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【感想】劇場映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』
聖地には蜘蛛が巣を張る:『ボーダー 二つの世界』『THE LAST OF US』のアリ・アッバシの新作。娼婦殺人事件を通して女性の物語を描く社会派の倒叙ミステリーかと思ったら、むしろ逮捕後に真のテーマに到達する脚本構成。明暗のコントラストや要所で省略を挟む編集が面白い。バイクの撮影も良かった。
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) April 15, 2023
本作の日本版キャッチコピー。
それは、一線を越える
間違ってはいないものの、どちらかというと本作に限らないアリ・アッバシ監督の作家性を言い当てたコピーな気もするw
何せカンヌ国際映画祭で賞を獲得して世界的な評価を高めた出世作のタイトルが『ボーダー 二つの世界』
ボーダー 二つの世界:第71回カンヌ国際映画祭ある視点部門グランプリ受賞のスウェーデン映画。何じゃこりゃ!?北欧ミステリーと聞いて見始めた話は予想外も予想外の方向へ。この得体の知れない衝撃…まさに怪作。マイノリティのメタファーとしてもグロテスクで苦手なタイプの映像だったな…
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) October 13, 2019
ちなみに英語圏でのタイトルも『Border』
ライターの稲垣貴俊はCINRAのインタビュー記事の中でアリ・アッバシをこう評している。
アリ・アッバシというフィルムメーカーを語るうえで、「境界」というキーワードを避けて通ることはできない。第2作『ボーダー』がタイトルのとおり、善悪や性別、民族などの境界を扱うファンタジーだったように、本作もまた倫理や信仰をめぐる境界の物語となっている。
つまりそもそもの作家性が「一線」「境界」を描いてきた人。
冒頭に挙げたキャッチコピーはきっと理解の深い方が考えたんだろうな。
映画館でポスターを見てニヤリw
ちなみに上のツイートでも言及しているように僕は『ボーダー 二つの世界』はちょっと合わなかった。
なので正直そこまで評価・注目している作家ではなかったのだが、今年に入って大ヒットしたHBOドラマ『THE LAST OF US』のシーズン1のラスト2話(第8・9話)を監督したと知って興味が再燃。
謎の感染症が蔓延した終末世界を舞台に描かれる人間同士の間にある「境界」
エリーというキャラクターの存在・立ち位置も一種の「境界」として機能している。
原作ものかつアリ・アッバシは脚本にはクレジットされていないのを見ると、作家性を見抜いて抜擢したプロデューサーの審美眼が優れていたということなのだろう。
不穏で嫌な感じの演出テイストは引き継がれていたが、ファンタジー要素や寓話性が除かれたことにより現実味のある人間同士の物語になっていて僕は『ボーダー 二つの世界』よりも見やすかった。
(逆に「こういうテーマこそ寓話性を取り入れてくれないとキツい」という人もいるかもしれない)
そんなアリ・アッバシの新作映画がこの『聖地には蜘蛛が巣を張る』
(ただし実際の制作順は『THE LAST OF US』の方が後とのこと)
思えばアッバシは、『マザーズ』や『ボーダー』、本作ののちに手がけたテレビドラマ『THE LAST OF US』(2023年~)の担当エピソードに至るまで、倫理の「境界」の「こちら側」と「あちら側」を対比させるような作劇を徹底している。
本作が扱うのは実在の事件を元にした娼婦連続殺人事件。
主人公はこの事件を追う女性ジャーナリスト。
犯人の方は冒頭の殺害シーンでは顔が逆光で見えない構図になっているのだが、かなり序盤で明らかにされる。
よって「衝撃の真犯人!」みたいなタイプのミステリーではない。
その後は主人公サイドと犯人サイドが交互に描かれていく。
ここで明暗のコントラストを効かせた編集(真っ暗な夜のシーンと明るい昼のシーンを切り替えて見せていく)が実に映画的。
もちろんこれは単に画面の色彩だけではなくて起きている事態の深刻さ・不気味さを浮かび上がらせる演出にもなっている。
特に犯人が家族と昼間にピクニックに出かけているシーンは辛かったな…
では本作は犯人が分かった上で事件解決までのプロセスを楽しむ倒叙ミステリーなのか?というとそれも違う。
確かに中盤まではその要素もある。
テーマを前傾化させずにミステリー作品の皮を被って観客の興味を引くアリ・アッバシの演出手腕はさすが。
そこから丁寧に描写が積み重ねられていくことで、イラン社会(ひいては現代社会)で女性が直面する問題を扱った社会派ミステリーということが分かってくる。
ところが、本作はそこでも終わらない。
本作が描きたいテーマに真に到達するのは何と犯人の逮捕後。
事件解決と見せかけてそこから物語が加速する。
犯人のやったことを「娼婦を消すことで街を浄化する英雄的行為だ」と支持する人々が現れるのだ。
裁判にかけられた犯人も反省どころか雄弁に持論を語り始める。
ポッドキャスト番組『生活と映画』ではライターの木津毅が「ミソジニーの再生産」という読み解きをされている。
自分も監督の意図はそこにあると思う。
ただ、自分はIT企業に勤めていることもあって鑑賞中はSNSのフィルターバブルやエコーチェンバー、陰謀論を連想していた。
同じ思想を持った人々が集まることで自分たちの力を過信して盲目的になっていく。
自分たちの考えが絶対的正義ではないかもという疑いを持てない地獄。
ちょうど自分が映画館で本作を観ていた時間に岸田首相の演説会場に爆発物が投げ込まれる事件が起きていて、それとも結び付けて考えてしまう。
テロを擁護・肯定・支持する思想もまた再生産されてしまったのだと。
時代設定は2001年だしインターネット描写もほとんど出てこない作品だけど現代に通じる普遍性を帯びている。
演出面の話も。
本作はまず編集が面白かった。
一見すると妙なタイミングでほんの少しだけ省略を挟む不思議な編集。
例えばサンドイッチ店でのくだり。
娼婦「トイレを貸して」
店主「客専用だからダメだ」
娼婦「お願い」
店主「…」(無視しているように見える)
という会話から「その場に居合わせた主人公が仲裁するのかな?」と思ったら次の瞬間にはトイレのドアを外から映したカット。
どうやらあの娼婦はトイレに入れている。
その後の会話を見ると主人公が手助けをした(飲み物を奢ることで店主に客と認めさせた?)らしいことは窺えるのだが、その部分は大胆に省略。
他には後半で犯人が大柄の娼婦を殺して死体を遺棄する場面。
上の階からバイクまで運ぶのに苦労し、手を怪我してしまう。
自分はここで「誰にも見つからずに死体遺棄できるかの映画的サスペンス展開をやるのかな?もしくはここで目撃されて事件解決に繋がるとか?」と思ったのだが、次のカットは昼間に走る車。
遺棄された死体が発見されて主人公がそこに向かっているシーン。
悪戦苦闘しながら遺棄する過程は全カット。
描きたいものが明確にあるから、そこに寄与しないと判断した描写はどんどん切っていくということなのだろうか?
観ている最中ハッとさせられる編集が何度かあって面白かった。
また、そういう編集を繰り返すことで観客も想像力を働かせる。
例えば個人的には、あの牢屋に2人が訪ねてきて死刑執行前に逃げられる手筈を整えたというシーンは犯人だけが見た幻覚という捉え方も出来るのかなと思ったり。
結局脱走は出来ず、その理由も特に説明されない。
撮影は基本的に手持ちカメラ。
事件の不穏さ・不安を煽る手ブレが効果的。
それとの対比でバイクのシーンの撮影が光る。
主観ショットのような迫力のある映像から走行中のバイクを並走する形で撮ったエレガントなショットまで。
特にオープニングの、バイクから徐々に画が引いて長い一本道の道路、さらに街全体の夜景(まさに蜘蛛の巣)に移行していくシークエンスは素晴らしかった。
最後に、少しだけイラン映画の話を。
(本作は製作国という観点では厳密にはイラン映画というより「イランを舞台にした映画」だが)
日本でどれくらい知られているかは不明だけど、イラン映画は国際的評価が高い。
世界三大映画祭でもよくノミネート・受賞している印象。
自分も決して数多くのイラン映画を観ているわけではないが、近年観たものはいずれも良かった。
ノー・ベアーズ:イランの名匠ジャファル・パナヒの新作。ベネチア国際映画祭2022審査員特別賞。モキュメンタリー内のパナヒ監督が劇中ドキュメンタリー映画を演出している多重構造。行き着く先は虚実の交錯。撮影という行為の暴力性への自己批判と客観性・公平性への希求 #東京フィルメックス
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) October 29, 2022
第三次世界大戦:ベネチア国際映画祭2022オリゾンティ部門作品賞。格差が生んだ怒りの矛先は?まさかあの前半からここに着地するとは。真相を明示しない脚本は観客に安易な感情移入先を与えない。お見事。鏡を使った構図や逆光のショット、走るシーンの横スクロールなど撮影も全編良い #東京国際映画祭
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) October 26, 2022
英雄の証明:カンヌ国際映画祭2021グランプリ作品。監督はイランの名匠アスガー・ファルハディ。SNS時代の重厚なサスペンス。燃やす側の人々は描かれないが、周囲が保身のため速やかに手を引く様子はキャンセルカルチャーの暗喩とも読める。最初と最後の長回し以外は省略を効かせた脚本と編集も良い。
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) April 1, 2022
ちなみにこの『英雄の証明』の編集技師ハイェデェ・サフィヤリは『聖地には蜘蛛が巣を張る』にも参加している。
(ただ、どうやらメインの編集技師は別の人でサポート的な参加っぽい?)
あの編集による省略はこの人に由来するのだろうか?
(と偉そうに書いたが、実は妻から「あなた『英雄の証明』を観た時も省略の仕方が面白いって言ってたよ」と言われて初めて思い出したw)
悪は存在せず:ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作品。死刑制度に関する4つのエピソードを通して描かれるイラン社会の暗部。骨太なテーマもさることながら台詞を抑えて脚本構成や映像で魅せてて映画として面白い。特に第1話は何の話か分からず眠くなりかけてたけどオチで完全に目が覚めた #東京国際映画祭
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) November 2, 2020
4本ともテイストやアプローチはそれぞれ異なるが、いずれも骨太な社会派。
ただ、上記のツイートのハッシュタグでも分かる通り映画祭以外ではなかなか観るのが難しいのが現状。
『聖地には蜘蛛が巣を張る』も決して上映館数は多くないが、上記の4本も含めて機会があったら是非観てほしい傑作である。
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