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【バトン連載】私の移住ストーリー vol.3|出堀良一@石垣島

私が石垣島に移住した理由

『自転車地球一周の旅』ゴールテープを切ったのは実家のある東京だった。
一周の定義どおり出発地点の家を出て、その家に帰るまで10年と2日かかった無帰国いきっぱなしの人力旅。

総走行距離 124,850Km(地球3周分)
115ヶ国と地域を訪問し、世界5大陸を走破して戻ってきたのだ。

自転車冒険家としてペダルを止めてから早いもので 4年。石垣に移住してからも 4年目となっている。

自転車世界一周の軌跡

帰京後しばらくは【冒険家モード】のまま仲間達との再会や講演会、メディアへの出演などが続いたが、それもひと段落すると次の【定住モード】に切り替えなければならなくなった。

すぐに社会に属する考えは毛頭なく、しばらくは生活費を稼ぐために自転車でのデリバリーサービスに加わった。今あるものといえば、世界を駆け巡ってきた愛車だけ。どんな量の荷物でも運べる。何時間でも漕いでもへっちゃら。懐かしい東京も見てみたい。

そう意気込んで都内を駆け回ってみたが、すぐに興味を失ってしまった。それは、全くワクワクしないことだった。旅とは違い、頑張ればそれだけ対価がもらえ安定はする。しかし、走るたびに「これでいいのか?」という疑問が頭をよぎってしまうのだった。

トルコ:カッパドキアにて

10年間、自由に地球でテントを張って寝てきた。それは側から見れば安定とは程遠い生活だったかもしれない。しかし、毎日がワクワクしていた。自由という不自由を乗り越えていくスキルは自転車の旅で芽生え、年を重ねるごとに鋭利さを増していたのだ。もう体に染み込んでいるワクワクは、僕自身の安定剤のようなものになっていた。東京のワクワクしないシステム化された環境は「これでいいのか?」と僕を自閉的にさえしていたのだ。

エチオピア、ケニア国境:過酷だけどワクワクしていた

ターニングポイントとなったのは、重箱料理の隙間にぽつんとあるバランのように、高層マンションが四方を囲む小さな公園で、ぼんやりと外遊びを楽しむ園児を眺めていた時だった。

『すいません…』と肩を叩かれた。

旅中であれば「どこから来たんだい?」とお茶でも振る舞われる展開になるだろう。東南アジアあたりなら女学生が興味津々に取り囲んでくるかもしれない。そんなことを思いながら振り返ると、そこには想像と反して警察官が立っていた。

通報がありまして―――

いくつかの質問に答え、警察官はやわらかく立ち去ったが、質疑応答の中で「自称冒険家、現在無職の35歳、長髪独身男性が日中に園児をニヤニヤ眺めていたら、そりゃ通報されますよ」というニュアンスを感じざるを得なかった。都心で住むためにはどこかに属し、肩書きを着飾らないといけないらしい。

移住するためにクリアしなければならなかったこと

「石垣島に来ませんか?」 と、一本の電話があったのはそんな時だった。
地球一周の最後は韓国からフェリーで博多に入り、東京に戻るまでの間も日本各地を旅していたのだ。その途中で立ち寄った石垣島の宿からだった。「マリンレジャー業をはじめたいので手伝ってくれませんか?」というのが電話の主な内容だった。

エジプト:ダハブにて

世界一周中には旅費を稼ぐためにエジプトやマルタでダイビングの仕事をしていたことと、奇しくも都内でスキルアップをしようと[潜水士]の資格を取得した直後の電話だったので、資格も活用できる。ひさかたぶりのワクワク感を肌にまとい石垣島へ向かったのだ。

しかし、世界的なパンデミックが起きたのはその直後だった。新規マリン事業もコロナの引潮には勝てず座礁せざるを得なくなってしまったが、僕は石垣島に残る選択をしたのだ。なぜなら世界中の海と比べても、八重山の海がいかに豊かであるかを知ってしまったからだ。海に潜れば国境を越えるより容易に、そして劇的に世界が変わる。そんな自然と共に生きる生活は「地球と対等に存在できている」という気持ちが強く感じられワクワクする。都内とは違い「生きてるな」と感じられるからだ。

それに、日中からビール片手にボーッと子供たちを眺めているオジー達もいる。誰も通報なんかしやしない(笑)。この居心地のよさも、僕が石垣島に移住したきっかけだったと思う。

フィンランド:オーロラとテント

移住に対してクリアしなければいけないハードルは僕には少なかったように思う。そもそも自転車一台あれば世界中どこでも生きていける体なのだ。しかし、移住となればテント生活ともいかず、家探しが一番の重要事項であったと思う。
 
ワクワクを主体とする僕の性格では、やはり石垣であれば赤瓦の古民家に住みたい。しかし、不動産屋でも古民家の物件はなかなか出てこない。現在住んでいる家は町中を隅々まで歩き回り、空き家を一件一件調べ、連絡先を聞き、家主さんに直接お願いをして借りられた家だ。古民家を手直ししながら住むのも、愛着が湧きいいものである。

移住してみて、今おもうこと

それと、明確な【好き】を持っていることも移住では大事なように思う。

このバトン連載vol.1で村上あす美さんも書いていたが、ほんと八重山には“肩書きがよくわからない人が多い”。好きなこと、得意なことを真っ直ぐにやっている大人が多いのだ。

 僕の明確な【好き】は、
 ・物作りが好き
 ・自然が好き
 ・アナログな浪漫が好き
 
よって現在は、木工作家、内装業、カヤックビルダー、アップサイクル品の制作、動画・写真クリエーター、ロゴ制作&デザイン、壁画描き、講演家、マリンガイド… と、、、他分野に渡り好きなことだけで活動している。最近よく耳にする“多様性”という言葉。職種や役職、肩書きでカテゴライズしない生き方も多様性ではないだろうか。

石垣島:手作りカヤックでいざ海へ!

世界がきな臭くなってきた昨今。僕が訪れた国々でも戦火が上がっている。地球なんて自転車で走れるほどしか大きくないんだから、そろそろ国や信じるものの違いでカテゴライズせず、同じ「地球人」として考えられないものかと日々思っているが、カテゴライズせず “人” に重きを置いた石垣の暮らしは多様性の最先端な場所だと思っている。

次のバトンは…

次のバトンは“アッキー”こと丸岡 亜紀さんへ。ほとんど飲みの席で冗談ばかり言っている間柄だが、イラストレーター、デザイナー、水中写真などの作品は飲みの席では見せないグッと引き込まれる品格を感じる。お酒のないアッキーのストーリーも楽しみにしています。

この記事を書いた人

出堀 良一 (でぼり よしかず)

映像制作会社でプロダクションマネージャー、ディレクター、美術として数々のMV、CMに携わる。2009年より自転車による人力世界一周に出発、 2017年ドバイトラベラーズフィスティバルにて世界の冒険家36名に選ばれる。 2019年10年の旅を経て帰国。2020年より石垣に移住し、創作活動を中心に活躍中。

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