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生産性には、生産性で返せばいい。

先日、こんな記事を書きました。

「生産性」に関しては、あまり触れなかったんですよ。そこよりも、他に気になる箇所があったから。そして、この話はもう書くまいと思っていたんですが、ちょうどいいYoutubeの動画を知ったので、簡単に書いてみたいと思います。

国連広報センターによる動画です。なんとアップされたのは2年半前。いままでこの動画の存在、全く知りませんでした。動画の概要には以下のように記載されています。

レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)の人々を社会から­排除するとどんな損失が生まれるのでしょう?

LGBTの人々の貧困、ホームレス、うつ、自殺の割合は、そうでない人々より高いこと­が分かっています。しかし、その代償はLGBTの人々だけが払うわけではありません。­私たちすべてにその負担がのしかかるのです。家を追い出され、教育の機会から見放され­たすべての子どもたちは社会の損失です。

LGBTの労働者の権利を否定することは、­より公正でより生産性の高い経済の機会の損失なのです。これらの損失は私たち自らが招いたものです。しかし適正な法律や政策、そしてこれまでと違った考え方­で、私たちはもっと自由で平等な世界を築くことができます。そうすることで、私たちはより繁栄した世界を築くことができるのです。

生産性がないと言うのなら、こうして違った切り口で生産性について語ってあげればいい。LGBTに対する差別は、インドの経済規模と同様の年間320億ドルに及ぶ損失を生み出すとのこと。これは世界レベルの話だけど、日本でも相当の損失は出ているはず。

「日本では『排除』はしていないのでは?」というひともいるかもしれない。けれど、排除とまではいかなくても、自殺未遂率やうつの割合は高いと言われています。だとしたら、損失という観点からは同じことが言えるのではないでしょうか。

以前、僕は個人ブログでこんなことを書きました。

一橋大学の大学院生がアウティングによって自殺してしまった事件について書いた記事です。

彼がもし生きていたら、
出会うはずだったひとたち、
出会うはずだった世界、
出会うはずだった可能性。

どれだけ沢山のものごとを
彼は目に、耳に、手に
することができたのか。
ココロに刻むことができたのか。

彼と出会っただろうひとたちが
彼の影響でどれだけ変化し、
どれだけの貢献を受け取ることが
できただろうか…

こんなことを僕は書きました。そして、いまでもその思いは変わりません。僕も自殺未遂はしたことはなけれども、自殺したいという気持ちはもう何度も何度も何度も何度も…数えきれないぐらい抱いたことがありました。だけどいまはとても幸せだから、自殺にした大学院生の彼にも、「生きていてくれたら」と思うわけなのです。

話は戻りますが、杉田議員が「生産性」を「子供を作ること」としか定義していないのであれば仕方ないけれど、もっと大きな視点で「生産性」について語ることはできないものなのでしょうか。一部の議員さんたちって、「伝統的な家族観」に固執しているようにしか思えず、視野が狭いと思わざるを得ないのです。

例えば、GやLのカップルでも、子供を作れなくても子育てはできる。「同性カップルに育てられた子供はかわいそう」なんて言うひともいるかと思うけれど、オーストラリアではこんな調査結果も出ています。

幸福度が高ければ、社会でその能力をいかんなく発揮できる可能性が高くなり、ひいては生産性は向上すると思うんだけど、どうなんでしょう?

あんまり「生産性」「生産性」ばかり言ってると、「ひとは生産するためだけに生まれてきたんじゃない」なんて考えも頭によぎるんだけどね。僕は生産性が云々という話はそこまでどうでもよくって、彼女が生産性について語るのであれば、それを「多角的に」「より広い視野から」語ってほしいと思ったんですよね。

その結果、やっぱりLGBTは生産性がないって言いたいのなら、もう勝手に言ってくれよー、ってな感じです。

この話題は今回でホントに終わりにしたいと思います。もっと楽しくてハッピーなことを書いていきたい・・・(笑)

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