桑田佳祐に失望した日
日本で一番好きなアーティストは?
そんなの決まっている。言わせるなよ。桑田佳祐 "だった"。
桑田佳祐は適当な完璧主義者だった。突き抜けた天才なのに曖昧だった。クセが強いようにみえて、しなやかと軽さをはき違えない。
例えば、彼の歌はロックのようで歌謡曲だ。英語やスペイン語のようで日本語だ。どちらかに振り切ることは決してない。
「女呼んで もんで 抱いて いい気持ち 女なんてそんなもんさ」 と嘯いたフェミニスト真っ青の"女呼んでブギ" とか、ド直球の "マンピーのG☆SPOT" で下衆とオゲレツを極めながら、"SEA SIDE WOMAN BLUES" や "メロディー" で情緒を湛え泣かせにかかる。
愛妻家にみえて、奥さんの前で平気で "LOVE AFFAIR 〜秘密のデート〜" みたいな真に迫った浮気の歌を熱唱する。余談だが、ときどき奥さんに卑猥な言葉でコーラスを歌わせるのは狂気じみている。
平和と極右をもじった "ピースとハイライト"、それに紅白のちょび髭で権力を痛烈に批判したかと思えば、すぐに謝る。
変化や進化を歓迎するようで、とてつもなく恐れる。ノスタルジーに満ちた "よし子ちゃん" はいい例だろう。
「今何時?そうねだいたいね」
結局、これがすべてだ。そう、彼の曖昧な音楽や生き方は、白か黒か、0か100か、正義か悪かしか答えがなくなった、二進法の現代社会に対する完璧なアンチテーゼだったんだ。世界はたいてい灰色で、偶数の割り算みたくきれいに割り切れるものではないのにね。
5年ほど前、彼に "反日" 的なレッテルが貼られたとき、僕はせせら笑った。わかってないなあ。桑田に右も左もないよ。ただ世界とこの国の平和を願っているだけだよ。ただ良い音楽を作りたいだけだよ。ただ弱い者の味方なだけだよ。まったく、C調言葉にご用心だなあと。信念なんていうお手軽なまやかしは、桑田佳祐には無縁だった。そういう意味で僕は桑田を100%信頼していた。
ところが、だ。
なにが「一緒にやろう2020」だ。
テレビの中では、芸能人なんだかアナウンサーなんだかよくわからないヤツらが感動を押し売りしていた。
大好きだった桑田佳祐は、皮肉にも今まで見たこともないような作り笑顔で "SMILE〜晴れ渡る空のように〜" を歌い、手を繋ぎ、"みんなでつながる" ことを求めていた。
アホか。つながらねーよ。
あれは去年の1月末だったから、まだコロナがそこまで頻繁に報じられてはいなかったけど。それでも、「国民総出で諸手を挙げてオリンピックを歓迎しよう。否定的なヤツは非国民だ」という極めて気持ちの悪いメッセージだけは存分に伝わった。
桑田佳祐の持ち味だった、「そうね、だいたいね」の曖昧さ、多様性、つながらない自由などそこにはかけらも感じられなかった。"ひとつになる" ことの危険性は歴史を見れば一目瞭然だ。そもそも社会の分断を助長したのはオマエらだろう?ひとつになるのは、女も勃たすナイトクラブだけで充分だ。
断っておくが、僕はスポーツが大好きだ。アスリートも心からリスペクトしている。それでも、誘致時の贈賄疑惑にはじまり、ロゴパクリ、予算詐欺、森と開会式を巡るパワハラミソジニー、コロナ禍での強行と、あれからさらに悪化した状況をみれば、団結すべきはむしろ、開催の中止でしょう? そもそも、桑田さん、あなたにとって一番大切なはずの音楽文化が今破壊されつつあるんですけど…
「この国ときたら 賭けるものなどないさ」
今の日本は、桑田が敬愛する吉田拓郎の歌詞みたいだよね。本当に。
あのとき、虫酸が走ったけど、僕はまだ桑田佳祐を嫌いになれないでいる。結局、"稲村ジェーン" の再発 DVD もいそいそと購入して、ぶんぶく言いながら見るんだろう。
オンタイムで経験はしていないけれど、僕はあのオリンピック公式ソング惨劇を、"みんなの歌" で桑田が KUWATA BAND を諦め、しぶしぶサザンを活動再開させたときと重ねているのかもしれない。"みんなの" 歌。
「偽りのシャツに ためらいのボタン」
あのとき、偽りのシャツはサザンだったけど、今回はオリンピックが桑田にとっての偽りのシャツであることを切に願う。
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