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「好き」と同じくらい「嫌い」も言葉にして伝える

レバーが嫌い。レバニラも嫌いだ。


食べ物に関しての「嫌い」は、なんのためらいもなく言える。「好き」は言わずもがな。


雨が嫌い。自慢話が嫌い。


ものごとに対しても言うのは簡単。

じゃあそれが人に対してだったら?
あの人は嫌い、と言うのは、ただの悪口になりがちだから、省くとして、大きな括りとして言葉にする場合。たとえば、


約束を守らない人は嫌い。


これは言える人と、言えない人がいると思う。ぼくはなかなかはっきりと言えないことが多いんだけど、フラットに言える人にあこがれを抱く。

「嫌い」をきちんと表明できる人は、心の中に強い芯があって、ここだけは譲らないという「絶対」を持っているんだと思う。

そしてこの「嫌い」は単なる拒絶ではなくて、根底には人への信頼があるんじゃないかな、と。受け取った側は自分で自分をふるいにかけないといけない訳だから。

約束を守れない人は、去る。約束を守れるかどうか自信のない人もきっと去る。残った人は約束を守る・守るための努力を精一杯する。

つまり、どういった関係性であれ、お互いの間に前提条件のような「約束」をもつことになる。そんな信頼の上に築かれる関係はより強いものになる。関わりたくない人たちも勝手に避けて通ってくれるんだから一石二鳥。

「嫌い」をはっきりと伝えることは、「好き」を伝えるのと同じくらい大切なのかもしれないですね。


おやすみなさい、またね。

「スキ」が元気のみなもとです!