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【敵意帰属バイアス】が働いた議論は平行線

おはようございます☀️

今日は以前、議論の進め方でなるほどと思ったことをここ数ヶ月意識的にやってみたけど、効果があったので共有。

■攻撃的な人の多くが持つ感情
前向きな議論を進める上で、攻撃的な人の存在が話をややこしくする。
特に感情的になって攻撃的になる人は、話を止めることができなくて、悪いことはあっても良くなることはない。

例えばSNSの誹謗中傷
批判している人の多くは感情で「嫌い」がきっけかとなる。
さらに日頃のストレスと重なり、ストレス発散として嫌いという感情を爆発させている。
この状態になっていると、正論を言ったところで相手は感情で嫌いという側面だけで反論してくる。

アンチの人の多くは嫌いという感情が表にでている人。

嫌いという感情が出ている人には、何を伝えたところで無駄ということ。

嫌いという感情を好きにすることって難しい。

分かりやすくいうと、生理的に嫌いな人って必ずいると思うけど、その人を好きになりますか?ってこと。
ただ、嫌いだけど仕事として割り切って付き合うことはあるけど、好きになる努力はしないし、嫌いという感情を抑えることで関係が成立していると思う。

人の嫌いという感情が表に出過ぎると、知らず知らずのうちに攻撃になっていることもある。
これは、誰もが少なからず経験していることだと思うけど、嫌いなものを拒絶する行為、自分なら静かなカフェで大声で話している人や、清潔感がない人に対しては「嫌い」という感情が顔にでてしまうことが多い。
この場合は、生理的に嫌いというだけだから、特に相手に危害を加えるわけではなく、単純に無視したり関わらないようにするだけなので、揉めることはない。
ただ、攻撃になってしまうケースがある。

■攻撃の心理
攻撃行動を起こす3つのメカニズムがある。

①攻撃本能の爆発
人は心に攻撃本能を持っている。
この本能の高まりと、怒りという感情を誘発する刺激があいまって攻撃へと至る。

②欲求不満の発散
不快な出来事(目標の達成を妨害されたなど)から欲求不満が生じ、そのストレスから攻撃へ至る。
ただし、攻撃は欲求不満の対象に向かうとは限らず、攻撃しやすい相手に向けられることもある。
(例:上司の理不尽な対応にいらだち、自分の部下に怒るなど。)

③目的を実現するための攻撃
・危害を回避するため(正当防衛)
・いうことをきかせるなど、他人を従わせるため
・罰を与えるため
・自己呈示の方法として
メンツを守る、男らしさを示す、勇敢であることを示すなどで、この場合には怒りなどのマイナス感情は伴わない。

※①と②の攻撃には、怒り、不満、敵意、あせり、嫉妬などのマイナス感情が伴う。
この攻撃の心理は誰もが持ってしまうことだから意識的に気をつけることで抑えることもできる。

問題なのは③
この状態に入っている人は止められない。
SNS誹謗中傷をやめない人の多くはこの③の状態ってこと。

この状態になったら相手が弱るまで攻撃をやめないし、攻撃はエスカレートしていく!

そうなる前に相手との距離をとったり、何もしない方がエスカレートは防げる可能性はあるけど、とにかくそんな人とは関わらないしか対策はない。
SNS上は関わらないということがコレまでできなかったから問題が大きくなったけど、今、誹謗中傷する人を特定できる法案の調整がされているから少しは改善されるかもね。

会社とかでもこんな人は必ずいる。
そんな人とは関わらないことが大切。
関わったとろで損しかないし、攻撃的な人は遅かれ早かれ自滅するのでそれまで待つのがいい。

■敵意帰属バイアス
嫌いの感情が攻撃的になってしまう要素として、敵意帰属バイアスが働いていると言われることがある。

敵意帰属バイアスとは、
他人からされた行為が敵意や悪意によるものだと認識してしまう心理的傾向のこと。
日常のストレスを抱えている人は感じやすいから注意が必要!!!

例えば、偶然足を踏まれたにもかかわらず、「わざと踏んだに違いない!」と怒ったりしている現場をよく見るけど、それは敵意帰属バイアスが働いている状態。

世の中には、敵意帰属バイアスが強い人が多くいて、みんな敵と感じて『人間不信』になりやすかったりするけど、敵意帰属バイアスが強い人に対しては何を言っても理解されない。

議論の場であれば、正論を言っていたとしても、そもそも正しいか?間違いか?の議論ではなく、悪意を持たれている人の意見は受け付けないゾーンに入っているから、話が全く進むわけがない。

■平行線になる議論の特徴
会社の会議で無駄に長くなったり話が平行線で全く進まないケースの場合の特徴は、論点がズレている。

まず、大前提で人は好きか?嫌いか?という感情が強く働き、特に嫌いという感情が表に出てきたら冷静な判断ができなくなる。

例えば、自分のこと嫌っているなと思う人は、自分が正しいことを言っていたとしても、嫌いという感情があるから、話の論点を嫌いだからダメという風になりやすい。

この嫌いという感情はお互い歩みよることができないから、それが感じた瞬間に議論をしても意味がないから別の方法を考えた方がいい。

このように議論の最中には、
正しいこと⇆間違っていること
好きなこと⇆嫌いなこと
の2軸が混じって会話されることが多い。

これを座業軸で置き換えると頭の整理もできる

多くの議論の場合、提案者は思いが強いブロジェクトであれば、好きで正しいと思って提案している。

でも話を聞いている人は、そもそもプロジェクトに対しての思い入れがまだなければ好きでも嫌いでもない状態で、冷静に正しいか?間違っているか?の判断ができる。

でも、そもそもあなた自身が嫌われていたら?
正しいか?間違いか?の議論ではなくなるってこと。

議論の大前提は正しいか?間違っているか?の横軸での判断が正解!
この場合は、間違っていることであれば、それを直して良くする方法を考えたり、新たに提案することで議論は前には進む。

でも好きか?嫌いか?という議論は、お互いの感情を歩み寄らせることは不可能に近い。
そうなったら議論をしたところで先にも進まないし、改善も何もない。

この座標軸を思い浮かべてTwitterの炎上しているコメント欄を見てみると面白い、

例えば、愛知トリエンナーレでの大村知事が河村市長に対して賠償請求問題が凄く分かりやすい。

河村市長はトリエンナーレで表現の自由と言えども、政治的問題になるような表現は間違っているという意見。
正しいか?間違っているか?の議論をしようとしている。

一方、大村知事は正しいか?間違っているか?の議論ではなく、自分は正しいことをしたという前提で自分の推奨したことを邪魔した人が嫌い?という感情が表に出過ぎている。

この状態では冷静に正しいか?間違いか?の判断より嫌いだから!という感情だから、話は平行線で結果裁判をおこすという結果になった。

この議論でTwitterでは河村派と大村派で分かれているけどそれぞれの批判の意見を眺めていると、正しいか?間違っているか?というより嫌いだからみたいな感情的なコメントが目につく。

そうなったら場合はお互い歩み寄ることは出来ないから距離をそっととるしかない。

議論が進まない時、冷静に話を聞くと嫌いだからという感情が議論の進行の妨げになっていることが結構多いということに気がつく。

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