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【感想】彩瀬まる原作・中川龍太郎監督『やがて海へと届く』
やがて海へと届く:彩瀬まるの同名小説を中川龍太郎監督が実写映画化。過去作では東京の下町を映像に記録した中川監督、今回は311をドキュメンタリー的に。原作のファンタジーで生々しい文体はアニメで表現。すみれパートに移ってからテンポが鈍重になった感は否めないかな…浜辺美波は良かった。
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) April 2, 2022
理工学部だった学生時代は勉強に必要な技術書ぐらいしか本を読まなかったのだが、社会人になった頃から小説も読むようになった。
ただし、当時はまだストーリー(お話)を楽しんでいただけ。
なので読むのは起承転結やゴールが明確なミステリー小説が中心。
そんな中、アメトーークの読者芸人で川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』が紹介されていたのをきっかけに読んでみた(2015年頃)
衝撃を受けた。
こんなに美しい文章・文体があるのか。
自分が親しんできた映画やドラマのような映像メディアでは絶対に出来ない文章ならではの小説的快楽。
しかしながら、そういった作家にはそう簡単に出会えるわけではない。
かれこれ1年が経過した2016年頃、たまたま立ち寄った本屋で何気なく手に取った彩瀬まるの当時の新刊『朝が来るまでそばにいる』
遂に川上未映子に続く存在を見つけたと思った。
生々しくて少しグロテスクな文体。
ストーリーを追うだけなら過剰な情報量なのだが、文章を咀嚼してイメージを膨らませていく工程がたまらない。
ちなみに近年の彩瀬まるは作風が少し変化して社会的イシューを取り込んだ作品を発表しているので、この文体が味わえたのは期間限定だったのかも。
そういえば今回の映画で
バスが来るまで待ってるよ。
という台詞があって勝手にニヤリw
ちなみに彩瀬まるの後継者候補は松井玲奈だと思ってます。
新作執筆中らしいので楽しみ。
そんなわけで本作が発表されたと聞いたときは楽しみと同時に不安もあった。
あの美しい文体をどう映像化するのか?
また、原作は結構独特で、現実世界とファンタジーを交互に章立てしているのだが、映画化に当たって構成面はどうするのか?
本作の監督・脚本は中川龍太郎。
1990年生まれとまだ若いが、モスクワ国際映画祭や東京国際映画祭・東京フィルメックスといった場で高く評価されている方である。
まずは良かった点から。
アニメ表現(!)
何と本作はいきなりアニメから始まる。
原作のファンタジーな文体をどう映像化するかと思って見始めたら予想外の回答。
確かに勝算の観点では間違っていない。
あの文体を真正面から実写化したら相当の予算をかけないと確実にコケる。
アニメのクオリティもWIT STUDIO制作だけあって高い。
ただ、原作の肝であるファンタジー部分を映像化したのはオープニングとあと1ヶ所のみ。
もう少し見たかった気も…
ドキュメンタリックな撮影
松本穂香を主演に迎えた『わたしは光をにぎっている』公開時のインタビューで中川監督はこう語っている。
僕は川崎市の登戸で育ちました。映画を撮るようになってからは故郷を離れていたんですけど、あるとき久しぶりに戻ってみたら、区画整理で僕の知っている町が跡形もなく消えていたんです。映画では葛飾区の立石をメインの舞台にしているのですが、やっぱり古くからある店がどんどん減ってきている。そういうことに対する哀しさとささやかな抵抗の想いが原動力になりました。すべてがなくなってしまう前に、映像として残しておくべきだなと。
今回は3.11の東日本大震災にこの姿勢で向き合ったような作品になっている。
途中完全にドキュメンタリーになる場面もある。
実は原作小説は彩瀬まるが本当に3.11当日に一人旅で東北にいて被災したという経験を基に書かれている。
(その体験を直接綴ったノンフィクションのルポタージュ『暗い夜、星を数えて』は2012年に出版)
なので原作自体がドキュメンタリー的な構造を内包しており、実写映画化するに当たって中川監督という人選は適任だったなと。
映像面も光の使い方が美しく、特に自然の撮り方は今回も素晴らしかった
わたしは光をにぎっている:モスクワ国際映画祭にも出品された中川龍太郎監督の新作。街も人もいつか終わる。再開発や過疎化に直面する日本の“今”を美しい映像で切り取って密封した1本。固定カメラの引きの画の多用で鑑賞中は遠くから街を見守るような感覚に。湖のロケーションも素晴らしかった。
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) November 17, 2019
海を真上から捉えた空撮は『わたしは光をにぎっている』の湖の撮り方に通じるものが。
海岸の朝日のシーンの美しさは惚れ惚れ。
ただ、じゃあ全てが上手く噛み合ってるかというと…そういうわけでもないかなとも。
真奈の思考が分かりづらい
原作は真奈(岸井ゆきの)のモノローグで綴られているため、主人公がどういう死生観で何を考えているのか、周囲の人間の何に不満を抱いているのかが分かる作りになっている。
ただ、映画ではモノローグ乱発とはいかず、そうなると生と死という抽象的な話を俳優の演技だけで表現することになり(岸井ゆきのが悪いという意味ではなく)さすがに難しいなと。
すみれ(浜辺美波)の恋人(杉野遥亮)や母親(鶴田真由)にイライラしている様子がともするとヒステリー気味に見えなくもない。
うーむ、難しい。
すみれパートのテンポが鈍重
原作が全14章を交互に真奈パート・すみれパートで書き分けていたのに対して、映画では真奈パートを描き切った後ですみれパートに移るという構成になっている。
で、確かにすみれパート序盤は「あぁ、あの場面はすみれ視点だとこういうことだったのか」という新たな気付きがあるのだけど、ここが思ったより長く語られるため「ついさっき見た場面の語り直し」感は否めない。
個人的に音楽の雰囲気から「あぁここをラストカットにして終わるんだ」と勝手に思ってしまったシーンがあり、以降は「あれ?まだ続くの?」となってしまった。
ちょっと終盤は失速したかなと…
ただ、今回珍しく脇役を演じた浜辺美波はとても良かった。
彼女が持つちょっと浮世離れした感じも回想シーンの中だと「主人公にはこう見えていた」となるのであまり気にならない。
台詞の弱さ
これは原作の内包する弱点でもあるのだが、前述の通りこの時期の彩瀬まるの小説はファンタジーで少しグロテスクな文体が醍醐味。
その代わりに平場の台詞にそこまで印象的なものは少ない。
強みの文体をアニメ表現に振ったことで大半を占める実写部分は平場(原作の真奈パート)になり、そうなるとちょっと台詞が弱いかなというのは見てて思った。
普通の人が本当に普通のことを喋っているように見えてしまうというか。
原作だと章立ての工夫で気にならないが、映画化に当たって構成を変更したことでその欠点が目に付きやすくなってはいる。
後半ちょっと不満点を書き連ねてしまいましたが、決して駄作ではないです。
数年前に書店で偶然知って以来ずっと新刊を追ってきた作家の小説が映画化されるというのは嬉しいし、こうして原作と映画を比較しながら見るのは格別の面白さ。
またそういう小説家に出会いたいな。
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