見出し画像

私の脊髄梗塞日記vol.11 絞り出すように生きる日々。

2020年 令和2年 鼠年
○うっすら雪化粧、静かな元日でした。
七草松日が過ぎたころ、父の仏前に手を合わせながらお話をして下さった方がいらっしゃいます。病気障害を持った方々は、『絞り出すように生きている』とおっしゃるのです。「あー、その通り!」閉ざしがちな心の扉を叩き、こじ開けてもらったように思えます。大切な命を絞り出すように精一杯生きていると、認めてもらえたようにさえ思えてきます。毎日のように東京オリ・パライヤーで選手たちの活躍が取り沙汰される中で、日々生きづらさを感じていたところで…。そんな折りに優しく広いお心に触れ、『頑張って!』と励まされた思いも致しました。
『せめてお茶でも』と、お盆と急須を膝の上にのせて車椅子でカタカタ運んでいる様子を見てか、ご自分で注いで下さって一言、「お話できて嬉しかった。」と。出来ないことをみなさんに助けていただきながら日々生きている私。きっと、天国の父もその様子を見てホッとしたに違いないでしょう。
そんなこともあって、『絞り出して作った』と言えば大げさですが、車椅子生活の目標『家族の食事を作る』から、『時間をかけ、工夫しながら心を込めて食事を作る』ことにチャレンジしてみました。ごくごく普通の夕食ですが、写メに残したくなりました。

画像2

とんかつ

画像3

鶏肉のトマト煮

画像4

なめことベロベロ餅のお汁

画像5

きんぴらごぼう

年月を巻き戻します↑↓

2017年
○10月吉日

めでたく、長男が結婚してくれました!我が家は脊髄梗塞の車椅子生活障害者が共に生活する中、嫁がせて頂いたご両親に深くお礼を申し上げます。家に可愛い娘が出来ました!とっても嬉しい!
この頃から私の体調も安定し、毎日が穏やかで単調な生活になろうとしていました。それが、どれ程有りがたいことか…。
自分自身、努力もしてきたつもりですが、こうして生活出来るのは一重に皆さんのお陰が大きく、本当に感謝しております。「ありがとうございます。」

2018年戌年 
○元日
穏やかなお天気。家族は初詣へ、私はお留守番です。番犬役には程遠いのに、ご褒美に夫がお風呂に入れてくれることに。1年ぶりの温泉!いつもはシャワー浴ですので、子供のようにハシャイでしまいましたが。『聞くところでは、元日には福を流すことから、入浴、洗濯等はしないほうが良いとか。(^_^;)』

○1月10日
何とか続けてきたブログ8段目の修正メールをTさんに送り、どうにか形になりそうです。ホッと一息つくと、足がうんと痛む…。それが前触れだったのか、夜中に70㎝もの雪が一気に積もり、翌朝の雪かきにみんながあくせくしています。「お疲れ様です。」

○1月30日
刺すように冷たい朝に我が家は停電。『エー!!!』一昨年の暮れには、断水を経験しましたが、忘れた頃にやって来るようです。年の功か、昭和初期生まれの父だけは冷静。反射ストーブをどこからか出して暖を取っています。無情にも若者はそれぞれ出勤してしまいました。私はというと、顔まで布団を被って電気が通るのをひたすら待つだけ。外は雪、車椅子マークの私はなすすべもなく情けない。停電は半日続きました。
おまけに、車椅子の調子もいまいち…。アームレスト、フットサポートに不具合が出てきました。福祉用具店に連絡を入れるもすぐにとはいかず、辺りかしこがギクシャクギクシャク。不自由な身、1つ1つ我慢強く対処していくしかないのだと学びました。

○ 2月8日
平昌オリンピック・パラリンピックが始まりました。羽生結弦選手がフィギュアスケートで金メダルを獲得!スピードスケート、車椅子スキーも頑張っています!年甲斐もなく興奮しております。
歯を食い縛って応援していたわけではないのですが、私は歯茎が痛くて歯科受診。上の歯にマウスピースを作ることに。寝る時に装着するのですが、格闘家のような気分です。不思議に顎が外れにくくなり、『良い感じ』 。

○3月11日
今朝は晴れ。冬の北国はどんよりした天気が常なもので、晴れ間はご無沙汰でした。夫と、3ヶ月ぶりにスーパーへ出掛けました。しかし、途中で頭が痛くなるわ、吐き気もしてくるわ…。「東日本大震災の日かぁー。」天気もなんだか怪しくなってきて、いそいそと家路についた。窓の外は、ザーッと冷たい雨。気分が優れず、何にも出来ない気分です。「今日はお惣菜で済まそうかー。」大げさかもしれませんが、我が家の暮らしは、偶然のあやういバランスの中、なんとか保たれています。そう思うにつけ、皆さんに感謝し、生かされた命を大切にしなければと改めて思うのです。

○4月8日
北国に桜前線が一気に到来してきました。梅も、桜も、こぶしも、スミレも、スイセンも…。我が家では、息子夫婦の新居を2階にしようと、再びリフォウームを考えています。
一方の私も、少しだけ社会参加を。東北福祉大会で障害者達の合唱に参加させてもらうことになりました。ただのそれだけで、北国の春はウキウキします。

○4月14日
福祉用具担当の方が来訪。3年乗った車椅子は不具合が多くなり、今回はタイヤ交換などのメンテナンス、クリーニングをしてもらうことに。クリーニング中はモジュール型の車椅子に乗らせてもらいました。少し大きかったのですがハイテク。背もたれもスッキリ快適で、良い経験をさせてもらいました。補助を使わせてもらい6,000円位で修理洗浄が出来ました。「お疲れ様です。」

○4月26日
年金機構より『障害者及び生活維持確認届け』の記入・提出依頼が届きました。主治医書類記入依頼のため、通院が追加されました。みなさんの税金で生活させてもらう、いわゆる社会的弱者なのでしょう。そして、私の外出が通院中心になっていると気付かされたのもこの時です。障害者となり、極端に生活圏が狭くなっている現実は否めません。

○6月17日
今日は福祉大会に向けた合唱の練習。夫の送り迎えで月2回ほど参加しておりますが、周りのみなさんが活発的なこと!指導、協力していらっしゃる方々の熱を感じます。車椅子に座って声を張り上げることに、とても力がいることにも気付かされました。本番でもし音が外れても、せめて口元だけは大アクションでいきたいものですね。

○7月7日七夕
最近、台風が大型化しています、九州、四国、広島、大阪、京都…。各地で多量の雨が降り注ぎ、川は氾濫、土砂崩れが起き、目を覆いたくなるようで…。『どうかこれ以上の災害が起こりませんように。いちはやく復興を。』
こんな時ですが我が家のリフォームは順調に進んでおります。そろそろ完成が近づいてきたのでしょうか、大工さんと息子達が40年分の粗大ゴミを外に出しています。おんなじ家財道具の整理でも、被災して整理する方々の思いに比べると、天と地の違いがあります。こうして今日も、家族が無事に生活できることに感謝しなければなりませんね。

○8月15日大安
リフォームも完成し、本日は長男夫婦がお引越し。同居する運びになりました。そして、食事量も洗濯物もビックリするほど多くなり、嬉しい悲鳴です。1日掛けて洗濯しながら、できるだけ午前中に食事の支度をして、午後は日替わりで訪問ヘルパーさんと入浴、訪問リハさんとリハビリを行う。新しい生活パターンが少しずつ身体に馴染んできました。ほとんどを自宅で過ごしている割には充実していると思いませんか?(^^) 欲目かもしれませんが、ありがたいことだと思います。こうなると障害も忘れ、『具合が悪い、痛い、不自由だ』などとは言ってられない感じ!ですが、夜はさすがにバタンキュー。

○9月6日
北海道、震度7の大地震です!前日には台風21号で関西空港が浸水!どこもかしこも災害だらけです。日本は、世界は、地球はどうなるのでしょうか?!しかし、ちっぽけな家の、ちっぽけな私の祈りが届くはずもなく。それどころか、我が身に降りかかったならどうなるの?!せめて家族には迷惑をかけないようにしなければ、と思うだけで精一杯です。
意気込みだけは一丁前ですが、夏の暑さ、家のリフォームなどで疲れたのか、動悸と、腰痛に悩まされております。からだの反応がいつも“身の丈”を意識させ、毎日の生活を欲張らず、周囲に出来るだけ迷惑をかけないようにしなければと思うところです。

○9月12日
9回目のブログ発信をTさんと準備しておりました。自由奔放に綴っておりますが、脊髄梗塞を発症して身体障害者となり、弱いなりに強がってみても、心の中では『私はここにいますよ。』と小さく発していたかったのかもしれません。現実とココロにズレが多く、私の文章はとりとめがないまま。その模様に困惑したTさんが、わざわざ我が家にいらして下さいました。『まだまだ修正が必要ですね。いつもご面倒をお掛けします。すみません。』その後も修正メールのやり取りが続き、11月までかかってしまいました。

○10月22日
定期通院日ですが、不調が続くために検査も予約していました。レントゲンは特に異常ないようですが、血液検査の結果は“低カリウム”だそうです。動悸がするのもその為でしょうか?主治医から「果物と野菜を多めに取るようにね。」と言われてすこしホッとしました。家に帰るなりバナナをパクリ。

○12月18日
今年最後の通院リハビリです。あいにくの吹雪で私の足は、冷たくビリビリ!しびれて、痛みます。でも、リハビリをさせてもらっているのですから、1年の感謝を込めて頑張ろうと思います。こんな気持ちが来る年に続くのですね。
我が家は長男の結婚もあり明るい年になりましたが、残念なことに災害の多い年でした。2019年は元号も変わります。どうか穏やかな年でありますように。

2019年 亥年
○元日 雪
家族みんなでお雑煮をいただきました。父がお餅を3つもたいらげた時はみなびっくり!どうか今年一年、元気で過ごせますように。

○1月11日 鏡開き
父は誰よりもお餅を食べたかったと思います。そんな父がインフルエンザを発症。記憶をたどっても初めてのことかもしれません。最初は軽い風邪のように思えましたが高齢の父、息子の嫁に付き添ってもらって夜間医療を受診してもらいました。帰宅後は服薬しつつ、自室で安静に過ごします。おかげで順調に快復していきました。数日後、父が「どうしてもお風呂に入りたい!」と言い、家族で制する中で入浴。その夜は上機嫌でした。
あくる日の早朝、父は「胸が苦しい」と訴え、息子が付き添って救急で病院へ行くも『異常無し。』との診断。すぐに帰って来ました。スポーツドリンクを枕元に置いてもらい、ベッドで休みました。トイレにも自分で行っているようで、ひと安心。
昼食時、お粥が準備出来たところで父に声を掛けました…。しかし、何回呼んでも返事がありません。車椅子では父の寝室に入ることが出来ないので、2階にいた長男に頼るしかない。「じぃちゃん、変?返事ない!」息子のけたたましい足音がして父の寝室に入るなり声を荒げた。「救急車!!!」「おじぃ!おじぃ!」声をかけながら、人工呼吸を試みている。「救急車!救急車!!!」 とっさのことに震えて上手く電話が出来ない、言葉が出てこない!
……そして、救急搬送されていく父の姿を邪魔にならないようにただ見送るしかなかった。
……どれほどの時間が経っただろう。病院で合流した夫から、「駄目だった。」と連絡がありました…。
父は、厳しく、寡黙な人だけど優しい。持病を抱えつつも、気丈に元気な様子で、誰にも迷惑を掛けず。それどころか、家族のために頑張ってくれた尊敬できる父。言い表せない程ほど大切にしてもらったのに、私はただ、三度の食事を一緒に取っていただけ…。
「急に行くなー。」「ごめん、迷惑ばかりかけて。」溢れる涙…。悔しくてたまらない。未だ父の死に向き合えないでいる私たち家族は、「ありがとう。」とも「お疲れ様。」とも言ってやれぬまま、慌ただしく父を送ることになりました。

○2月20日
夫の仕事と私の予定を調節しながらいろんな手続きをし、毎日が目まぐるしく過ぎていく。多くの方々から力をお借りしつつも、『こんな時、父ならどうする?!』と問いかけながら日々を送っております。
夫が不調を押して頑張っているのを感じていましたが、車椅子生活の私ではなんにも出来ず、夫に頼りきり。少し落ち着いてきた頃に、力尽きるように夫は検査入院となってしまいました。10日程の療養が必要になるとのことです。家族みんな、互いに協力し合って乗り切るしかありません。じっと、春を待つような。

○4月1日
新元号『令和』の発表。
5月1日より施行される運びです。皇位継承前の新元号公表は憲政初、出典は“万葉集”より採用。私は『良いな』と思いました。昭和、平成、令和、3つの元号をまたいで生きている事が、良いと思うのです。
庭の新緑が心を和ませる我が家に、真新しい仏壇が備え付けられました。この仏前で母と一緒に手を合わせられたら、と思うのですが、母は施設に入所しています。今どき、『古い』と言われそうですが、父母が私に、私達が息子に、息子達が未来に繋げていく事が出来たなら、障害者になってもどうにか親孝行が出来る気がするのです。

○5月7日
本日は検査通院。24時間の心電図の測定を行うことになりました。疲れが出ていたのか、左胸に違和感と、時おり動悸のような感じがあります。主治医より循環器受診の紹介状を介して検査することになったのです。測定器具を左胸の辺りにペタペタと貼り付けられ、そのまま1日を過ごします。

○5月21日
先日の検査結果を伺いに病院へ。結果は不整脈が多く、血栓が出来やすいなど、あまり宜しくないとのこと。元々頻脈だったのですが、そのことで不整脈が多く出るのでは?理解出来ないまま、1日3回の心臓の薬が処方されました。
私は既に多くの服薬をしていますが、常に痛みがある上に、この心臓の薬の副作用で吐き気や、怠さ、ふらつき、震えも…。肝心要である心臓のために『耐える』日々が続きました。
季節はまだ5月なのに35℃なんて日もあってムシムシする日が続く。一日中横になって過ごす日もありましたが、耐えました。変な話ですが、脊髄梗塞の苦痛に耐えてきたせいか、思いのほか打たれ強くなったようです。ですが、いつもそばで支えて下さる多くの方々のお力がなければ私は生活を送れなかったでしょう。感謝しております。

○6月4日
今日も暑い。30℃越えです。半年近くを費やし、ようやく父の納骨式にたどり着きました。お寺の境内は思いのほか広く、奥まった箇所にお墓が建てられました。
父のお墓までは車椅子で行くことは難しいようでした。行きは次男に背負われお線香を挙げて手を合わせ、帰りは長男に背負われ駐車場まで。父はきっと、その様子に苦笑いし、困ったものだと心配したかもしれません。でも、私はこの上もなく『幸せ』でした。ありがとう様。(*^_^*)

○6月18日
東北日本海側に震度6強の地震が発生。沿岸の地域では瓦屋根が落ちるなどの大きな被害がありました。私の友人も被災し、まさにその夜、津波警報が発令されたそうです。足元が見えづらい中での避難が大変だったそうですが、「今、裏山に避難している。」と興奮気味に連絡をくれました。みな無事とのことで、何よりでした。
災害は突然、誰にでも襲い掛かるもので、どう身を守るかが問題です。私は口が開けば「どうやって避難しようか。」と心配ばかりで。対策といえば、ベッドの枕脇に避難用バッグを準備していることぐらいでしょうか。避難訓練のようなシミュレーションには及んでおりません。…要支援者・避難困難者として、地域コミュニティーに一応は公表しましたが…。
先に私は、自分で車を運転して外出することを諦めています。自力で避難が出来ないのですが、だからといって『他人に迷惑をかけられない。』先輩方からは“情けない”と言われそうですが、今まで精一杯生きてきたつもりで、周囲のみなさんからも良くして頂きましたから、もしもの時は覚悟を決める選択肢があっても良いと思っております。

○6月23日
全国脊髄損傷山形大会が3日間に渡って開催されています。夫に願って、2日目の講義だけは参加させてもらうことになりました。高速道路を使った遠出は体調のこともあって1年以上ぶり。少し不安もありましたが、飛行機や、新幹線などで全国各地からはるばる参加された方が活発に発言されたり、イキイキと活動される様子に元気をもらいました。
"どうしたらあんな風になれるのだろうか?しかし、私の足は常にビリビリ、ギリギリと痺れて痛い。、ちょっと頑張ると体調を崩してしまう。同じような障害を持っていても、一人一人みな違うのでしょう。それに、病気と怪我でも違いがあるのかもしれませんね。マイペース、マイペースでしょうか。

○7月25日
令和初の参議院選挙、重度身体障害のお二人が比例区で当選されました。さっそく、国会議事堂内のバリアフリー化が行われるそうです。彼等の活躍が、障害者の抱えている多くの課題解決へと導いてくれそうで嬉しく、期待も膨らみますね。
それにしても暑過ぎる毎日。不思議と、暑くなると浮腫みが出てきて気になります。不全麻痺により下肢に落ちた水分が、循環不全によって戻る力がなく溜まるからなのか?そうなると余計に足の痺れ痛みがキツくなるのでシンドイ。
当選した方々はきっと、苦痛に耐えて活動していらっしゃるだろうな…と思うと、自分が恥ずかしくなります。ですが、比べてもしょうがないようで『痛い』と口にすることを控えるくらいでしょうか。『脳みそが勝手に、『痛い』を暴走させているから』、と思うことにして、自己暗示を掛けて笑顔でいるくらいが関の山です。

○9月5日
毎度のごとく、車椅子の調子が悪い。最近は、修理しても修理しても不具合に悩まされるようになりました。四六時中、車椅子かベッド上の生活。車椅子も、くたびれて当然かも。『車椅子マーク、お疲れ様。』新しい車椅子の購入を本当に考える時期に来ているように思う。しかし、身体障害者手帳の補助を申請しても簡単にお役所は承諾してくれない。おまけに、部品交換でしのぐように…と言う。『ハァ。(*´Д`)この後に及んでも…。』
どうにもならず、福祉用具店に車椅子の修理・クリーニングを依頼しました。運良く、代車に“例の”ハイテク車椅子をお借りすることになりました。ちょっとウキウキ!
しかし、アームレストが羽上がり型でないので、平行移動をするには体幹と腕力を上手く使ってプッシュアップし、アームサポートの上をお尻が越えなければいけません。これは大変そうだぁ…!と思っていたら不安が的中。平行移動が出来ず、困ってしまいました。
そこで、リハビリPT.OT.さんも加わり「車椅子と、移動する面を直角にセットして平行移動しては?」と、再チャレンジすると、出来ました。言葉で伝えるのが難しいですがこんなイメージ⇒例えば、車椅子→トイレへ移動する際に、車椅子を直角、『くの字』にセットして、←┘直角のイメージを描いて体をプッシュアップし、お尻を浮かせてみて下さい。車椅子とトイレの間に、今までの平行移動よりも空間が大きく出来ます。その分、体が前のめりに出来ることでアームレストを軸に、お尻が高く上がり、移動が可能になるようです。

あimg068

私にも、スポーツタイプ自走用のハイテクな車椅子が乗りこなせる脈あり、ということですね。

しかし、スポーツタイプの車椅子はお値段が張る。補助金が降りたとしても枠内に収まらず自費が発生しそうです。まずは補助申請が受理され、新しい車椅子が手に入れることを願いたいですね。
そんなこんなで車椅子の修理クリーニングが完了、ハイテクをお返しすることに。良い経験をさせて下さって『ありがとうございました。』またこんな車椅子とのご縁がありますように。

○9月23日
秋分の日。台風が次々に発生し、18号がやってきます。先の台風15号により、千葉県で大型・長期停電でたくさんの人が、大変な生活を余儀無くされています。ロウソクの灯りで生活されている様子をTVで拝見しましたが、自分だったら家を離れて避難生活するしかないなと思いました。とにかく、何事もなく通り過ぎることを祈っております。
所変わって、私の住む地域では稲刈りの真っ最中ですが、ブログ10段目をなんとか更新しました。力不足の私ですが、脊髄梗塞・障害者の為に何かお役に立てているだろうか。でも、病気・障害の当事者だから言えることを残していかなければと懸命に綴ったつもりです。
そんな私に何時も協力して下さるTさんには、『よく付き合ってくれているな~。』と感心させられ、とても有り難たく思っています。Tさんの貴重なお時間、労力を頂いてブログ『あした天気にな~れ!』は6年目になります。Tさん、みなさん『ありがとうございます。』

○10月1日
本日から消費税が10%に。食品等一部は8%に据え置きです。世の中に目をやると、いろんな物が便乗値上げしているようです。輸送料、光熱費等の高騰が原因だとか。ポイント利用も考えますが、なかなか使いこなせない感じです。私の医療介護サービスも、国からの補助費幅以上に値上りしたように思います。全世代型社会保障、将来の為ですか?と、無理に納得してみますが…。
今日は定期通院です。支払い額は特に変わりありませんでした。すこしホッとしましたが、生活は苦しくなってくるように思えてなりません。
消費増税分の財源で子育て支援、医療福祉支援等、そして国の借金に回されるそうですが、正直私にはわからないことだらけです。
一応、無い頭で自分事を考えてみますと、我が家の電気消費量は一日中家にいる私が一番消費しています。従って消費税を多く支払うわけですが、医療福祉サービスを利用しておりますから、サービス補助費の恩恵を多く受けております。持ちつ持たれつということでしょうか…。難しいですね。

○10月2日
秋晴れ、28℃越えの暑い日です。ヘルパーさんの介助を受けながら入浴しました。髪を乾かしている時に突然、多量の発汗、吐き気、震えに襲われました。そのままベッドに横になり、救急通院も考えましたが、家庭用血圧計で測定してもらうと数値は正常範囲。様子を見ました。その後は落ち着きましたが、こんな風に時々いろんな体調不良が出てしまって、その度に周りに心配と迷惑をかけてしまいます。出来るだけ体と相談して生活しているのですが、申し訳ないです。これが脊髄梗塞からくる後遺症なのでしょうか?
6年たっても、この先も、病気、障害と付き合っていかなければなりません。この病気の原因、治療の解明を、そこから病気の予防に繋げて行けたらばどんなに良いか。この想いが私のこのブログ発信のスタートでした。そして、両下肢不全麻痺になり、身体障害者となった身をもって、障害者への尊厳と自立が大切だと改めて思い知らされました。『自立のためには社会的理解、環境整備が必要!』と訴えてきたつもりですが、改善には多くの問題、バリアがあることを知り、悶々としております。まだまだ長い時間がかかるように思います。

○10月13日
大型の台風19号が、日本中を襲いました。15号・18号の復旧もまだまだという中、特別警報、避難勧告等が発令。東海、関東、東北と、日本中が我が身を心配せずにはいられなかったはずです。異常気象にも震える日本列島ですが、地球温暖化の影響が大きいとも言われています。自然環境の変化は、私の回りを見ても随分と変わってきていることから、無知な私でもうなずける気がします。
画面の向こう側はSF映画を見させられているかのようで、壊れた家屋や、家電、家具などがみんな泥まみれ。呆然と立ちすくむ方も…。ご家族の安否を必死に祈る方々の姿には言葉もでませんでした。私自身に被害が無かったことを、手放しに喜べないでおります。
しかし、下を向いてばかりではいけない。私の出来ることを考え、やってみています。備えあれば憂いなしでしょうか。
ペットボトルに水を入れ、邪魔にならないくらいの本数を冷凍庫に保管します。保冷剤の役目は当然ですが、停電時には凍ったペットボトルを冷蔵庫に移すことで温度の上昇を抑えます。氷が溶けたなら飲み水にもなります。ペットボトルにポカリスウェットのような粉末飲料や流動食を入れて冷凍するのも非常食になって良いかと思いますが、いかがでしょう?!

○10月22日
冷たい雨が降るなど、どうしても辛い思いが拭えないような…。今日は日本中が祝福ムードです。令和天皇、即位礼正殿の儀が厳かに執り行われます。そのご様子をTVで拝見しました。儀式の際には雨が上がり、虹もかかって感動的でした。儀式は滞りなく終えられました。天皇陛下・皇后様の祝賀パレードは11月10日に行われるそうです。災害に見舞われた方々へのご配慮とのことでした。
私は通院リハビリに出かけ、軽く体をほぐしてきました。最近は通院とスーパーへの買い物だけが私のお出かけになっております。月に5回程、1~2時間の外出とは情けないのですが、周りに迷惑を掛けず生活するにはこれで精一杯です。

○11月13日
2014年8月8日に退院。その翌月、9月から鍼灸マッサージの先生に訪問治療をしてもらい、かれこれ6年になりました。先生は最初の頃は1~2週間に1回程度、最近では状態が安定してきたことから月に1回のペースでした。治療方法がない私の病『脊髄梗塞』に対して、丁寧に向き合い、『どうにか出来ないか』と献身的に力を尽くして下さり、いつも感謝しておりました。先生のお人柄は、誠実、謙虚、華美なことを好まず、いつもお優しく凛としていらっしゃり、尊敬しておりました。
それなのに、この日の診療が最後になるとは。夢にも思いませんでした。次回の予約メモを託し、玄関で『ありがとうございました。サヨナラ。また。』と見送ったはずですが…。あれから1ヶ月後、年の瀬にこの世を去ってしまわれました。
先生は、『我が人生悔いは無し。』と残され、ご家族様に見守られながら旅立たれたそうです。心よりご冥福をお祈りいたします。
『精一杯生きること。』を、私に教えて下さり、大切にして頂きました。ご恩は一生忘れないでしょう。ありがとうございました。
令和元年は、その他にも身内や、お世話になった方々のご不幸が続きました。大変お世話になっておりながら、遠くから手を合わせることしか出来ないままにお別れしました。

○12月26日
沈んでいるところに、全国脊髄損傷者会の役員の方からメールが届きました。「貴方と同じ病気、脊髄梗塞で悩んでいる女性がいるので相談にのって欲しい。」とのことで、その方の年齢や身体の状態が私と似ているようでした。
普段は自分から発信しないのですが、同じ病気と聞いてよくよく迷った末、電話・メッセージを入れてみました。すると、その方から電話が入りました。意外と明るく、思いのほか話が弾みました。
メールでやり取りする中で、痛みと、床擦れで困っていらっしゃることもわかりました。しかも、お母様が入院しているため、お一人在宅で頑張って生活されているようです。『私に何が出来るだろう?』
自分の知っていること、経験したことをお話したつもりでしたが、何もお役に立ちそうも無い感じで…。無力感を隠せないでおりました。せめてお友達になれたら、お辛い気持ちにわずかにでも寄り添えられるかなと思い、時折メッセージを送ることにいたしました。
私も、ピアサポーターさんから何度も救われてきました。苦しんでいる私に対し、病気や障害を背追われながらも先輩のみなさんはなにかと相談に乗って下さり、励まて下さりました。皆さんには程遠いのですが、私も、少しでもそんなふうになれたら、と思っております

2019年、令和元年は多くの災害や、身内のご不幸もあり大変な年でしたが、過ぎてしまえばあっという間に思えます。脊髄梗塞7年生に、なんとか進級出来るでしょうか。

2020年は、どんな年になるのでしょうか?
年が明けてみれば新型コロナウイルス大流行で、昨年にも増して苦境続きのように思えます。この勢いで感染が進むと地球の隅々まで消毒されそうですが、歴史的に見ても、先人は幾多の困難を乗り越えてきたはずです。こうした人こそ『絞り出すように生き抜いて来た』のかもしれません。
多くの問題を抱えていますが、先人に負けないように東京オリンピック・パラリンピックを必ず成功させてくれると期待しております。
若輩者の私ですが『 あした天気にな~れ!』と、エールを送らせてもらいますね。
ありがとうございました。

2020年3月 ~マル~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?