くもをさがす【読書記録 No.1】
「うわーーーすげーーーー!!」
読み終わって本を閉じて、布団に寝っ転がって、叫んだ。
なんだかすごい本だった。
本はいつもすごいのだけれど、この本は叫びたくなったり唸ったり痺れたりするすごさがあった。
西加奈子著「くもをさがす」。
友達に薦められて手にとった一冊。
この一冊を「自分の手で開いた」ことに、今、とても満足している。
がんになった西さんが、その時の感情や周りの状況について、日記のように書き進めていく。
がんになって励まされた時のことを「体温のある言葉が溢れた」と記していたり、自身の身体の中にあるがん細胞に「がんも生きようとしている」と彼女なりに向き合おうとしている様子が記されていた。
私ががんになったら、なんて考えたことはなかったけれど、がんに対して「君も生きようとしているんだね」なんて考えることはできないんじゃないかと思う。
でも、がんも自分。
それは私が「自分が不安定になってしまうことも自分だ」と思わなければならないことと、同じなのかもしれない。
難しい。きっと西さんも、難しかったのではないだろうか。
「弱いと自覚することで、自分の輪郭がシンプルになった」
「死は、私たちが呼吸をしているすぐそばにある」
彼女はそう語っていた。
そしてだからこそ、前を向いて、光だけを見て、生きることだけ考えていくんだと記していた。
「光に集中することは、暗闇をなきものとすることではないと、私は思う。」
読み進める中で、しびれた言葉のひとつだった。
西さんは今、カナダで暮らしている。だから医師や友達との会話は英語?なのだと思うが、西さんの訳し方は関西弁っぽくて、新しいな〜面白いな〜と思った。
学生の時に英語を訳そうとしたとき、何もかもを固い表現でしか訳せなかった自分を思い出した。
闘病の合間に久しぶりに日本に来た西さんが、日本のことを「狭い」と表現し、でも狭いからこそ「広がりではなく深さ」の美を追求するところが興味深いと語っていて、2つの国の違いを見てその良さをその巧みな言葉で表現できるところに文才を感じずにいられなかった。
「日本人には情があり、カナダ人には愛がある」
これも、私が読みながらしびれた言葉のひとつ。
でも、一番しびれたのは、最後の章。
この本が、西さんのがんの闘病を綴ったものであることは知っていた。だから、ある意味「他人」に起きた出来事を、文字通り「他人事」として読んでいた自分がいた。
最後の章で、それを思いっきりひっくり返された。鍋を底からぐわっとかき混ぜた時のような気持ちになった。だから読み終えて叫んだ。
この感覚は実際に読まないと伝わらないので、ぜひ読んでほしい。あなたに。
(こんな感じで読書記録をつけていきたいと思ってます。シリーズ化したい気持ちもあるなぁ。)
2023.12.21
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