろう。」


※編集協力
和の国チャンネル
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