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【感想】劇場映画『ザ・メニュー』

  • レイフ・ファインズ

  • アニャ・テイラー=ジョイ

  • ニコラス・ホルト

といった豪華キャストを全面に打ち出す形で宣伝されている本作。
そこに隠れてすっかり影が薄くなってしまっている監督がマーク・マイロッドという人である。

しかもこのマーク・マイロッドさん、映画監督としては決して実績豊富な方ではない。
過去にはたった3本しか撮っておらず、批評的にも興行的にも成功したわけでもない。
前作は2011年なので11年間ものブランクが空いている。

そんな一見大したことない監督がなぜ突然こんな豪華キャストで作品を撮れているのか?
権力を持った映画関係者とのコネか?と陰謀論を唱えそうになるが、もちろん違うw
実はマーク・マイロッドはそのキャリアの大半をテレビシリーズ(テレビドラマ)の演出家として歩んできた。
特に近年はHBOを主戦場としており、歴代No.1ドラマの呼び声も高い『ゲーム・オブ・スローンズ』シーズン5-7の数話を担当する経験を経て現在の世界最高峰ドラマである『サクセッション』のチーフ演出に。

あの『サクセッション』で毎回視聴者を熱狂させてきた各シーズンのラスト2話。
さらに視聴者を食い付かせることが求められる序盤も担当。
(ちなみにシーズン1の第1話は本作にも製作総指揮として名を連ねているアダム・マッケイが自ら演出している)
シーズン2の第5話もあの晩餐会のエピソードですからね。
『サクセッション』の重要な回は全てマーク・マイロッドが演出してきたわけである。

今年2月にU-NEXTで独占配信されたシーズン3も素晴らしかった。
下馬評通り第74回エミー賞では最優秀作品賞(ドラマ部門)を獲得。
シーズン2に続き2度目の受賞となった。

ちなみに、そんなシーズン3が日本で配信された当時、映画ファンダムが何で盛り上がっていたかというと『大怪獣のあとしまつ』の炎上騒ぎだったのだから笑えない。
これが例えば今の『すずめの戸締まり』のように「国内作品にもこんな面白いものがあるぞ!」というポジティブな拡散であれば良いが(私はそれを必ずしも否定的なニュアンスでのガラパゴスとは思わない)世界最高峰の作品をスルーしておきながら国内作品を「つまらない」と叩いて面白がっているのは全く意味不明であった。
このピークTVによるコンテンツ供給過多の時代にわざわざ面白くない作品を叩くために観るほど我々は暇ではないのだから。
(「映画は観るけどドラマは観ない」という謎のスタンスは20世紀で破綻済みなのでここでは触れない)

ブラックコメディ → スリラー

さて、そんなマーク・マイロッドが久々に映画監督を務めた『ザ・メニュー』
冒頭から下品な富裕層、もっと言葉を選ばない表現をすればバカな金持ちを描かせたら本当に天下一品であるw
たった数分で「あーこれは金は掃いて捨てるほど持ってるけど人間的にダメな連中だ」と確信させる描写の数々w

成金IT社長みたいな役で『サクセッション』では起業した会社を買収されてズタズタに壊されたロブ・ヤンの姿が。
これまたHBOの傑作『ウォッチメン』で強烈な印象を残したホン・チャウも登場。

ストーリーとしては『サクセッション』同様のブラックコメディから入り、中盤の副料理長の自殺を機にそれまで漂っていた不穏な空気を一気に回収してスリラーにジャンルシフトする。
作劇もかなり王道のスリラー。

元々何か達成する目的があってそのプランを進めている人たちもしくは人がいて、そのプランが進行中にそうとは知らずにたまたまそこに関わってしまう特殊な才能を持っていない凡庸な人物がいてですね、その人物が関わったことでプランが折れてしまうと。敵の側からすると。それを何とか元に戻そうとして敵側が四苦八苦していることが、たまたま関わった人物の視点から描くと急にわけのわからない不条理な理不尽な事件に巻き込まれたように見える。
https://open.spotify.com/episode/4TrzLcUCpQUzPon0KBpgZH

今宵の招待客には“ある共通点”があり、シェフには真の目的があったのだ。

『サクセッション』とは真逆の画面

『サクセッション』の大きな特徴といえば撮影。
ホン・サンス作品ばりの唐突なズームアップが多用される。
フェイクドキュメンタリー風(フェイクドキュメンタリーがドキュメンタリー風という意味なのでそれにさらに「風」を付けるのもどうかと思うが)の映像に仕上がっている。
裏を返せばカッコいい構図の画は少ない。

しかし、本作はその真逆で撮影から美術からキマりまくっている。
まずはもちろんあのレストラン。
建物の設計も人の配置も左右対称にビシッと揃っている。
料理の写真を上からスマホで撮るように要所で挟まれる真上からの構図も印象的。

客が同時並行でそれぞれ会話している状況でテーブルからテーブルにシームレスに、時にカットを割りながら視点が移動していく撮影・編集も実にエレガント。

私たちはほぼ毎日全員が一緒にいて、2台のカメラがどこからねらっているのかわからない、(ロバート・)アルトマン監督の映画のような状況で撮影を続けていました。レストランの客の間に、罪の意識が芽生え始める状況におもしろさを感じたからです。
https://moviewalker.jp/news/article/1111742/

「どこからねらっているのかわからない」ということは『サクセッション』のドキュメンタリー的な撮影手法のノウハウも多少は活かされたのかも?
ただ、映像の仕上がりはドキュメンタリーとは真逆のかなり人工的な印象を与えるものになっている。

テレビシリーズ監督の矜持

一方で本作の弱点として

  • 終盤の展開がやや唐突

  • シェフがマーゴだけは逃がそうと思うに至った心情変化の描き込みが浅い

  • 群像劇なのに客の背景は台詞でサラッと説明されるだけでほとんど描かれていない

  • 客たちがあっさり死を受け入れすぎで心情変化の過程がよく分からない

といったものがあると思う。

ただ、これは映画監督ではなくテレビシリーズ監督にアイデンティティを持つマーク・マイロッドの反骨精神の表出なのではないかと僕は思う。
深読みかもしれないけど。

2010年代にNetflixの躍進もあってテレビシリーズの地位は飛躍的に向上した。
同時に映画の守備範囲も変容してきた。
上で挙げたキャラクターの掘り下げはもはや映画ではなくテレビシリーズがやるべき領域になっている。
ストーリーが面白い=脚本に強みを持つ作品や各キャラクターの人物背景を深く描く群像劇はもはやわざわざ映画でやる必然性が薄いものになりつつあるわけです。
(じゃあ映画の強みって何?となると撮影をはじめとする演出的快楽だと思うわけですが、どちらかというとSNSバズと相性の良いイベントムービーの方向に進化しているのが現状かなと)
つまり「登場人物の描き込み不足?たった106分の映画で何言ってんの?ドラマの2話分でしょ?俺が戦ってきたテレビシリーズなら何十時間もかけて描けますけどね」ぐらいの意地を感じるのである。
実際それをやって成功してる人だし。

さらに本作を締める追加の1品として登場するチーズバーガー。
あれも「映画はテレビドラマより高尚」という批評の風潮への挑発に見えた。
本作は映画評論家ならぬ料理評論家のキャラクターを通して「批評とは?」という問いに挑んでいるように見えるが、やはりここでもマーク・マイロッドは本来的に映画監督ではない点に留意すべきと考える。

映画とテレビ
アカデミー賞とエミー賞
エンタメとアート

ジョン・レグイザモ演じる落ちぶれた映画俳優(シェフは「休日に映画館であなたが主演した映画を観た」と言っている)が「司会業でエミー賞を狙おう」とうそぶくセリフは実に示唆的。
あのどんな高級料理よりも美味そうだった“庶民の味”チーズバーガーは「アート映画が何だ?エンタメ映画が何だ?こちとらテレビシリーズで傑作を撮ってるんじゃ!」と中指を立てているように見えた。
(ただし、アメリカは日本の無料地上波と異なりCATVなのでHBOを観るにも相応のお金を払う必要はある)

チーズバーガーと映画

最後に、今年6月にテレビ朝日で放送されたバラエティ番組『ガチゴライズ』でチーズバーガーのガチ勢の方々が紹介してくれたお店を貼ってこの文章を終えようと思う。

ちなみに私は芝公園のMUNCH'S BURGER SHACKに何回か行ったことがある。

映画を観た後はチーズバーガーに喰らいつけ!

食べすぎにはくれぐれもご注意を。

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