マルの「あした天気になーれ!」

脊髄梗塞患者の在宅リハビリ日記です。

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最近の記事

脊髄梗塞10年目のショック!

ご無沙汰しておりましたがお変わりありませんか。新緑の映える季節、寒暖差の大きさに戸惑ってしまう私ですが、脊髄梗塞を発症してから10年目に入りました。今回は10年目の"ショック"をいくつかあげてみようかと思います。 ①10年もすると痛みや体調不良も落ち着くだろう、62歳はまだ後期高齢者の手前だろうと思っていたのですが、体力は確実に落ちておりました。ショックです。 最近、麻痺状態の足に怪我を負ってしまいました。常に痺れと痛みがあるためか怪我をしていても、後になって内出血している

    • みなさんの脊髄梗塞発症前の生活習慣・体質ってどんな風でしたでしょうか?

      突然に発病前の生活習慣、体質等をお尋ねして困りますよね。 脊髄梗塞の発症原因が生活習慣からくるリスクや、体質による傾向でわかったら良いな…。なんてふと思ったもので。病気の原因、予防に繋げられ、治療ができたらブログを続けている意味に近付ける気がして…。 とはいえ原因がよくわかっていない中で、患者さんたちの膨大なデータをまとめるのは余りに無謀なことで。私には逆立ちをしても無理ですが…。 せめて脊髄梗塞患者さんの声を、多少たりとも何かを起こす"きっかけ"に出来たら良いと思ったの

      • 【番外編】脊髄梗塞患者さん7名の声を聞いてみよう。

        こんにちは。マルさんのブログ発信をお手伝いしている田口と申します。 今回は、マルさんからのご希望もあり、「過去にブログへとコメントを頂いた脊髄梗塞患者さんたちの、“その後”のことをコメントいただき、それをまとめて記事にできたらいいな。」という依頼のもと、お返事を頂いた7名の方々の文章を載せさせて頂きました。一度もお会いした事がないにも関わらず、飾り気のない言葉で綴ってくださって…。本当にありがとうございます! 返事だけでも嬉しかったのですが、「自分の気持ちを話すことが出来た

        • みなさんの脊髄梗塞の経験をお寄せください。

          突然でしたが次回のブログには、脊髄梗塞になってしまった方々のコメントをまとめた記事を載せたいと思いたちました。 脊髄梗塞という病気は、奇妙で珍しい、発見診断も難しい、治療も難しく後遺症も大きな病です。 心筋梗塞、脳梗塞等は、早期発見、早期治療、継続したリハビリで、完治に近い治療が進められ後遺症も軽くすむ方も多いようです。研究が進み、病気の引き金になる予防医学にも力を入るようになりました。 脊髄梗塞について私個人のブログは「ほぼ終了してもよいのでは?」と思うことがあります

        脊髄梗塞10年目のショック!

          ~私の脊髄梗塞日記~私は7年前から新しい生活。お家生活に慣れていてもコロナ禍はなかなか大変です。

          「東日本大震災10年目に再び地震が福島、宮城県を襲いました。大丈夫ですか、お怪我等ありませんか、夜は眠れますか。」 「皆様お元気ですか?!新しい生活様式には慣れましたか?!私は脊髄梗塞発症7年目ですが、変わり無く過ごしております。」 【歴史を変えた感染症! 】感染症が世界の転換期に。 重い書き出しに驚かれたと思いますが…、新聞の見出しが目に飛び込んできました。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、世界中が混乱、疲弊状態です。 混乱している人々を思うと例えるに

          ~私の脊髄梗塞日記~私は7年前から新しい生活。お家生活に慣れていてもコロナ禍はなかなか大変です。

          私の脊髄梗塞日記vol.11 絞り出すように生きる日々。

          2020年 令和2年 鼠年 ○うっすら雪化粧、静かな元日でした。 七草松日が過ぎたころ、父の仏前に手を合わせながらお話をして下さった方がいらっしゃいます。病気障害を持った方々は、『絞り出すように生きている』とおっしゃるのです。「あー、その通り!」閉ざしがちな心の扉を叩き、こじ開けてもらったように思えます。大切な命を絞り出すように精一杯生きていると、認めてもらえたようにさえ思えてきます。毎日のように東京オリ・パライヤーで選手たちの活躍が取り沙汰される中で、日々生きづらさ

          私の脊髄梗塞日記vol.11 絞り出すように生きる日々。

          脊髄梗塞発症から6年。病気障害によるお困り事を、私なりに考えてみました。

          令和元年、相変わらず超マイペースな私、マルですが、宜しくお付き合い願います。最近、ネット上に脊髄梗塞患者の投稿が目に付くようになり、そのユーモアに溢れた表現に感心させられて私も重い腰を上げてみた次第でした。  最近とても驚かされたことは、令和初の参議院選挙のこと。比例区で初めて、重度障害のあるお二人が当選されました。それに伴って参議院では急遽、電動車椅子や医療器具等の対応で本会議場の改装を行いました。さらに、移動手段もようやく公の場で具体的な支援が形作られ、バリアフリー化が進

          脊髄梗塞発症から6年。病気障害によるお困り事を、私なりに考えてみました。

          "脊髄梗塞、懸命に生きた5年間を振り返りまとめてみました" (発症から急性期病院、リハビリ病院、在宅生活、補装具や在宅支援サービス、補助金の手続きまで~)

          昨今度重なる災害に見舞われる日本国、いや地球全体。いつ、どこで、何が起こるかわからないという不安を抱いておられる方も多いと思われます。北海道地震震度7!突然起きた時には、いつ住む家がなくなり、怪我を負うやもしれないと不安になりませんでしたか?! 一方、中央行政では、障害者雇用水増しの不祥事が…。中央省庁の約8割におよぶ法令無視、「数会わせ」が横行していたと報じられ、ただただ驚き、ガッカリしておりました。健常者の方は何となく聞き流されたかもしれませんが、何も障害者だけのお話で

          "脊髄梗塞、懸命に生きた5年間を振り返りまとめてみました" (発症から急性期病院、リハビリ病院、在宅生活、補装具や在宅支援サービス、補助金の手続きまで~)

          私の脊髄梗塞日記 2016年版 ~10年後、20年後の脊髄梗塞患者のために、私のありのままの生活をブログに残していく~

          新年度、平成30年4月からは、さまざまな事が改まるとか。多くの支援を受けている身としては介護、医療報酬の面からも不安な思いもありますが、新しい年に期待したいと思います。 ご無沙汰しておりましたが、まず最近の私の様子をお知らせします。(2017年12月に綴った)  病気(脊髄梗塞)を発症して4年目になりますが、この一年間で体重が7kgも増加し、44kgを越えました。病院を退院したころは37kg弱。10kg以上も痩せてしまい、皮膚下脂肪が薄く、少し指で押しただけで内出血したり、

          私の脊髄梗塞日記 2016年版 ~10年後、20年後の脊髄梗塞患者のために、私のありのままの生活をブログに残していく~

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (5/5)

          この記事は、私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (4/5)の続きの記事となります。 ○10月20日  穏やかな昼下がり、友人が遊びにいらして下さいました。例のむさ苦しい台所でお茶を飲みながらたわいのないお話を。こんな時間はアッという間。私も自由に外に出られたら良いのに…と思いつつ、帰る友人を見送るのですが、こうして穏やかに生活を送れる幸せを有りがたいと思おう!と。 ○10月23日  この日の北海道は大雪。そ

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (5/5)

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (4/5)

          この記事は、私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (3/5)の続きの記事となります。 ○5月27日  定期通院日、本日は役所より障害者手帳の再申請依頼の通知があり、主治医に申請の手続きをお願いすることになりました。初めての手続きから一年後の見直しを…等々、次々といろんな手続きを行いました。支援して頂かないと生活が出来ない身ではありますが、その手続きを行うことですら、我が身ではままなりません。初夏の活気づいた季節

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (4/5)

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (3/5)

          この記事は、私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (2/5)の続きの記事となります。 ○2月9日  家の中ではTVをみる時間が増えます。NHKの番組で、地域活動に力を入れて活躍中の好青年をみつけました。今もビックリですが「この青年に助けて頂こう!」と思い、驚く行動に出たのです。 脊髄梗塞という病気が発症してからわかったのですが、病気を知っている方は少なく、治療方法も確立していない、治療生活に対しても法律のくくり

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (3/5)

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (2/5)

          この記事は、私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (1/5)の続きの記事となります。 ○10月16日  私はいつも首に携帯をぶらさげており、車椅子の背もたれには手さげ等が掛けてあります。でないと不安なのです。すぐに電話に出ることができないし、何かあったらと思うと必要なグッズ(2~3日分の薬、メモ帳、歯ブラシ、タオル、アルコールペーパー(トイレを拭くのが目的)飴、排泄グッズ、スマホ、小銭、障害者手帳)を身の周りに

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (2/5)

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (1/5)

          ”幸せの青い鳥は何処にあるのだろう?!”いつもどこかで今の生活(病気、不自由な生活)から抜け出したいともがいている自分がいます。 青い鳥を探すほど…。結局は身の回りのすぐ側にあるものらしいと気づく。今は家族と日々の生活を送れていることに感謝し、希望を持ち続ける事で、少しでも喜びに変えて行けたらなら幸せと思うが、それも容易なことではありません。 背髄梗塞を発症2013年12月5日〜入院、リハビリを経て2014年8月8日退院し在宅生活へ。 背随梗塞「あした天気にな〜れ!」在宅生

          私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (1/5)

          本当の意味での”自立支援”はどこにあるの?多くの障害者にとってバリアがあり過ぎて、法律も街も仕事もお金も、手も足も出ない。

          第6段は、脊髄梗塞による車椅子生活だけではなく、多くの障害者の一人としてメッセージをお届けします。  オリンピックは世界中に響き合い、人々のバリアを外し、勇気と幸せを運んでくれます。リオデジャネイロ五輪に、紛争地域の難民選手(ROP)が参加された事に、強い感動を受けました。連日の日本代表選手の活躍も驚くばかりで、毎日がワクワク、ドキドキの感動でした。2020年の東京オリンピック、パラリンピックのさらなる快進撃が楽しみですね。  そんな折に水をさすようですが、7月26日に起き

          本当の意味での”自立支援”はどこにあるの?多くの障害者にとってバリアがあり過ぎて、法律も街も仕事もお金も、手も足も出ない。

          歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記(5/5)

          この記事は、歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記 (4/5)の続きの記事となります。 ○7月29日 やっと梅雨が明けました。冬、春、夏と3シーズンの入院生活を体験することに、長いような短いような、その間季節のうつろいを動けない体ゆえ、五感をすまして過ごしていたような気がします。人間は弱いところを、体の別の部分を使って補おうとするようです。お天気が気になりだしたのも病気になってからです。窓の外をながめ、耳をすまして、動か

          歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記(5/5)