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雑記やで

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内容はなんでも、その時書きたいことを書いてまとめてます。
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2018年9月の記事一覧

「ありがとう」のことばだけじゃ足りないから

今日いちにちのあいだに、尊敬してやまないお三方がこんなつぶやきをしていました。 共通しているところがありますよね。 必要とすることばとの出会いは狙いすましたようなタイミングでやってきたりする。無意識のうちに求めているものだから、目に留まったっていうのもあるかもしれない。 人に対してどう接するか、という部分にそのひとの人間性が色濃く表れる。 ぼくも意識して、レストランやコンビニ、あらゆるサービスを提供してもらった時に「ありがとうございました」と伝えるようにはしているけど

戦争がなくならないのは僕のせい

「戦争がなくならないのも沢村(主人公)のせいだ!」 久保ミツロウさんのマンガ「アゲイン‼」の中で、確かこんなセリフがあった。 ただの暴論だ!と片づけてしまえそうだけど、なんとなく引っかかってずっと心に残っている。 ブラジルの一匹の蝶々の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こす。 というバタフライエフェクト(同名の映画は名作)は有名だけど、ほんの小さな変化が、連鎖に連鎖を重ねて大きな変化を産む。 それは本当に起こる、というか常に起こっている、ってぼくは思うんです。 た

「好き」と同じくらい「嫌い」も言葉にして伝える

レバーが嫌い。レバニラも嫌いだ。 食べ物に関しての「嫌い」は、なんのためらいもなく言える。「好き」は言わずもがな。 雨が嫌い。自慢話が嫌い。 ものごとに対しても言うのは簡単。 じゃあそれが人に対してだったら? あの人は嫌い、と言うのは、ただの悪口になりがちだから、省くとして、大きな括りとして言葉にする場合。たとえば、 約束を守らない人は嫌い。 これは言える人と、言えない人がいると思う。ぼくはなかなかはっきりと言えないことが多いんだけど、フラットに言える人にあこがれ

繁華街を歩け。寝間着で

喉が頭が痛い、あふれる鼻水、ジーンとする目の奥、くしゃみ。 これが風邪です。 昨日より悪化しましたね。 食事もバランスよく摂って、毎日最低でも6時間は睡眠をとるぼくがなぜ体調を崩したのか? 理由は明らかで、それは先週末のこと。 久しぶりに集まった友達と大阪で遊んだ。夜は心斎橋にアパートメントタイプの(マンションみたいな)宿をとって、みんなで泊まった。いわゆる民泊に該当するような感じのところで、オーナーはおそらく中国人。 ひとつ目の問題、それはお風呂がひとつしかなく

旅行の前日は

いつもバタバタ、しない。 忘れ物はしたくないから、持ち物の確認はしっかり行うし、着ていく服を決めるのにもなにげに時間がかかる。毎回ゆっくり確かめるようにするせいで、準備が終わっていないのに寝るべき時間を過ぎてしまったりする。 かといって急いで荷物を詰めたりもしない。意外と好きな時間だとさえ思う。それはなんでだろうか? 持っていくものを考えていると、あれが要る、これも要るとなる。それと関係してか、考えが色んな方向に飛び飛びになる。あるものから蘇る記憶だとか、旅行を共にする

知らないわからない で終わらせない

無知であることに慣れてしまうと、ものごとへの興味関心が薄れていくように思う。 だって投げかけに対して「知らない」「わからない」と返すのは、すごく楽だ。それを続けるのは、ぬるま湯に脳みそを浮かべているようなもの。。 まてまて、ぬるま湯に脳みそを浮かべる ってなんやねん…。 自分でも意味はわかんないけど、なんとなくでニュアンスを感じ取ってください。 そんなわけで、ぬるみそ状態って思考停止に近い。「勉強しなさいよ」とか「ちゃんと考えなさいよ」とか言ってくれる親切な人なんて、

読みたい本は読みやすい本

文字がぎっしりの本はあまり読む気にならない。 先週末、本屋さんで、タイトルが気になって手に取ったのは少し昔の本で、ページをめくると文字がぎっしり!!「うっ…!」となってしまった。少し読んでみると思った通り、面白そうな内容だったんだけど、結局買わなかった。 昔の本に多いと思うんだけど、これでもかってくらいぎっちぎちに文字が詰め込まれていることがある。それくらい詰めないとどうにも語りつくせないほどの情報や、内からあふれるものがあるのはすごい。 すごいけど、もう少し簡潔にまと

根拠のない大丈夫の上で

記録的な大きな災害が続いている。 地震、大雨、台風。。 ふと思ったのが、ぼくたちはなんの根拠もないけれど大丈夫、という考えの上で生活を営んでいるということ。 安全神話というほどのものではないけど、まさかそんなことが、まさか自分に降りかかるなんて、とタカを括っている節がある。もちろん僕も含めて。 それは、何を言われようが、自身が被災していなければ、結局他人事としてでしか災害を捉えられていないから。一度でも実際に被災したら、その危険が・怖さが分かる。とは言っても、被災して

テリーヌの響きが好きだ

テリーヌがどういう料理なのかは知らない。検索してみる予定も今のところない。ヨーロッパのどこかの国のオシャレな料理、というイメージが漠然とある。 ただ、その語感、響きがとても良くて好き。だったら、いろんな場面で使えたら嬉しいな、と。いや使うでしょ。たとえば、 お前をテリーヌしてやろうか? よっしゃ、テリーヌすっぞ! 今の彼がホントにテリーヌで困ってて…。 インスタにアップする写真はだいたい、彩度をちょっと抑えてコントラストも低め。露光とテリーヌはすこし高めにするとイイ

にぃにぃ、おいでやす

とても驚いた。 ぼくがワーキングホリデーでオーストラリアにいた時、顔の濃い友達(沖縄出身)ができた。同じ職場で働いていたので、ほぼ毎日顔を合わせていて、当然のように仲良くなった。よく一緒にケバブ(安くて量がある)を買って、食べながら帰ったのはいい思い出。 ここ一年以上連絡はしていなかったし、彼はSNSに近況をアップしたりしないタイプなので、今 海外にいるのか日本にいるのかさえ分からない状態だった。 先週の土曜日の朝、ほんとうに何となく、今どこにいて何をしているんだろう?