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私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (2/5)

この記事は、私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (1/5)の続きの記事となります。

○10月16日
 私はいつも首に携帯をぶらさげており、車椅子の背もたれには手さげ等が掛けてあります。でないと不安なのです。すぐに電話に出ることができないし、何かあったらと思うと必要なグッズ(2~3日分の薬、メモ帳、歯ブラシ、タオル、アルコールペーパー(トイレを拭くのが目的)飴、排泄グッズ、スマホ、小銭、障害者手帳)を身の周りに置いていたいのです。

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動けない不自由への不安。ベッドの周りも小物がいっぱいです。すぐ手がとどく所に必要な物がないと困るのです。それと自室の物はすべて低い位値(手の届くところ)に並べてあり、物で溢れています。
そんな生活を気にかけてか、以前入院していたリハビリ病院のスタッフさんが聞き取りのために電話を下さいました。懐かしい理学療法士さんの声に嬉しくなりました。「あの頃のリハビリがあって、今の生活があるのですね。ありがとうございます。」

○10月26日
 「こんにちわ。」来客がありました。入院していたころより親戚の方から数多くの本を借りて読み、楽しんでおりました。本を返さなければと思いつつ…。そんな折に足を運んで来てくださったのですが、好きな本を譲って下さるとのこと。私にとってこの3冊は大切な本となりました。「ありがとうございます。大切にしますね。」こんな具合に、私の狭いバリアフリーの部屋には多くの人とのご縁やら、生活必需品がひしめき合うようになってきております。

○11月5日
 寒くなりました。最近は寒くてしかたがありません。低体温ぎみで、手足が冷たく、体がだるくて。しかたがなく病院に行きました。ペインクリニックで再び痛み止めの薬の変更がありました。
痛み止めの多くは解熱剤にも使用されているため、体温も下げてしまっていたようです。そのため大幅な薬の変更(痛みを取ることに特化した薬)となりました。ありがたいことに私にはとても有効だったようで、少しずつ体が楽になりましたが、「体力がないようだ。」とのドクターからの指示で、「地域のリハビリ病院でリハビリを行ってみては」と主治医より紹介状を頂きました。しかし、なかなか良いお返事が頂けないまま半年を有し、挙句の果てに『不可』とのお返事。がっかりでした…。

○11月11日
寒さも本格的になってきました。休日の貴重な晴れ間を使って庭の冬囲いをしている父と息子三人の声が途切れ途切れ聞こえてきます。この頃には遅れていた家のリフォームもやっと完成しました。キッチンが物で溢れて見えると思いますが、足もとを車椅子が入るために棚を外して空けてあります。私の手に届く位置に調理用品が、上の棚にほぼ収納されているので、見た目では物が多くあるように見えると思いますが、使い勝手が良いです。

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・キッチンは椅子に座った時に手が届く高さで、下は車椅子が入れ込むように空いている。安全面で、IH。
・暖房はできれば冷暖房用のエアコンの方が安全。
・洗濯機は手が届く型で、ドラム式。私は干すのが大変なので乾燥機を使用しているが、工夫次第で洗濯物を干すのも良いと思う。
※弱点は、購入費、電気料金がかかるが、ヘルパーさんにたのまず自分一人でも生活がスムーズです。停電も心配だけど…。

いろんな思いから皆がホッと胸をなで下ろしていたのでしょう。私も家の環境がなんとか整い、楽になった…と。しかし、車椅子移動のスペースを保ち、安全に配慮して暖房器具はほとんど電化製品に切り替わる事になり、電気の契約も60アンペアになりました。
『この冬の電気料金はどうなるのだろう?冬を乗り切れるかな〜』と心配に。家族のこと、私の体、生活費のこと…。いろんなことが心配で。『何も出来ないくせに。』
今日は看護師さんの訪問日です。心の内を思ってか、私の話に耳を傾けて下さりました。「いつもありがとうございます、少し気持ちが楽になりました。」

○11月25日
 父は80過ぎでも母や私達の生活を支えようと頑張ってくれていますが、今日は父の白内障の手術日です。夫と息子が付き添って行きました。私はずーっと『神様、父を守って下さい』と祈っておりました。
母も、その日は不穏な様子もなくデイケアーで一日を過ごしたようです。あとで父が、「手術は簡単だった」とホッとしていたことを思い出します。

○11月30日
 今朝は冷えましたが、お天気です。昨年12月に倒れて以来、貴重な青空の下、一年ぶりのドライブに出かけました。山々が薄灰色の枝だけを残し、流れて行く木々を車中から眺めていると、海岸通りに出ました。海肌は白く泡立ち、太陽の光を反射させているのに、灰色がかった冬の海です。車の中はポカポカ暖かいのに心の中は不安でいっぱいでした。
この一年、病院と家の中での生活『あまりに重くて簡単には言い表せない。』二時間たらずのドライブ、いっとき心の中に風を通してくれた夫に「いつもありがと」と。
いろいろと思うのですが『家族にできるだけ迷惑をかけないように、できるだけ慎ましやかに生きよう。多くは望まないように。望むだけ辛くなるから、少しずつ整理して身の丈に。でもまだ、今の身の丈すらわからなくて…。辛い…。車窓のようにツラツラと流れるように生きて行けたならどんなに楽だろうか〜』と。笑って「ただいま。」家に帰りました。

○12月5日
 ちょうど一年前の深夜、私は突然、脊髄梗塞という病気を発症。両足不全麻痺になり、その時からず―っと、腰から足先までの痛みにも耐えております。高齢の両親、病気を抱える次男と私。家族みな苦しい日々でした。重く長い一年間。こうして生きて生活出来ているのは多くの方々の支えがあってのことです。「本当にありがとうございます。」感謝で一杯です。(少し強がっている自分がいますが。)

○12月7日
 少しずつ車椅子生活でのチャレンジが広がります。息子に連れられて大型ショッピングでのお買い物です。「ワー行ける!」気になっていたおトイレにも私一人でスイスイと入れます。人が大勢いるせいで人の目線が不思議と気になりません。ずーっと欲しいのを我慢していた下着類やらゴムのズボン等を購入しました。この冬の寒さが心配でしたが、ポカポカアイテムもゲットできました。でも、車椅子での買い物は思っていたよりも大変でした。車椅子からの目線では品物が見えづらく、手に取りにくい。背伸びをしても手が届かない物も多くありましたが、まずは大きな収穫でした。「ありがとう、大きな赤ん坊みたいな母を買い物に連れて来てくれて、ありがとう。」

○12月12日
 嬉しい事が続きました。半年近く待っていた私のオンリーワンの車椅子が届きました。座幅が小ぶりで、濃紺色をベースにした私の足の役割をしてくれる車椅子です。座りっぱなしだとお尻が痛いこともあり”ロホクッション”という風船をいっぱい敷きつめたようなクッションも一緒に購入しました。
障害手帳を使い、補助費を利用して1割負担、約3万円でした。「ありがたいです。」

○12月14日
 今日は衆議院選挙日ですが、私は入院してからというもの、恥ずかしながら選挙等には行けず仕舞い。何をするのにも周囲に負担をかけてしまうので、必要不可欠以外は抑えてしまいます。この日は夫が出張で留守。夫がいないと何も出来ない自分が腹立たしく思うのですが、他の策を考えるとすべて先立つ物が必要で、これ以上の負担をかけたくないと思うと、常識から外れていき、何も先に進めないでおりました。そんな重い空気が伝染してしまったのか、家の中がモヤモヤと。
そうなると母の様子が不穏になります。トイレの中にトイレットペーパーのロールごと落としたらしく、床がグジョグジョ。そのロールをトイレの手すりに干しています。『捨てて良いよ。』と声をかけたいのに何も言えません。母はこの寒空にトイレの窓を全開!家の中は冷たく、心の底まで凍りそう。こんな空気を私はどうすることもできずに情けないです。

○12月19日
 雪がチラチラと寒いです。家のリフォームも完成し、工事代金の支払い日となりました。父と夫には、私が病気になったことで並ならぬ苦労をかけっぱなしです。
一寸先は闇?いや!外は一面の銀世界です。何があるか分からないのが人生でしょうか。「お疲れ様でした。無事にリフォームが完成です。」「散財かけてすみません。」皆さんに感謝です。

○12月21日
 暴風雨、そして吹雪に!天皇誕生日は大荒れです。そんな天気をものともせずに、友人が地物のお魚をたんと抱えて来てくれました「ありがとう大魚」です。
年の瀬を感じます。さっそく息子のお弁当にいれます。この頃には少しずつお弁当も作ってやれるようになっておりました。どんなに粗末な物でもキレイに食べてくれることに嬉しく思います。

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○12月24日
 クリスマスプレゼントに、美容院に連れて行ってもらいました。髪をカット、カラーして少しおすましです。入院中は病院内の美容室へ。今回からは、30年以来お世話になっている美容師の方のカットです。
以前と変わらぬお付き合いを「ありがとうございます」。更には、家に帰ると義理のお姉さんからのクリスマスカードが送られてきていました。真赤なクリスマスカード。心の中までポカポカです「ありがとうございます」

○12月28日
 すっきりと晴れ渡り、空気がキーンと!そのせいか、体が「チョー痛い!」でも、この日はどうしてもやりたいことがあり、パソコンがある2階まで息子におんぶされて登ることに。
ブツブツ言いながら背負う息子。『まいった母ですが、嬉しい。』この日はパソコンを使って年賀状を印刷したかったのです。一年ぶりでのパソコン操作、大丈夫?!という心配は的中!同じ名前を数枚印刷してしまい、大損害です。
夫に叱られ…。結局、プリンターが故障しているとのことで、電気屋さんに修理をお願いしてこの年の年賀状は完成。年内中に投函することが出来てホッとひと安心。お騒がせしました。ギリギリといえば、我が家の入浴室の暖房が12月30日に入りました。私はシャワー浴しか出来なかったので、ブルブル震えながら入っておりました。「本当に有りがたいです」リフォームに携わった方々、皆様にお礼を申し上げます。

○12月31日
 ついに大晦日です。本当に波乱づくしというのはこんな年の事を言うのだと思います。やっと我が家で年が越せます。年越し蕎麦、おせち料理もすべて夫がお店に注文してくれましたが、私も少しはお正月料理を作れました。『身の丈にあった生活で降り幅を小さく、少しずつ整理もして行こう。』そんな事を考えるのですが、こうして年が越せる事に感謝したいと思います。『一年間ありがとうございます。』

○2015年1月1日
 車椅子生活になってから、初の我が家で迎えるお正月です。おせち料理は既製品ですが、お雑煮は鶏肉仕立てで作りました。そこへ夫のお姉さんから送られてくる角餅をIHグリルで焼き、それを一度白湯の中に通し、お餅をだし汁の中に投入します。そこへ”モダシ”というキノコと、塩を抜いた”ワラビ”、三つ葉をそえると風味と彩豊かなお雑煮の出来上がりです。父と私の共同作業で作りました。そしてご神酒を神棚にお供えします。
家族皆で柏手を打ち(二礼二拍一礼)「今年一年どうか良い年でありますように。」とお願いしました。

○1月20日
 年明け前に片側の目の手術を行った父ですが、もう片側の白内障の手術が本日行われます。簡単な手術だと言われても、心配で落ち着きません。その気持ちが母にも伝わってしまったのか、母も落ち着かない様子。母と二人きりになった途端にイライラする母を、私はどうにもしてやれず…。情けないです。しまいには母の興奮を抑えられず、最近では周囲の人のお力を借りることも。私は今まで何をやってきたのだろうと自問自答する日が続きました。「じいちゃん、ばあちゃん、ごめん。」年老いた父母の苦悩を思うが、夫も私も空回りする生活を元に戻せずにおりました。

○1月25日
 冬の青空は東北地方では大変貴重なお天気です。夫が家のよどんだ空気の中から私を救ってくれるようでした。退院してから車でのドライブはこれで2度目。キラキラとお日様が笑っているよう。
遠くの山々は雪に覆われ、凛とした風格をも感じます。家の中だけの生活から解放された事はもちろん、いろんな思いから少し解放された気がする数時間です。「フゥー」と大きく息を吐き出す私。その様子を横目で感じながら車の運転をしてくれる夫。「ありがとう」ただそれだけのドライブでも救われました。


私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (3/5)へと続きます。

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