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うつ観察12 睡眠について、昔の人も病んでた説

木曜の夜は睡眠薬を飲まずに寝てみた。


眠れなかった。10回以上目が覚めた。調子をつかむ、というのは難しい。


金曜は朝から病院へ。フィジカルの方で入院するので、そのための検査だ。

たいした検査ではないのだけれど、すごく疲れてしまった。


体が重い。

思考がぐるぐる回る。


教訓を生かして金曜の夜は再び睡眠薬を飲んで寝た。

何度か目が覚めた気もするが、すごく眠れた。朝、スッキリである。

なんやかんやで9時間くらい寝たようだ。


疲れていたのだ。普段からこれくらい睡眠をとれば良いのか。


もっと、もっと寝よう。


土曜は家族と過ごした。

でも、やっぱり昼を過ぎると眠くなる。

人間の生理現象はなんとかならないものか。


15時、僕だけウトウトする。

16時。なぜか僕以外の家族が昼寝を始める。こんな時間から寝て大丈夫ですかー。


自分の能力をマネタイズする方法はないものか、夕飯の米を研ぎながら考えた。

僕には突出した能力はない。

ただし、まんべんなく、だいたい何でもできると言っても良い。

つまりスペシャリストではない。

だから、スペシャリストとしてマネタイズしようとしても無駄である。というか、できない。


スペシャリストにならなかったのには理由がある。


1つ目の理由は、それほど興味のある分野がなかったこと。

熱中することもあるのだが、しばらくすると興味が失せてしまうのだ。

中間テストは得意だが、受験が得意でなかったのもこの辺りが理由かもしれない。

失せないのは三大欲求くらいだろうか。

ベッドで寝ているだけの仕事があればしてみたいものだ。

 

2つ目の理由は、意図的にスペシャリストにならないようにしていたからだ。

自分の幅を広げることに集中していた。狭めることに拒絶反応を持っていた。いろいろできないことが不安だったのだ。

いろいろなことを少しずつできるようにすることでリスクを分散していると思っていた。また、上に立つ人間になったときは少しずついろいろなことを理解している必要があると思っていた。

これは、今となっては正しいかどうかわからない。


学校教育でそういう風に(なんでもまんべんなくできるように)と指導されていたこと、社会的なゴールが偏差値の高い学校と給料の高い会社にフォーカスされていたことも理由かもしれない。


話を戻そう。

したがって、僕がマネタイズ能力があるとすれば「だいたいなんでもできます」の能力であって、「コレなら誰にも負けません」という能力ではない。

でも、他の人もだいたいそんなものなのかもしれない。

能力の問題か、興味の問題だろうか。


日曜、朝から喉が痛い。風邪をひいたかもしれない。

一日中家族と過ごしたが、ひどく疲れた。


図書館で、三年寝太郎の絵本を見つけた。


知らない人のために、三年寝太郎のあらすじ。

寝太郎はもともと、働き者だった。

母の死、日照り続き、せっかくとれた少量の作物も役人に取りあげられてしまう横暴等が続いた結果、寝まくる男となってしまった。

三年程寝た後、遠くの大きな川から村に水を引くと言い出す。それを聞いた近隣住民は呆れかえる。

そんな人たちを尻目に寝太郎は一人でせっせと川から水を引く。だんだん手伝う住民が増えてくる。

最終的に川から村に水を引くことに成功し、収穫量が増え、みんな喜んでめでたしめでたし、という話である。


昔話なので誇張や脚色が多いにあると思うが、結果はどうあれ、僕が注目したのは過程である。

三年も寝たのは、うつだったからではなかろうか。


昔の人だって人間である。精神的に病む人もいただろう。

当時、多くは怠け者と呼ばれていたかもしれない。


僕は歴史小説が好きなのだが、昔の武将も何か月も「兵法書を読み漁っていた」だの、「部屋にこもって思案していた」だの、という記述がたびたび登場することがある。

これも、おそらくはただ単にうつだったのではないだろうか。

武将だっていろいろ考えることが過ぎて病むことがあったと思う。

昔から、みんな病んでいるのだ。


日曜の夜に睡眠薬を飲んだので、比較的よく眠れた。

が、月曜の今日は一日中寝ることにした。そして、実際に寝た。


少しの事務作業と昼食、読書以外は寝ていた。


もっと寝ていい。

たぶん、僕らは自分が思っているよりも疲れている。

カフェインを減らして、もっと休養しよう。


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