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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第5話 上京編(1)

花の都

数あるスポーツの中から格闘技を選び、数ある格闘技の中から空手を選び、数ある空手の中から極真を選んだフリムン。

彼の細胞が、キョクシンの世界観にドンピシャに反応した結果であった。

そんな極真の黒帯を取得し、石垣島に極真空手を広める。その夢の実現のために上京を決意して早1年。

フリムンは19の春を迎えていた。

漸く辿り着いた夢にまで見た大東京。フリムンがそこで見た光景は、余りにも発展した文明の最たるものであった。

「なんて人が多いんだ」
「なんだこのオシャレな人たちは」
「なんて高いビルディングだ」
「なんだこの車の数と渋滞の長さは」

初めて目の当たりにする圧倒的なコンクリートジャングルの迫力に、「なんて」と「なんだ」が止まらなくなったフリムン。

石垣島では令和になった今でも、信号待ちで複数台の車が連なるだけで、「今日マジ混んでんじゃん」「ダルッ」という会話が成立する。

それが東京では、渋滞10㎞や20㎞という途方もないレベルでも、皆当たり前のように我慢しているのだ。

「信じられない…都会の人は時間が惜しくないのか?」

スマホやカーテレの無い時代に、車中で何時間も時間を潰すなど、フリムンの辞書にはただの一行も書かれていなかった。

更に世はバブル真っ只中であり、殆どの日本人は有り余る金の使い道を模索していた。

そう、正しいお金の使い方を学ばずに、いきなり大金を手にしてしまったのだ。

よって日本中で無駄な遊びが横行し、金と時間の浪費が繰り返されていた。

今の若者には、俄かに信じられないような話しかも知れないが、確実にそんな時代があったのだ。

ただ、フリムンに限ってそんな心配は要らなかった。

何故なら、彼の財布に万札が眠ることはなく、せいぜい千円札と小銭がジャラジャラ遊ぶ程度。無駄使いできるほど無駄な金がなかったからだ(涙)

「暫く友人宅で世話になり、敷金礼金が溜まるまでバイトに明け暮れよう。空手は生活基盤が整ってからでいい」

上京したばかりのフリムンはそう計画を練った。

手っ取り早く金が稼げて、それでいて彼の脳シナプスでも十分補える仕事。肉体労働しか選択肢はなかった。

そうしてアルバイトニュースで働き口を探していると、とある運送会社を見つけた。

他を当たるのは面倒くさかったので、彼は即決でそこを選んだ。

その怠慢が、不運の始まりとも知らずに。

こうして人生初となるトラックの運ちゃんデビューを果たしたフリムン。

これが、花の都「大東京」で巻き起こる珍道中の始まりであった。

運ちゃんと言えば「トラック野郎」大好きな映画であった。

東京のバカヤロー

仕事が決まれば、ある程度の軍資金が溜まるまで働きまくるのみ。

フリムンは浪費を抑えるため朝から晩まで働きつつも、1日にカップラーメン1個やパン2個とかで過ごし、後は飲み物で腹を満たした。

そうして出来るだけ早く友人宅を出る努力をしたが、タバコだけは毎日2箱は吸わなきゃ気が済まないガチのヘビースモーカーであった。

そんな生活をしていると、日に日に瘦せ細って行き、半年も経たない内に体重は50kg台にまで落ち込んだ。

不健康極まりないとは正にこの事である。

よって空手どころではなかったが、努力の甲斐あって直ぐにアパートを借りる事ができた。

生まれて初めての一人暮らしである。

上京後は地元の友人たちと共同生活をしていたため、プライバシーなど皆無であった。

フリムンは、心の底から一人暮らしを満喫した。

それでも、まだまだ空手を始める余裕はなかった。生活必需品を揃えなければならなかったからだ。

それぐらい、金に余裕がなかった。

これは後から知った事だが、働いていた運送会社の社長が、彼の給料の一部をこっそり着服していたからだ。

どうせ田舎者だからとカモにされたのだろう。

朝から晩まで1日14時間以上も肉体を酷使したが、手取りはたったの14万円程度。

バブル真っ只中の時代に、正直この金額はあり得なかった。

家賃が8万弱なので、光熱費を差っ引いたらもう食費しか残らない。

それもかなりの少額だ。

それでも、田舎者の彼はそんなもんだろうと疑うことをせず真面目に働いた。

そして徐々に生活はひっ迫していき、更に痩せ細っていった。

それを見た友人が、他の職場へ移ることを進言。

色々と調べている内に、この運送会社の給料が余りにも低いことに気付いた。

男は迷うことなく退社届けを提出。

それを聞いた社長はあろうことか逆ギレした。カネヅルが居なくなるのだから当然だ。

「お前は受けた恩を仇で返すのか?」

聞いて呆れるような台詞を浴びせた。

こうして、上京後いきなり突き付けられた都会の厳しさと冷たさに、男は強くあらねばと腹を括った。

「今に見てろよ東京のバカヤロー」と。

GIFT

上京してから数ヶ月後、突然祖母から小包が届いた。

箱を開けると、中には大好きな「ポーク缶」「オキコラーメン」「塩せんべい」等が大量に詰められていた。

フリムンは大喜びして中身を全部取り出した。

すると、箱の底に一通の封筒が置いてあった。封筒の中身は手紙と万札が1枚。

祖母にとってもフリムンにとっても大金だ。

手紙の最後には こう綴られていた。

「東京は大変でしょ、都会の人は冷たいっていうし」
「辛いことがあったらいつでも帰っておいで」
「ずっと待ってるからね」

手紙を読みながら、最初に出会った都会の人(運送会社の社長)を思い出し、男は唇を嚙みしめた。

そして、仕送りどころか、未だ心配しか掛けられない自分の不甲斐なさに涙した。

「このままでは帰れない」
「必ず目的を達成させ、堂々と島に帰るんだ」

塩辛いポークランチョンミートがいつも以上に“しょっぱく”感じたが、フリムンは腹を括り、極真会館総本部道場の門を叩く決意をした。

上京して、早1年が過ぎようとしていた。

当時(今でも?)最強の沖縄食品3点セット

人生最悪の日

職場を変え、収入もそれなりに上がった事で、生活にも徐々に余裕が出てきたフリムン。

そろそろ空手を…という気持ちもあったが、せっかく東京まで来たのに都会をエンジョイしなきゃ嘘である。

フリムンは遊ぶことにも気合を入れまくった。

お金が溜まれば直ぐに服を買い、ギロッポン(六本木)に繰り出しディスコ三昧。

毎日アパートで友人たちと夜更かしをし、また翌朝から仕事に出掛け、そしてまた夜更かし。

それが延々と続き、流石に疲労が蓄積していった。

完全な昼夜逆転である。

そんな生活をしていると、色々と荒んでくるのが人間である。

そしてこの昼夜逆転現象により、今でも悔いが残るような大怪我を負う事となる。

後悔先に立たずとは正にこの事であった。

その日も早朝から「おしぼり」の配達のため都内を走り回っていたフリムン。

ちなみに水を含んでいるおしぼりは、束になると意外と重い。

それが大量に入った4段積みのケースを抱え、階段を上り下りするのが主な仕事だが、これがかなりの重労働であった。

1箱15㎏程度?4箱で60㎏以上?はあったはずだ

ただ、フリムンはそれを筋トレの延長として結構楽しんでやっていた。

そんなある日、麻布十番の地下にある中華料理店で、その後の人生を大きく左右する大怪我を負ってしまう。

いつものように仕事を早く終わらせようと、4段積みの箱を抱えたまま颯爽と階段を下りていた時の事だ。

視界の関係上、もう一段残っていたのに気付かず、これが最後と見誤り足を踏み外してしまった。

4段積みのおしぼりの箱が、倒れたフリムンのスネらへんにそのまま落下。

こんな風に( ̄▽ ̄;)

骨の折れる鈍い音と同時に、彼の脳天を信じられない激痛が襲った。

直後、フリムンはおよそ聞いたことのないような悲鳴を上げた。

「みぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいっ!」

確かに右足だった。(いやそういう事じゃ…)

これまで生きてきた57年間という人生の中で、数えきれないほどの骨折や大怪我に見舞われてきたフリムン

しかし、後にも先にもこれほどの痛みを経験したことはなかったと彼は断言する。

それほどの「激痛」であった。

足元を見ると、右足のスネが真ん中らへんから折れ曲がり、その折れた個所から骨が突き出ているのが見えた。

このとんでもない状況を見て、彼は一瞬「トリックアート」かと錯覚した。

「これ、どゆこと?」と。

こんな風に( ̄▽ ̄;)

もはや痛覚だけではなく、視覚的にもかなり絶望的な状態であった。

「アギギギギギ……ウガギグガガガ……」

声にならない呻き声を発しながら、この絶望的な状況から脱する方法を必死に考えるフリムン。

答えは…直ぐに出た。

時刻はまだ早朝。よって誰も出勤しておらず、助けを呼ぶにも外に出なきゃどうにもならない。

痛みに耐えながら、ホフク前進で階段を上るしか道はなかった。

まだ携帯など普及されておらず、ようやく留守電が発売されたばかりの頃である。

当時はそれが当たり前だったが、今思えば本当に不便な時代であった。

フリムンは覚悟を決め、深呼吸しながらゆっくりと階段を上り始めた。

ただ、ホフク前進で進むため、折れた箇所が階段の凸にぶつかってしまう。

それも、階段の数だけぶつかるのである。

その度に、悲鳴にもならない悲鳴が地下中に響き渡った。

いったいどれ程の時間が経ったのだろうか? 

フリムンには途方もない時間に思えた。

何とか地上まで辿り着いたはいいものの、早朝なので人っ子ひとり見当たらない。

もうダメかと諦めかけた次の瞬間、「兄ちゃんどうした?」と背後から声がした。

そこに居たのは…作業服姿のおっちゃんだった。

次号予告

次号、突如始まるのはおっちゃんとの戦い…?
乞うご期待!!


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)

1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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