見出し画像

人生最大の後悔

唐突に母親に会いたくなる瞬間がある。

私が14歳の時、母は自らこの世から去ってしまった。

「失ってから大切だったものに気付く」っていう言葉は本当で。

反抗期で、母親に当たり散らしていた自分を心底殴りたくなった。

母がいなくなる日の朝、私は自分の不満を母に向けてぶつけてしまった。

母は、全てを受け止め、聞いてくれた後、私にこう言った。

「一緒に死のうか」

それは、今までずっと我慢してきた母親の精一杯のSOSだったのだと思う。

それなのに、まだ未熟だった私はただ

「なんでそんなこと言うの。死にたくない。一緒に生きよう」

なんて自分本位なことばかり言ってしまった。

母の想いなんて、全然受け止められていなかったのだ。

なんて酷い娘なんだろう。

私は自分のせいで、大切な人を失ってしまった。

私の機嫌が悪い時、母は「一緒に料理をしよう」と誘ってくれた。

でも、私はそんな母の誘いをたった一言「嫌」と断ってしまった。

今思えば、あれが母親と一緒に料理をする最後のチャンスだったのだ。

今の日常が永遠と続くなんてあり得ないって、言葉として理解は出来ても、実際に実感出来ている人ってどのくらいいるんだろう。
もしくは、今日の1つ1つの出来事が、かげかいのないものなんだって、1日に何回感じることが出来ているだろう。

私の記憶の中の母は、いつも笑っている。

それは、私がどんな態度を取ろうと、周りにどれだけ振り回されようと、母親が母親だけがいつも頑張って、頑張って、頑張って。

振り返ってみれば、小さなSOSは何度も出ていた。

それに気付かなかったのか、それとも気付いてて母親に甘えていたのか、その両方なのか。

どちらにしても、今私に残っているのは、もう2度と母親に会うことは出来ないという現実だけだ。

これだけ母親を傷つけておいて、自分が辛い時、悩んでいる時、唐突に母親に会いたくなる。

そしてその度に、母に会えない悲しみと自分への怒りで感情がぐちゃぐちゃになっていく。

だからこそ今、この記事を読んでくれた人、そして出来ることなら過去の自分に伝えたい。

一時の感情で行動してしまうのは人間だから仕方のないことかもしれない。
でも、その感情がひと段落した時、思い浮かべて欲しい。
今この瞬間は今しかなくて、ずっと今が続くことはあり得ない。
そして、相手の非言語的なメッセージを見逃さないで。
目の前にいるかけがえのない人を、これからもずっと大切にしていきたいのなら、共に笑い合う未来を抱きたいのなら、相手の小さな変化を見逃さないで。
向き合うことを恐れないで。

そうすればきっと、時に傷つけてしまうことがあったとしても、きっとどこかで繋がっていられるから。

あれから約10年が経ち、私も随分と大人になった。

大人になって、母のように相手の感情を受け止めることの難しさを日々感じている。

今さらということも分かっているし、大切な人を傷つけた私にこんなことを言う資格はきっとないけど、私は母のような人になりたいと思う。

母を目標とし、追いかけ続けることが、今の私と母を繋げる唯一のものなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?