見出し画像

不登校相談室 阿部伸一著

選んだ理由
少し、不登校について集中しようと思っているのですが、不登校専門のカウンセラーの著者(色々な方のを読んではいますが)のの考え方やとらえ方や導き方などが知りたくて読んでみました。表紙の女の子が両手を広げているのも解放感があって気に入りました。自分自身を開放できないと、大きく手を広げられないと思うので、共感性の高かった表紙でもあります。

①正解がない中での著者のまとめ
私〉沢山の不登校のお子さんや保護者さんを長年カウンセリングしてきた著者が、どうまとめるか興味があり心が求めました。そして、学校教育や社会などの状況も、年々変わっていく中で、わたしと同世代の著者が今の時代と子ども達、教育についてどう考えているのか、心をフラットにして聞きたい気持ちです。
著〉心のけがをしている子どもには、親からの関心を薬として与えたい。それは、知識や情報を取り入れることでのインプットのみの親たち。学校に行くか行かないかのみに関心がある親たちが、子どもの傷ついた心にくするではなく、塩を塗り付けている。時に知識や情報は邪魔になる。大人や親の決めつけは、子どもの可能性を閉ざしている。正解は、情報や知識の中にあるのではなく、子ども自身の中にあり、それを引き出していくのが親であるようだ。正解は多数ではない。子どもの心の中にある。そして、親の正解は親の心の中にある。私たちが、コロナ禍から学んだ「ネガティブケイパビリティ」正解がでないネガティブなことのために使う能力。これは、今の時代に大人も子どもも求められるものであり、正解を求めない。正解=多数=普通を知ること。正解は、子どもの心の中にある。

②素敵な家族を早く取り戻したい…から
私〉素敵な家族という概念は人それぞれなのと同時に、それぞれの素敵があるわけで、個人的にはこのテーマは、不登校によって素敵から遠のいてしまった家族の現実について書かれているのではないかと思いました。色々なご家庭のケースの事例から、考えさせられることがあるのではないかと思います。
著〉不登校は、家族について考える絶好に機会である。不登校生のストレスが減るか減らないかは、家族と向き合うことがストレスになるかならないかである。家族と向き合うことで、不登校児が抱える心のケガを回復させることが出来るか否か。親が、普通=多数派を望むのであれば、その比較が、不登校児からみると、すべては自分が不登校であるからいけないんだ!という思いが生まれる可能性もある。ただ、学校へ通っていないだけなので、自分がいけないんだ!と思わせてしまう親は、改めて子どもの心の傷を回復させるのが家族であり、家庭だということを考える必要がある。

③データと現場からみる不登校について
私〉テータ的には、少子化である現在の方が、昔よりも、不登校児は増えている気がする。そして、不登校になる子どもの原因もまちまちな気もする。
学校の対応も、中々難しいのが現状ではないのか?なぜなら、子どもの心の問題を解決するのにこれ!っという答えはなく、教育者や親たちが、子どもの心を癒してあげられる環境を作ってあげられるかどうかにかかっているからだと思うのです。精神論だけでは、現実社会は動かせないので実際問題、不登校問題は家庭でベストな対応できるか否かが大きな鍵を握っていると思います。
著〉無理にも、学校に行かなくてはならないという考えから、無理には学校に行かなくてはよいという選択ができるようになったのは、よい傾向である。心のケガをしている子どもたちを、無理やり学校に行かせることは、-でしかない。不登校→何としても学校へ戻す→解決という対応での限界。むしろ、不登校のままでもいいという感覚、対応は、子どもの自己肯定感を損なわず、結果的に心のケガの回復にもつながる。昔であれば、不登校児は、何が何でも学校へ戻すという方針であったのが、学校やスクールカウンセリングなども。そして、法律の面でも、不登校でもいいじゃん的な法律ができていて、学校以外の教育現場などの提供を始め、まだまだ浸透してはいないものの、強制的に学校へ行くことが、よい結果にはならないという現実からの新たな一歩が、教育面でスタートしている。

気付き
学校は、皆勤賞がベストであるし、学校でも推薦されるような模範的な子どもが、将来明るい未来を歩んでいける可能性が高い。こんな考えが、いかに懐古的で古臭いのかと、改めて考えさせられました。
勿論、学校での模範的な生徒。優秀な成績の生徒は、素晴らしいですが、今の時代、多くの選択が出来つつあると思います。
教育に関する、様々な問題点や課題もある中、不登校が位置する問題について。わたしも、これを機会に考えていきたいと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?