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【フィンランド教育】自主性を育てるには?から行き着いたフィンランドと帰国後の学童アルバイト①

スポーツ栄養士×アスレティックトレーナーの後藤です。
私は現在37歳なのですが、24歳の頃から“先生”と呼ばれています。いや、もっと遡ればフィットネスクラブで働き始めた22歳の頃から呼ばれているな。
細かいところは置いといて、ここでは学校の先生として、もっと範囲を広げると指導者として私が悩んだ末に行き着いたフィンランドの教育についてお伝えしようと思います。

先生になったきっかけ

「一緒に働かない?」
専門学校の謝恩会で、一番お世話になった恩師からの突然のお誘いでした。
高校卒業後、スポーツトレーナーを目指して入学したリゾート&スポーツ専門学校。勉強も体育祭などのイベントも部活もオープンキャンパスのスタッフも、やれることは全て力と時間を注いだおかげで、県知事賞というありがたい賞まで受け取ったにも関わらず、就職は決まっていませんでした。
その頃から私は“会社で働く”イメージが持てず、どうにかスポーツ現場(スポーツチーム)で働けないかとチャンスをうかがっていたのですが、この業界はなかなかそのチャンスがなく、もれなくプー太郎で卒業を迎える流れに。
そこにきて「一緒に働かない?」という言葉は震えるほど嬉しかったのを覚えています。

当時の私は学生としては素晴らしい人間だったかもしれない(自分で言っちゃったよ)。けれど、居酒屋のアルバイト経験しかない私には、先生としてでなく先輩としてしか生徒に伝えられるものがないと考えた末に、その申し出をお断りしました。
その後、縁あって東福岡高校サッカー部のアシスタントトレーナー(無給)として1年間活動していたのですが(詳細は別の機会に)、これまたありがたいことに別の恩師から「学んだことでお金を稼がなきゃダメだよ」と一喝。新規オープンのフィットネスクラブを紹介され、ジム部門マネージャーとして働き始めました。
右も左もわからないオープン準備。2週間で何とか仕組みをつくり、オープンに間に合わせることができました。
ここではトレーニング指導、ストレッチ指導、ダイエット指導、スタジオレッスン、就園前教室、イベント企画などを行っていました。

2年働いた頃、ずっと受験していたアスレティックトレーナーの試験に合格し(3度目の正直!)、恩師たちに連絡したところ3件のお誘いをいただきました。本当にありがたい。

そのうちの一つである名古屋での専門学校の講師を選択しました。地元を離れることはかなり勇気のいる決断でしたが、自分の周りにすぐに助けてくれる人がいる環境では甘えてしまうということもあり、あえて厳しい環境へ飛び込むことにしました。
数年越しに恩師のオファーに応えることができて誇らしい気持ちになったのは言うまでもありません。

②へ続く。

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