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【感想】書籍『笑い神 M-1、その純情と狂気』

ウエストランドの優勝で幕を閉じた2022年のM-1グランプリ。
あの熱狂から早くも1ヶ月が経とうとしている。
本書は昨年11月末に出版されており存在も知っていたのだが、M-1決勝の直前や直後に読むと変にノイズになるかもしれないと勝手に警戒して少し間を空けて先日読んだ。
むちゃくちゃ面白かった。

本書は主にスポーツ関連のノンフィクション本で知られる中村計が2001年から2010年まで開催されていた、いわゆる第一期M-1グランプリを笑い飯を中心とする史観で振り返った一冊である。

では著者はお笑いに疎い人なのか?というとそんなことはなくて、ナイツ塙が漫才を語った書籍『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』で聞き手と構成を担当されている。

プロローグに書かれている内容によると、当初はM-1を「たかがバラエティ番組」と冷ややかに見ていたが、仕事でオール巨人師匠の取材を担当した辺りから漫才やM-1にハマり始めたそう。
そして前述のナイツ塙の著書をきっかけにお笑い関係の仕事の割合が増えているということらしい。
仕事で漫才やM-1に触れるという出会いもなかなか珍しい気がするw
というか巨人師匠の影響力すごいな。

ちなみに雑誌NumberのM-1特集に合わせて(というか本書が文藝春秋から出版されていることから分かる通り著者があの特集にも関わっているというシンプルな構図ではあるのだが)YouTubeで動画も公開されている。

こちらも必見必聴。

先ほど「〜史観で振り返った」と述べた通り、本書はいわゆるお笑い分析・批評を目的としたものではない。
もちろん笑い飯のダブルボケであるとか、各コンビが優勝を狙ってどのようにネタを作っていったかという過程の話の中で漫才の技術やネタの構成に触れる文章もある。
ただ、それがメインではなく、本書を貫くのは副題にある通りM-1という奇妙な存在に引き寄せられた漫才師たちの物語。
こうなるとノンフィクション本を数多く手がけてきた著者の筆が活きてくる。

膨大な取材

本書は漫才師への取材を基に書かれている。
つまり、大会や番組を観て外から書かれた分析・批評とは根本的に違う。
(念のため書くと、これは優劣や良し悪しの話ではなくて性質が異なるという話です)
当事者の発言が数多く載っているが、ここで留意すべきは当事者の発言だからといって「事実」ではないという点だろう。
人間の記憶なんて簡単に書き換わるし、月日が経って気持ちの整理が付いた上で喋っていることなので多少の青春思い出補正も入る。
でも(だからこそ)そこに著者による構成が加えられて物語になると読み応え抜群。

取材対象も歴代チャンピオンは「そりゃまぁ取材するよね」という感じだが、敗退したコンビやABC朝日放送のスタッフまで及んでいてとにかく膨大。
そのおかげで笑い飯と千鳥を中心とするゼロ年代大阪お笑い史の側面も兼ね備えた内容になっている。

個人的には

  • ケンドーコバヤシ

  • タイムマシーン3号

というチョイスには唸らされた。
「M-1の歴史をまとめよう」となった際にこの2組に取材に行くってのはちょっとやそっと考えた程度では出てこないカードだと思うので。
ケンコバについてはMBSラジオ『アッパレやってまーす!』でお笑いを真面目に語るザコシショウを腐していたのはガチだったのか…と少し背筋が凍る取材時のエピソードが載ってたけどw
ピリッとした系なら麒麟・川島に過去に別件で取材した際にM-1のことを色々聞いた際のエピソードも(どうやらそもそも連絡の行き違いもあったようだが)現在の川島のパブリックイメージとは異なるもので、M-1という得体の知れない怪物が姿を覗かせた逸話だと思う。

タイムマシーン3号・山本が「オンバト芸人代表の気持ちで出たのにコケてしまった」と語る流れで登場するパンクブーブー佐藤の審査論も興味深い。

オンバトは、誰が見てもある程度、おもしろいというのがいちばんいい。客が(票を)入れるか入れないかだけなので。だから、攻めたネタではなく、七〇点くらいを狙いに行った方がいいんです。でもM-1の審査員たちは、そんなネタでは満足しない。なので、半分は〇点かもしれないけど、半分は一〇〇点を付けてくれるかもしれないというような尖ったネタじゃないと評価されにくい。
pp.224-225

島田紳助という存在

M-1の創始者であり、現在は置かれていない審査委員長という肩書きも背負っていた島田紳助。
2011年に芸能界を引退したこともあり今回も取材には応じていない。
しかしABC朝日放送の人や審査員の証言でその輪郭がおぼろげながら見えてくる。

第3章で語られるM-1立ち上げエピソードがまずもって面白すぎる。
「名前はK-1からパクった」って頭では分かってるつもりだったけど、2023年現在の興行・大会の規模を改めて見ると色々感慨深い。
とにかく漫才師や司会者である以上にプロデューサー気質の人だったんだなと。

第1回大会の審査員を務めたラサール石井の証言も興味深い。

彼ら(注:審査員)には一人一〇〇点が与えられた。ただ、石井によれば、本番前、紳助からこう念を押されたという。
「最低でも五〇点以上は付けてくれと言われましたね。でないと、差がつき過ぎてしまう、と」
P.108

また、どうなれば大会は成功と言えるか?誰が優勝するのが大会にとって最良なのか?といった目線を公正に審査しつつも忘れていなかったと思わせる数々の証言も。
(当該箇所だけ切り取ると「M-1はやらせの出来レース」という陰謀説に寄与しそうなので引用は控えます)
思えば笑い飯の優勝で一旦はM-1の歴史に幕が引かれた2010年大会、紳助はスリムクラブに票を入れていた。

笑い飯

タイトルや表紙からも分かる通り本書の中心は笑い飯である。

しかし、その語り口は第1章の幕開けからして超絶に不穏。
僕はずっと関東で暮らしてきたのでテレビに出ている笑い飯しか知らないのだけど、こんなにも歪な関係性だったのか…
哲夫に西田とコンビを組むと決意させた関東の意外な某漫才師や2014年の24時間テレビでの坂上忍と全く噛み合わなかった“対決”といった表に出ている話から売れていない若手時代の思い出話まで。

数多の漫才師たちが人生を懸けて挑み視聴者を熱狂させるお化けコンテンツのM-1グランプリにおいて9年連続決勝ストレート進出という前人未到の偉業を成し遂げた笑い飯がなぜ天下を獲れないでいるのか?
その答えの一端を垣間見た、ような気がする。

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