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「もう手遅れ...」みたいに言うけれど

後悔をしたことはあるだろうか。

「あの時こうしておけばよかった」そう言う気持ちに気がつくと、
もう手遅れなような気がして、気が沈むのは私だけだろうか。
「あの時〜」「しておけばよかった」この言葉が過去形な時点で、
手遅れに感じてしまうのは仕方がないような気がする。

ーーー

今日、3年ぶりに高校の同級生と会った。
社会人3年目、平日の昼間、地元のカフェで、悠々と
ケーキを食べながら高校時代の思い出話に浸ってひいひい笑う

この異様な光景が実現できているのは、
2人とも仕事を辞めてニート期間を過ごしているからだ。

私の友達は看護師として約3年間働いたのち仕事を辞めた。
私は、一度は正社員コンサルティングとして働くものの、
その働き方が合わなくてほんの1年2ヶ月で辞めてしまった。

その後、半年くらいアルバイトをして生計を立てているので、
フリーターとしては私の方が少し先輩である。誇れることでもない。

何がともあれ、私たちは人生の迷い人となってしまったようだ。

言わゆる、社会のレールというものから完全に外れてしまって、
過去の少しばかりの後悔と、未来への無数の不安を抱えて、
今、ここに座り、それでも生きていくために楽しかった思い出にひたる。

側から見たら楽しそうな光景も、
一気にくすみがかってしまうような状況の中にいるのである。

私は、彼女が羨ましかった。
そして、多少なりの劣等感と孤独感も感じていた。
なぜなら、彼女と私の”フリーター”の意味が全然違うから。

看護の勉強に勤しみ資格を取得し、3年間の実務経験もある彼女。
スキルや資格がない、単なるフリーターの私。

ここには大きな壁があるように感じた。
彼女は、たとえフリーターという期間があっても、
資格と経験さえあれば、需要の高い看護職には
すぐに復帰できるはずだ。資格は努力をした証明にもなる。

一方私は、学生時代に旅にハマりアジア圏を中心に
一人旅こそしていたものの、特別スキルや資格があるわけではない。

そう考えると、自分は一気に無価値に感じ、
未来への補償も安心も全くない状況に陥った。

「はぁ、私も学生の時にスキルや資格とっとけばよかったなぁ」
気づいたら声が漏れていた。

ついに楽しさに浸っていた時間に亀裂を入れてしまった。
一気に向き合うべき問題へと話がシフトしていく。
私たちの顔からは少しずつ笑顔が消える。
重くどんよりとした鉛のような気持ちが侵食してきた。

しかし、彼女から帰ってきた言葉は意外だった。
「私、看護の資格なんて取らなきゃよかったって思ったよ。
正直戻りたい仕事だとは思わないし、そう思っている時点で
持っている意味がないと思うんだ」

加えてこんなことも言っていた。
「むしろ、学生時代を返して欲しいって思うもん。
普通に4年生の大学に行ってさ、思いっきりやりたいことやって
たくさん旅に出て広い世界を見て見たかった。時間を返して欲しい」

意外だった。
彼女は、私が通ってきた道をほしがっていたのだ。
私は、彼女が羨ましくてしょうがないのに。

”隣の芝は青い”
そんな言葉が浮かび上がってきた。

と、同時に、
「こうしておけばよかった」という感情は、
実は過去のものではないのかもしれないと思った。

過去形という言葉の文で
過去のことのように感じて、もう手遅れかもなんて
落ち込んでしまうこともあるけれど、

実はそれって、今の感情なんじゃないか。

”専門学校を選んで勉強に勤しみ資格を取得し、
3年間看護師として勤務をした事で合わないとわかって、
フリーター期間を過ごしている”
その経験を経た彼女が、「広い世界を知りたい」と自覚した。

そうに過ぎないのかもしれない。
逆に言えば、

”4年制大学に入って旅にたくさん出て広い世界をしり、
卒業後は一度正社員として務めてみたけれど合わないとわかって、
フリーター期間を過ごしている”
その経験を経た私が、「スキルや資格の必要性」を自覚した。

ということなのかもしれない。

きっと私たちは、高校時代に戻っても同じ選択をするだろう。
それぞれの歩んできた道は、当時のわたしたちからしたら
一番いい選択をしていると確信をしているから。
当時においては一番やりたかったことだから。

純粋に、やってみた結果、何かが違ったり
他のものの必要性を自覚して、その道ではなかったと
気づいたということに過ぎない。のかもしれない。

その後、コーヒー片手に後悔を
口にする私たちは、今について話し合った。

「看護の世界しか見てこなくてもっと
広い世界を見たいからたくさん旅をしている」と彼女。
「旅を続けるために専門知識を身につけたいから
プログラミングの勉強をしている」と私。

なんだ、お互いに必要なものを”今”取り返しているじゃないか。

フリーターという、空白の時間を利用して。
私たちは、「こうしておけばよかった」というものを取り戻す。

人生はこうやって、のらりくらり進んでいくのかもしれない。
これまで積み重ねてきた経験や見聞きしたものを頼りに
感情が動き、行動に移し、今見えるものでベストを選んでいく。

その連続が一つの人生へと化していくのだろう。

ーーー

私は、頭の中から「後悔」という文字を概念ごと消し去りたい。
そして、新たにこう書き足しておきたい。

後悔:
過去の経験からの学び。未来へ生かすもの。

ーーー

私たちは、人生の瞬間を生きている

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