"脊髄梗塞、懸命に生きた5年間を振り返りまとめてみました" (発症から急性期病院、リハビリ病院、在宅生活、補装具や在宅支援サービス、補助金の手続きまで~)
昨今度重なる災害に見舞われる日本国、いや地球全体。いつ、どこで、何が起こるかわからないという不安を抱いておられる方も多いと思われます。北海道地震震度7!突然起きた時には、いつ住む家がなくなり、怪我を負うやもしれないと不安になりませんでしたか?!
一方、中央行政では、障害者雇用水増しの不祥事が…。中央省庁の約8割におよぶ法令無視、「数会わせ」が横行していたと報じられ、ただただ驚き、ガッカリしておりました。健常者の方は何となく聞き流されたかもしれませんが、何も障害者だけのお話ではないように思います。災害は突然にやって来ますし、病気を発症するかもしれません。生涯で2人に1人は、『癌』になるとも言われていますね。
ですから災害に遭われ、今まさに苦しんでいらっしゃる方や、病気障害を追われている方へ、本当に必要とされている支援を早急に。行政の責任の元で、みんなの力を合わせ決め細やかな支援を推し進めて頂きたいと思います。
さて、突然の脊髄梗塞発症から5年目が経ちました。私が下半身麻痺となって車椅子生活を送っている姿に、誰もが不思議に思うことすら無くなったように思います。あんなに意味嫌っていた母でさえもが、私の足は車椅子なのだと、受け入れているようにさえ思えます。最近は、闘病中の体の不調の付き合い方にも慣れ、病気、障害に抗う自分を少し解き放ってみようかと思います。「世の中にはこんな人もいますよ!―事例その1―」みたいな感じでしょうか。
今回の9回目のブログは、5年間のまとめのような気持ちで『5年間の振り返りと、補足』として発信しようと思います。重複する内容があったり、訂正も多少あったりもしますが、『脊髄梗塞患者 事例1』として皆様の目にとまり、何かのお役に立てたなら、嬉しく思います。
1.脊髄梗塞とは
通常、椎骨動脈以外の動脈に由来する虚血から起こるそうで、症状は突発的な重度の背部痛、四肢の両側性弛緩性麻痺、痛覚と温感に特にみられる感覚障害。診断はMRIによる。治療は主として支持療法。
脊髄梗塞は脊髄の周囲の血管が詰まって組織が壊死する神経の病だと思う。
2.脊髄梗塞の症状(私の場合…)
発症は2012年12月5日、23時頃。2時間前まではピンピンしていたが、疲れを感じ仮眠をとる。その後トイレに行こうと目を覚ましたが、下半身が動かない、そして腰の辺りに激痛が走った。深夜救急搬送された時、意識ははっきりしていたようだが、腰の辺りを体の内側からハンマーで打たれたような激痛が走り苦しんだ。腰から下肢にかけて多少の感覚が感じられるが、両足が外側に放り出されたようにダラリとしていた。尿意もあるが、自尿が見られず、腹部はパンパン、病院に搬送されると、直ぐに尿管ホーレが挿入されほっとする。しかし激痛は、医師がいろんな投薬をほどしてもおさまらなかった。MRI検査、血液検査等色々行えど『病名不明、手術等も無理…』等と漏れる声が…不安なまま一夜をICUで過ごす事になる。
3.脊髄梗塞の症状(緊急入院後)
・症状は突然に起こり、両下肢の麻痺と、両手に多少のシビレもみられた。触れられている感じは多少感じるが、両足はだらりとしている。腰から、足の指先まで激痛がある。
・入院当初から四六時中、腰から下肢にかけて激痛が走り、体が全く動かせず苦しむ日々。昼なのか夜中なのか、痛み止めの効いている間に睡眠をとった感じだ。
・体温、血圧、脈拍等の調節も大変で、起立性低血圧にも悩まされた。中枢神経である脊髄は、体のバランスを司るためだろう。24時間継続点滴による治療、寝たきり状態が2ヶ月近く続く。食事は一週間目位に提供されたが、寝た状態(ラッコのように)で摂った。
(5年経過した今も、除圧の為に横になる。)
・両下肢の麻痺で普通の寝返りが全くできず、柵を両手で掴み腕力で多少の寝返りのような動きをしてみるも、ほとんどケアーさんによる全介助状態だった。
・常に腰から下肢に痺れ、痛みがあり、入院時から現在も痛み止めの薬を常時服薬。梗塞のための薬、副作用を抑える薬と、多くの薬を服薬している。
(4年目ごろより、痛みが少しずつ楽になった事で、痛み止め薬の量も減って来た。しかし薬の中身はほとんど変わっていない。)
4.入院生活について
■入院生活:8ヶ月間(急性期病院2ヶ月、療養病院6ケ月)
■入院中の体の変化(急性期)
2週間の継続点滴治療と、3~4時間おきに痛み止めが注入されるが、痛みと苦痛に耐え、薬の効いている間に少し動き、睡眠もとった。
寝たきり状態だったが、退院間際には車椅子等での端座が多少可能になった。
発病43日目位で血栓予防に履いていた、足の弾性ソックスが外れた。が、足の感覚がほとんど感じられないのに、なぜかシビレ、痛みはあった。
■入院中の医師の面談等
・休日以外は、毎朝10時頃に主治医からの回診があった。急患があったりで回診出来ない日でも、必ず時間を作って私の状態を見に来てくれた。「有りがたかった。」
・入院当初、医師から家族に「将来車椅子生活になるかもしれない。今は脊髄の腫れを取り、梗塞された部位が改善されるように点滴を行っている」と言われたようだ。
・病気について医師との面談。家族、私に脊髄梗塞という病気は珍しい病気で、これといった治療法がない。原因も不明だと説明された。
・医師より急性期病院では、2ヶ月程で転院になるが、脊髄梗塞を治療している専門病院はわからないと言われた。急性期病院からの転院先を、早急に決める事に迫られ、近くのリハビリ病院に転院することに決めた。
■入院中の痛み等
・腰から足先までビリビリ、足が突っ張る感じ。そんな体に、さらに針が数十本も刺されているように痛む。
・発病してからの痛みは来る日も来る日も、24時間ずーっと続いた。痛み止めの薬は最低3~4時間は空けなければいけないが、我慢できずナースコールを押してしまった。痛み止め薬剤も色々試したが、改善されなかった。吐き気もあり、耐えきれず薬で眠りに逃げ込むこともあった。
・痛みの強い時は特に血圧等が高くなっていたよう。(よく言われる『何処に身を置けば良いのかわからない』状態で、足が動かないことへ気が回らぬほどだった。)
■排泄
・搬送された時、尿意はあれど自尿(-)尿管ホーレ挿入(尿を出す医療機具)
・ケアーさんが1日2度パック内の尿量等を測定し、破棄。
・尿管ホーレの管に混濁尿、血尿が肉眼でも時おり確認されることがあり、膀胱洗浄、尿管ホーレの交換を看護師さんから、度々行ってもらう。そんなおり『リハビリを頑張るほど、体の動きに刺激されるようだ。』血尿が見られ処置を施してもらう。
・尿管ホーレを自分の体の一部と思い、管内の汚れや尿をパック内に流すケアーを自分でも行うようにした。「菌への免疫力を作るために、食事をしっかり摂るように」とスタッフさんより励まされた。
・尿から発熱等が出て、主治医より点滴で水分を補い体を助ける処置を施してもらう。免疫力をつける練習と、水分を取る習慣がついた。午前、午後で500mlずつボトルにお茶か、水を出来るだけ飲んだ。
■清潔保持(口腔、入浴等)
・毎食後にベッド上で歯磨きを行い、ガングルベース(うがい受け)に吐き出す。破棄はケアーさんが行ってくれた。
・朝7~10時頃、ケアーさんが使い捨てペーパー等で体の清拭を行ってくれた。出来るところは自分でも拭いたようだが、物足りなさはあったと思う。
・入院1週間後、ベッド上で手足をケアーさんから洗ってもらう。気持ち良くて嬉しかった。
・入院26日目、初ベッドシャワー浴をケアーさん2人対応で行ってもらう。居室ベッドに寝たまま入浴室まで移動し、ベッド浴に移動。入浴中に、シーツ交換が行われていた。「爽快だ、有りがたい。」と感謝した。
■入院中のリハビリ(急性期)
・入院1週間位には、足の状態を観察にPT(理学療法士)さんが訪室。挨拶され、足を触れられた感覚はあったが、全く動かなく、下肢の運動神経が壊れたようだった。
・常に痛みを訴えていたこともあり、マッサージを多く施された。車椅子に乗車するなど、端座姿勢を保つ練習も行ったが、それすら体力が持たなかったようだ。
・起立台でのリハビリ…体をベルトで固定し、寝た姿勢から電動の力で体が起立した状態まで動かすリハビリマシンに乗車。50度~60度位起立?急に背が高くなった気分がし、痛みが不思議に楽になるような?!足に過重をかけ、眠っている神経、筋肉等に刺激するのに良いらしい。実は、起立性低血圧の改善が目的だそうだが、入院中1度だけ体験した。
・トランスボードを使った移動移乗の練習…"トランスボード"という板のような物を使用してお尻をスライドする感じで、平行移動して車椅子に移乗する練習を繰り返した。『一人でおトイレに行けたら良いなー』と思った。…これが現在の在宅生活に繋がっていると思う。
・急性期病院の退院間際、入院中リハビリを少しずつ続けてご褒美を。全く動かなかった両足で、手すりにつかまり立ちすることが出来た。しかし、腕力とPTさんの力で一瞬だけ立たされたようだった。
(今もあまりその辺は変わりない。多少脚が曲がるが、立ち上がるための神経は残念ながら再生出来ないようで、歩く動作のスタート、立ち上がりが補助なしでは出来ない 。)
■入院生活はベッド上で
・ベッド周りは全柵。それでも足りず布団をグルグル巻きにして、柵の内側に布団の縁取りを付け加えて二重の保護。足の感覚がほとんどない私は、体の向きを変える時に柵を腕でつかむと上半身だけが向きを変えるので、下肢が柵に挟まる心配があった。が、ケアーを行う方は大変。ケアーの度にその二重の柵を外し、セットし直さなければいけない。大切にケアーしてくださった方々に感謝している。
・不自由な体を少しでも楽にと思い、電動ベッドをオーダーリース。ベッド周りは、手の届く範囲に小物類をセットして、小さなお部屋のイメージで過ごした。
(現在もそこは余り変わっていない、恥ずかしながら。)
・両手が使えたことは幸運で、ベッド上で食事等も自力摂取できた。
5.リハビリ病院へ転院
■リハビリ病院での脊髄梗塞の入院期間は6ケ月間と決めれていた。私の病気は特定疾病、難病に入っていないため、介護保険以外での医療保険で、療養型リハビリ入院となった。
■主治医、リハビリ、PT/OT、看護師、介護員、栄養士、薬剤師、相談員、そして事務局と様々な方が支えてくれます。
・急性期病院からの紹介状を介し、リハビリ病院医師からの診察があった。長い療養とリハビリが始まり、週1回の回診があった。リハビリは毎日午前と午後の2回、およそ1時間ずつ行われた。
・障害を負った私は、生活していくため障害手帳取得が必要となる。障害手帳の申請は、発病後6ヶ月を経てから申請。それから取得まで3ヶ月程かかる。手帳を取得すると様々なサービスが補助を受けて利用しやすくなり、在宅生活がしやすくなると、後に相談委員の方から説明を受けた。(例えば、私は障害者手帳を利用して車椅子を1割負担で購入し、現在自宅で使用している。)
・入院中は高額医療費免除の申請を行っていたが、入院が長期に渡ると思われたことから自分から4人部屋を希望した。(が、常にカーテンを引いて周りを閉ざしていた。その一方で毎日家族の面会を待ち焦がれていた。)
・リハビリ病院での入院生活は、下半身麻痺の障害を負った私が様々なリハビリを通して、体力アップや、生きる術を身に付けていく入院で、困難の連続となる。体調管理や薬の調節も大切だったが、多くのスタッフさん、周りの患者さんとのやり取りの中で、多くを学び、多くを得る事になり、入院生活全体が、社会参加へのリハビリテーションに繋がっていると思えた。
■リハビリ病院生活全体がリハビリテーション
・ベッド~起き上がり そして離床、活動へ。
・清潔保持 /排泄、口腔、入浴等。
・栄養/バランスの良い食事、水分を摂る。
・社会性/人との関わり、目的をもち在宅生活へ!病院以外の社会への復帰。将来の計画を立て実現へ繋げる。
・体の治療と調節/医師、看護師からの治療
・体作り
―手足の屈伸運動、体幹を鍛える。腕を使って平行移動動作(プッシュアップ)。上半身、肩、腕等の部位を鍛え、出来ないことを補う。
動かない足の筋肉、関節に刺激を与え、起立性低血圧の改善に、起立台でのリハビリ。
―車椅子操作 前進とバッグ、段差、ジグザグ移動、乗り降り。姿勢。車椅子を知る。
―緩和ケアー 痛みの緩和マッサージ、心のケアー。
―入院中の規則正しい生活から、生活スタイルを身に付ける。
―脊髄梗塞という病気は珍しいせいか、治療、リハビリマニュアルのようなものはなく、私の体調を見ながらの対処療法だったようだ。痛みの訴えが多いことで、痛みの緩和を目的としたマッサージも多く取り入れられた。
詳しいことはわかりませんが、私の身体の症状は、間接が緩く、筋肉が付きにくいそう。さらには、足の状態が左右で異なり、バランスが良くない身体だったようです。それもあってか右顎が外れたり、右膝折れがあったりで、リハビリの必要性があったようでした。現在でも、リハビリを怠るとすぐに不調になってしまう。
特に上半身のバランスが悪くなり不調が出てきます。(肩凝り、右に体が傾く、右耳がポートする感じと、右顎に違和感を感じます。そして何故か左臀部が痛くなり、左脚が突っ張た感じがあります。)が出てきます。そんなこともあってリハビリを重視し、足に荷重をかけるなど筋肉、骨密度の軽減に努めているところもあります。
■リハビリで出来るようになったこと。
・食事等を、ベッドから車椅子に離床して摂るようになった。
転院しても、初めの頃はベッド上にオーバーテーブルをセットして食べていた。体幹を鍛え両足で床(車椅子フットサポート)に接していられるようになり、車椅子に乗車した状態でオーバーテーブルをセットし、食べれようになっていった。
・ベッド~ポータブルトイレに移動。ベッド~車椅子に移動。
プッシュアップ移動を行うために、腕、体幹の筋力アップのトレーニングを行った。床の上で体操選手が逆懸垂をしている姿を想像して欲しい。足を伸ばしその状態で、自分の上半身の体重を両手で持ち上げるトレーニング。そして床、面をプッシュアップして、上半身をスイっと浮かせて移動する事で移動が可能になる。
■リハビリDr.回診 四つのお話
1、ベッド上の生活→車椅子上の生活へ自立。
2、離床時間を長く保つために体力をつけよう。
3、血液のこと(白血球値が低い)は様子を見る。心配しないように。
4、薬を多く服用、少しずつ減らして行きましょう。
■リハビリDr.回診 リハビリの最終目標のお話
1、体力アップで病気の治療を。
2、目標をもち、残存能力を最大限に利用。
3、サービス等の利用と、環境を整える事で在宅生活を可能にしよう。
■リハビリ病院での生活
・転院しても最初は、痛みと、動かない体のため全くの寝たきり状態。リハビリ室に行く為に、2階から1階へ徐々に出るようになって行くが、時間が掛かった。
・ベッドに腰掛け、足を床に落として端座になり、オーバーテーブルをセットして食事を摂る。最初は両足で体を支える力がなく、体を前に倒す動作は頭から床に倒れる危険があったし、現在も何かに手をつかないと前のめりは出来ないが、体幹を鍛えた事で可能になった。そして最近気づいたが、麻痺した脊髄ではなく、手で触れることで脳に指示が入り麻痺した動作を補っているように思う。
入院3ヶ月位で車椅子に乗車しオーバーテーブルをセット、作業ができるようになる。
・入院5ヶ月を過ぎるとベッド浴(トロリー浴)からチャーア浴にステップアップし、少しずつ生活が改善された。
・麻痺した足の変わりに、車椅子へ。不安定な膝下の保護に、両膝下補装具を使用。
・入院中はほとんどベッド上か、居室で長い入院生活を送る。(本を読んだり、TVをみて過ごすが、時間をもてあます。)
■リース枠がない障害者福祉用具サービス
・障害者サービスには、介護サービスにはあるリース枠がないので福祉用具を全て購入することになる。
・障害者の多くは、身体手帳を利用して市町村に申請を行い補助を受けて福祉用具を求めていると思う。
・障害者は、その人に特化した補装具を利用出来ることはとても良いことだが、申請には様々な取り決めがあり、手続きにも日数が掛かることが難点だと思う。また、リース枠にはある定期点検等が障害者サービスに無いことは、補装具を体の一部としている障害者にとって困ることが多い。
・私の場合を例にあげると、両下肢の補装具(約11万円)車椅子(約20万円)ポータブルトイレ(約3万円)入浴キャリー(約10万円)。その他にベッド、ベッドマット、移動バー…等々(数10万円)→障害者手帳を利用し、それらを1割り負担で購入したことは、大変有りがたかった。
■両下肢補装具について相談
・両下肢不全麻痺の私は、プッシュアップで移動する時などに床に落とした足首等がグラグラしたり折れたりする心配が大きかった。神経が鈍い下肢の保護に、医師より補装具を付けリハビリをするように指示された。
・下肢に補装具をつけ、リハビリが板についた転院から3ヶ月が過ぎた頃、理学療法士(PT.)さんと相談して足の先からふくらはぎにかけて、補装具を作ることになった。
・障害者手帳申請中(最低3ヶ月を有する。自己負担1割)でまだまだかかる。社会保険(会社傷病休職中、自己負担3割)対応の方が早く、補装具を使用出来るために、退院後の在宅生活を考えて補装具購入費、100,500円を社会保険利用で購入した。
■両下肢補装具を作るための測定
・技師が直接リハビリ病院に訪問され、測定が行われた。サランラップを膝下から足先にかけて巻き、その上に石膏のようなクリーム色の物を足に巻く。少し固まった所で型を外して終了。思ったより簡単で、私はSサイズだった。
・1ヶ月後くらいには完成した補装具が届いた。ふくらはぎの後ろ側にプラスチックで脛を覆い、足底が施され、脛の横にベルトが3本、マジックテープで取り付ける形です。
■補装具としての車椅子
・車椅子は私の足代わりなので、体に合った車椅子を作る計画。しかし、車椅子生活に実感が持てずにいたが、これは大切な作業だった。
・半年以上乗車して知ったのだが、座巾、高さ、重さ、タイヤの大きさや、羽上げ付き、フットサポートの取り外しや、背もたれ、座面クッション、カバー....。それら何一つ取っても、わずか1㎝違っても車椅子に乗車した感じが違う。活動範囲に関わるので十分吟味して欲しい。
・障害者手帳は申請中だったが、高額なので手帳を利用して一割負担で購入予定。手帳が取得されたところで市役所に補装具として申請を行い、購入する。退院間近なので早めに準備を行う必要があった。しかし、測定等は何度も行われ、月日が掛かることに。
■障害者認定調査
・H18年4月から再施行された障害者自立支援法
1、障害保健福祉の総合化
2、自立支援型システム決定の仕組みの透明化、明確化、必要性「障害程度区分認定調査」という心身状況に聞き取り調査を行う
3、認定並び受給者証の交付、障害支援区分や介護する方の状況、申請者の要望等によりサービスの支給量が決まる。
・私にも病院に障害者支援専門員が来院され、認定調査が行われた。
目標を立て、その目標を現実的に在宅生活へ繋げるサービス計画が作成されていく。
1、体調不調の改善
2、車椅子での座位生活動作の安定
3、転倒防止
・個人的には、IADL「家族の食事を作ろう」という目標を持っていたが、周囲は体調面を心配していたようだ。
※IADL(Instrumental Activities of Daily Living ):買い物、料理、掃除など、幅広い日常生活を送る活動、動作のこと。
■調理の計画立てリハビリから→在宅生活での目標「家族の食事を作ろう」と思う。
・調理の計画立てリハビリから見えたもの。キッチン下に空間があり、車椅子が入り込める形。車椅子は、キッチンに対して垂直に向かわないと作業しにくい。手が届く50㎝位までの範囲を越え度に、移動する。
・手を洗うだけの作業でもこんな感じ→①ブレーキを外す②バック③横に切り変える④前進⑤キッチンに垂直になったらブレーキをかける。⑥水道の蛇口を操作⑦手を洗い拭く→こんな感じで多くの作業を繰り返す事に。(手を洗う、器具類をセット、食材をセットし洗う、食材を切る、熱を入れたり、冷したり…。これを繰り返す。時間が掛かりすぎるし、重い鍋類を持ち上げるのは難しい。一番困るのが、高い所に手が届かない…。
問題は多いが、何とか在宅で自分の役割を持ちたい。立てた目標『家族の食事を作る』を実現したいと思った。
■総合病院への通院(在宅生活へ繋ぐ医療ネットワーク)
・リハビリ病院入院中でも、定期的に総合病院へ通院していた。退院間近になった頃、掛かり付け医に繋ぐために、主治医から紹介状を頂く。
・珍しい病気(脊髄梗塞)だったことと、総合病院に神経内科、麻酔科(ペンイクリニック)があったことで在宅生活に移行しても通院が可能となり、安心した。
・本人の同意を得た場合には医療機関同士でネットワークを働かせてくれることが多いが、医療―福祉―行政を結ぶネットワークはまだ力強さに欠けていると思う。是非、関係機関内のネットワーク構築に期待します。
■障害者自立支援サービスと病気脊髄梗塞の課題
・難病、特定疾病にも属さない脊髄梗塞を発症した私は、障害者自立支援枠内でのサービスを利用する事に。利用できると期待したサービス(通所リハビリ等)が受けられず、訪問サービスが主で、利用量も少なかった。
・地方ではバリアフリー化が遅れがちで、車椅子生活の私は一歩外に出るとバリアだらけ。障害者トイレしか利用出来ぬ身であること等、なかなか外出もままならず社会参加は難しかった。
・障害者の中では、65歳問題(利用料、サービス内容等)で悩んでいる方も多い中で、私の場合は障害者自立支援サービスよりむしろ、65歳から利用できる介護保険の豊富で濃密なサービスの方に魅力を感じてしまう。病気、障害により問題点は違うようだ。
■障害を負っても自分で始末が出来る排泄手段として、災害用使い捨てトイレを!
・在宅生活になったら夜間はポータブルトイレの使用を考えていたが、災害用使い捨てトイレのサンプルを、福祉用具担当者よりいただいた。入院中にサンプルを使って夜間の排泄実験を行う。漏れなくキャッチしたことから、まず一ヶ月分、30枚の使い捨てトイレセットを4,500円で購入した。
※災害用使い捨てトイレ:ポータブルトイレに紙おむつを敷いて排泄するイメージ。使用後ゴミとして棄てる
・実際の在宅生活では半年以上このセットにお世話になり、自分でそつなく始末が出来て家族からも好評だった。値段は高額だったが、無事ポータブルトイレも卒業。今は災害用として在庫を保管している。排泄への自立は大きな自信となった。
・現在の排泄手段は、障害者トイレでの自力排泄だが、毎日下剤の服用は欠かせない。それに頻尿の為に、外出が制限されてしまう事が多く、予め障害者トイレの有無を確認して外出している。
6.在宅支援サービス等の手続きと調整
■障害者自立支援サービスを具体的に調整
前述の通り、障害者手帳を取得申請中。その後、相談員から認定調査が行われ、サービス計画書が作成されていく。
・訪問リハビリ:週一回、一時間、訪問ヘルパー:週三回一時間程の入浴介助、訪問看護:週一時間。こんな感じで計画が作られる。
・入院中、リハビリ病院内や外出先の自宅で担当者会議が数回開催された。当人、家族、医師、サービスを担当する福祉用具、リフォーム、訪問看護、訪問リハビリ、訪問ヘルパーの担当者が集い、私の在宅生活をバックアップすることになった。
・体調管理を一番に考え、体の痛み、不調、転倒防止などを医師、看護師、リハビリ担当者から。入浴はヘルパーさんから支援してもらうことになった。サービス利用の手続きがあり、夫には負担を掛けてしまったが、在宅生活での安心が得られた。
7.リハビリ病院退院後の在宅生活(病気、障害者の大きな目標)
・脊髄梗塞発病から8ヶ月間の入院治療リハビリを経て、在宅生活が始まった。退院はしたが、痛みと、吐き気を伴う体調不良、両下肢不全麻痺からくる不自由な体、苦悩な日々が続いた。
・入院中から在宅生活への目標を『家族の食事を作る』と決めていた。家族と相談し、私の活動に関わる範囲でのリフォームが完成したところで在宅生活が始まった。このバリアフリー環境がなかったら、今の生活には至らなかったと思う。実際、1歩外に出ると自由に動く範囲が極端に狭まられ、介助が必要となる。
トイレ、自室、台所をバリアフリー&フローリングに改修してもらった事が、目標を後押ししてくれた。今でも感謝している。
■目標、活動の場を外に向け、『自家用車を運転したい』と車の運転等に力を入れる方も多いようだ。
人それぞれの思い、体力の可能性、保有予算、置かれた環境等で目標は違って当然だが、ぜひ実現化して欲しい。また予算が無くても、周りの協力を得ながら工夫して生活されている方も多いようだ。
■台所のリフォームなど(環境整備で電気料は加算したが、目標である『自力での家事』を実現する)
・自宅をバリアフリーにリフォームする際、バス、トイレ、自室のリフォームを重点に考えていた。それに加えて家族の中で私に役割を持たせ、目標の実現へとキッチンを改修した。今でも有りがたく思う。
・キッチンは、椅子に座った時に手が届く高さで、下は車椅子が入り込めるように空いている。安全性を重視してIHを取り付ける。鍋類の調理器具、材料等の調味料は、最低限度にキッチンの上、手の届く範囲(50㎝位で)にセットする。
・冷暖房は、車椅子のタイヤ回りの安全面を考慮してエアコンに変えた。冷蔵庫等は使えそうなのでそのまま使用した。(右ききなので右開き。その日の食材を家族から、下の方に置いてもらう配慮を)
・洗濯機は元からドラム式。車椅子の人でも手が届き、干すのが大変な私は乾燥機を使用した。(洗濯機の上や、かご、自分の膝の上も洗濯物を畳んだりする作業場となる)
■料理(私の料理はIADL…目的のある作業)
・最初は食器類の洗い物から練習した。エプロンをしてみたが、それよりも膝の上にタオルをのせた方が物を載せて移動、作業するのに便利と知った。手は、ハンドリングを回したりするので使えないことが多い。
・車椅子の人は移動する際に、常にハンドリング、ブレーキ等の操作が必要。ハンドリングは、手であり、司令塔でもあるようだ。いつもの調理に、車椅子操作がついて回り、切り返しに苦戦する様子をイメージして頂くとわかりやすいかもしれない。だから何をするにも時間が掛かる、まして座った位置から重く、熱い鍋類を持ち上げることは容易でないので、自己流の調理手順が出来たようだ。
―例 ほうれん草のおひたしを作る。
洗いながら硬い茎と、柔らかい葉の部分に分ける。
鍋に硬い茎を入れ、浸る位の水を張り、火にかける。(通常は沸騰したところに、茎の部分からほうれん草ごと入れ湯がく)
軽く沸騰したら、葉の部分も加える。
塩をひとつまみ入れて、サッと湯がく。
鍋のほうれん草をザルにあけ、冷水で流し水切りをする(あくがキツい時は水にさらす)
軽くほうれん草を絞り切り揃える
お好みの調味料で合えて完成…。
これだけの調理に私は、人の2倍の時間が掛かる。鍋を持ち上げるのが大変なので、出来るだけ軽くするために水分量を最低にする。ハンドリング、ブレーキを車椅子の切り返しの度に繰り返すため、その度タオルで手を拭く。ハンドリングが滑ったり、汚れないようにするためだ。ほうれん草のお浸しを料理するだけで、さながら車椅子卓球で、フットワークをとっている感じかもしれない。
■掃除、買い物、衣類
・リハビリ病院を退院して3年が過ぎた頃には、フローリングの掃除にチャレンジした。クイックルペーパーを右手に、左手で車椅子のハンドリングを回して移動。何となく掃除が出来るようだ。アルコールペーパーでの拭き取り掃除は、手軽に出来るので便利だ。
・しかし、行き届いた掃除が出来るわけではない。浴室はもちろん、重い物の移動や、高い所の掃除は、家族やヘルパーさんにお願いしている。
・生活する上での、最低限度『衣食住』は、家族、ヘルパーさん等の、支援を受けて成り立っているので、大変有りがたいです。
・買い物はほぼ夫が担っていたが、最近では夫の休日に合わせて私もリハビリを兼ねて社会参加。この頃では楽しみになっている。しかし、北国の厳しい冬季間は最低限度の外出にならざるを得ないのが残念だ。
・衣類について、上着は大よそ既存の服が着れるが、肘を着く事が多いので半袖よりは七分袖が良いようだ。ズボン等の衣類はゴムの物。脱ぎ着しやすい物がほとんどだ。長さ、幅は、ゆったり目だが、当然車椅子に引っかかるような物は危なく避けている。足元は、感覚が余りなく、また足に痛みがあるので、夏でも靴下は必需品になっている。
■交通手段(移動手段)
・両下肢麻痺の不自由な身、移動手段は生活の質を左右する上で重要です。
入院中から移動するために、自家用車の運転を視野に入れたリハビリを進め手動での車の運転にこぎ着く方も多いようです。
・しかし私の場合は、体力面からハードルが高く、家族の思いからも『家事を少しでも補って』ほしいと。 その為自宅のリフォームに力を入れ、リハビリ等は在宅生活での体力面に置かれた。
よって移動手段は家族対応が主。そこで負担を少しでも減らそうと介護タクシー等の利用を考えた。私の住む街での介護タクシー利用は、ワンメータ690円+介護料510円で、毎月の通院には片道1,740円掛かる。市からタクシー券を頂くが、5回の通院往復分しか賄えない。その他の買い物等の外出は、夫が担っているが、将来のことを考えると不安になる。(私の住む市からタクシー券が、年に一度申請が通ると、500円券が、最高36枚までもらえる。もしくは本人名義の車に対してガソリン券がもらえる)
・公共交通網の利用には、TV.、新聞、ネット等にもいろいろと問題が出ているようだが、心身の不自由な障害者、体調に心配のある人にとって、公共交通網の整備は大切です。2020年東京オリンピック、パラリンピックも近い。官民一体となり早期整備を進めてもらいたいです。
8.補装具(医療福祉用具、補装具は体の一部)
・両下肢麻痺のある私は、両膝下~足先までの補装具を使用している。
・リハビリ病院に入院していた頃、理学療法士と福祉用具店担当者が病院に見え、補装具(車椅子)の手続きについて説明された。障害者手帳を取得したところで市役所に申請。申請が通ったところで採寸する。可動域等を調べてその人に合った形を踏まえて業者に依頼する。車椅子が出来上がるまでに大よそ3ヶ月~半年を有する。代金は一括払い、後日公費から9割支援される。実際、自分の車椅子は半年以上経ってから自宅に届けられた。
・これら公費補助金額にも上限額があり、それを越えた分は自費となる。他にベッドや、移動バー、ベッドマット、入浴キャリー、シューズ、クッション等も購入したので、申請して補助を受けられたことは大変有りがたかった。
・より良いADLの向上を目指すために、自分の体の一部である補装具には様々な支援の利用を前提として多くのスタッフさんと相談をされる事をお勧めする。
■車椅子の到着(車椅子は体の一部)
・リハビリ入院中から半年近く、待ちに待って私の足代わりとなる車椅子が届く。座巾は小ぶり、色は濃紺をベースに、アームレストは羽上がり、フットサポートは着脱可能で平行移動を助ける。座りっぱなしのお尻を保護するロホクッションも一緒に。私の分身ともいえるオンリーワンの車椅子です。
・しかし、在宅生活を続けて行く中でオンリーワンだった車椅子が、使用目的、体の変化等で不具合も出ている。それでも、再申請するに6年間使用しなければいけないという法的括りがあったり、車椅子の価格等の問題もあり、苦戦した。模索する中で、何をするにも自分がどうしたいのかを考え、あるもので代用、工夫する事で生活が広がると支援を受ける中で知ることになる。
9.サービスの注意点
・例えば、障害者自立支援サービスとして週3回1時間ずつヘルパー訪問の利用を受けていたが、暑い日が続いたのでサービスを増やしてもらいたいと相談する。
→支援区分があり、枠内の使用の追加等は相談員を通して役所へ支援枠変更の許可を得る必要があるとのこと。サービス区分以上等のトラブルにならないように注意したい。
・主に医療サービスを利用しているが、常に医師の指示書(意見書、同意書)が必要で、毎月、3ヶ月、6ヶ月に一度の頻度で役所へ提出が必要です。私は1人で外に出ることが難しいので、手続きはすべて夫が担っていて、とても大変な作業になっている。大切なことではあるが、手続きの負担は大きいと思われる。
・他のサービスでも、ほとんどが役所へ申請し、認められて初めて補助が受けられるようだ。また、有効期間があるので注意し、更新申請を行って下さい。公費により支援が受けられるが、障害の度合い、所得の有無で個人負担があり、免除、一部負担(一割、二割、三割等)、全額負担が発生するので生活の為に計画性が必要だと思う。
・遠慮がちな方は不明な点を曖昧にしがちですが、遠慮なさらず最寄の市町村等の窓口で相談して欲しいと思う。
10.通院
・月に一度など、定期的に通院されている方も多いと思う。辛いこと、困っていること、服薬についてなど、そして今後の生き方までも相談してもいいと思う。聞きたいことをメモして行くのも良いと思うし、次回の通院日等の予約は忘れないで欲しい。
・私の場合は、神経内科と麻酔科(ペインクリニック)に月一回通院している。麻酔科のドクターから(痛み専門医)、常に痛みの訴えがあることから「痛み止めの効き目が悪いと思われる。」と言われ、薬の再確認、調節が行われる。しかし、秋になり寒くなったのを期に低体温気味で、手足が冷たく体がだるく感じたこともあって、再び薬の変更をしてもらうことに。痛み止めの多くは解熱剤にも使用されることから、体温を下げていたようだ。この時は大幅な薬の変更になったが、私の体には有効だったようで、少しずつ体が楽になっていった。
体調の変化が多いこともあって神経内科主治医より「体力が無いようだ」 とも言われた。ドクターの指示で「地域でのリハビリを行っては?」と紹介状を頂くが、病院側の受け入れが難しく、通院リハビリが実現するまで3年ほど待つことになった。しかし、医師や相談員の協力があって、現在は月に1~2度通院リハビリを受け、体力維持に繋がっている。本当に感謝しています。
→こんな感じで、医師や、支援を行って下さる多くのスタッフさんとの良行な関係が、病気、障害者には大切なことだと思う。
・またセカンドオピニオンという、掛かり付け医師以外の医師、医療機関での診療も可能ですので色々と検討しても良いと思う。
11◆補助、助成等の手続き(先にも触れているが、病気、障害、災害等の中で生活を送るために欠くことが出来ない大切な手続きです。堅苦しくなるが目を通して頂きたいです。)
■都道府県市町村等の窓口に申請し、支援してもらいます。
医療費の助成、生活費の保障(税金が安くなったり、免除)、保険福祉手帳、身体障害者手帳、公共料金等の割引など、多くの助成があります。これらは全て手続きが必要で、多くは1年ごとに更新手続きが必要。申請には月日が掛かるので注意して下さい。
■自立支援給付(障害(児)者):介護給付、訓練等給付、自立支援医療、補装具、地域相談支援給付、計画相談支援給付は、市区町村に申請、認定してもらう。
専門性の高い相談支援、公域的な対応は、都道府県が担います。2013年からは障害者の他に難病の方も認定され、認定調査は80項目に渡り調査されます。
■サービス利用にあたり、中には認定調査が行われる。
サービス担当者会議が支援専門員により調整され、担当者が集ってサービス内容が作成される運びです。そこで私達、病気を患っている者、障害者、高齢者は安心して生活が出来るようになるのだと思う。
・脊髄梗塞は特定疾病に入っていないため、福祉サービスより医療サービスを多く利用しているが、福祉サービスの方が様々なサービスがあるようだと知る。
・重度心身障害者医療証、地域相談支援受給者証、ときには身体障害者手帳も年一回の更新手続きを行う。訪問リハビリ等の医師からの同意書、意見書等は月に一度、若しくは半年に一度の申請を行う必要がある。私は1人で外出できないから、これらの手続きを夫に代行してもらう。役所は休日は開いてないので、手続きはより大変なようだ。
・脊髄梗塞は、医療保険でのサービスが多い
訪問看護、訪問リハビリ、鍼灸マッサージ、通院リハビリ(受け入れが難しく、利用期間が決められているので注意)これらすべて、各医療機関の意見書、同意書が必要ですから注意して下さい。
■薬の調整
・薬の調整は、当然だが入院中から在宅生活中、数えきれないほど調節が行われている。
私の希望で薬の全体量を薬の数で調整し、成功したことがある。私は、季節の変わり目、天気の変わり目に体がついて行けず不調になるのが常。その不調の感覚を『車酔いと、痛みが一緒に体に襲ってくる感じ』とドクターに伝えると「それは大変だ」と話された。そんな時は痛み止を服薬して、ジーとベッドで休むしかないが、これがキツイ!
それでもどうにかてんこ盛りの薬を減らしたいと常々思っていた。しかしどうしても外せない薬ばかりの中で、薬の個数を増やし、薬の全体量を”1カプセル50mg×1錠→1カプセル25mg×2錠”といった具合に減らしてみた。痛みが楽な時は、25mg×1錠にするなど調節する。これは担当ドクターとの信頼関係により、話し合いから改善されたと思う。退院間際は痛み止めを200mg以上服薬していたが、現在は75mgまでに減量されている。
・お薬手帳を利用して、薬剤師さんとの相談はもちろん、多重服薬等のトラブル防止、副作用で困っている方、呑み忘れ等のトラブル予防等。ぜひ薬剤師さんとも信頼関係をつくられると良いと思う。
12.在宅生活4年目の現在(脊髄梗塞5年目)
■活動
・外出することで、体力維持、気分転換を。夫の休日に近くのスーパーに日常品の買い物に出かける。
・月に1~2度、通院リハビリで外出。体力維持や家族以外の人とのコミュニケーション。
・趣味でブログ作成、病気脊髄梗塞、障害者への理解を訴えているつもりです。
・障害があっても、可能なかぎり役割をもつ!
入院中から家事をしたいと思い、自宅をリフォーム。家族の協力で、在宅で少しずつ 、食事の支度、洗濯、手の届く範囲での軽い掃除を行っている。これらは今の私の生きがいになっていると思う。
・友人、家族からの暖かい支援を受け、この思いを大切に思い、病気障害があっても、少しでも役に立ちたいと毎日食事を作っている。
■サービスの利用(福祉、医療)
利用料は年々高くなり、区分内での利用ではサービスを削る必要が出ている。実際この2~3年で、サービスを1~2割減らしている。また、ケアーを行う職員の確保が大変な様子が感じられることから、将来に不安を感じている。
・毎日自己流リハビリを家族と協力して行い、硬縮予防、筋力、骨密度の低下予防に努めている。
・月に1~2度の通院リハビリで、体力維持と外出(夫の送り迎え)
・1日おき1時間程、訪問ヘルパーさんから入浴、清潔保持
・週1回1時間、訪問リハビリさんから、リハビリにて体調の観察、維持を。
※リハビリが週にダブらないように、削ったり、鍼灸マッサージを取り入れたりして、週1回は、専門のスタッフさんからのケアーを受けるようにする
・障害者支援専門員から、サービスの更新申請の手助けと相談、福祉用具担当者から補装具等の提供、修理を随時対応してもらえていることから、障害を負っても何とか生活が出来ていると思い、感謝している。
終わりに
私は、入院中も、在宅でも外に出ることが難しいせいか、窓枠から見える、額縁の中のような四季折々の風景を眺めては心を癒しておりました。そのせいか家に飾ってある、雪をかぶった山並み、故郷の絵がとても気に入っております。まるで窓越しの風景のように見えてくるのです。
病気や、事故等で障害を追われた方々にとって、精神的ケアー、支えがどれ程の力になっているであろうと思うに付け、支えて頂いた皆様に心からお礼を申し上げます。
最後に、9回目のブログは堅苦しい内容となりましたが、脊髄梗塞発症から5年間を振り返り、修正や補足等も加えてまとめてみましたが、何かお役に立てて頂けたならば嬉しく思います。また素人である私の内容には、色々と不備もあると思われます、お手数ではありますがご連絡いただけると有りがたく思います。
次回は、問題点と言えば大げさですが、困っていることなどを掘り下げてみようかと思っております。が、今度がいつになるのか?……またということでご勘弁頂きます。ご傾読ありがとうございました。
2018年11月吉日
マルより
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