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小説 冷やし中華

 母はよく冷やし中華を作った。一年中、いつでも。母は季節感を忘れたように、冷やし中華を作った。季節を忘れてしまったかのようだった。

「好きなものを、好きなときに食べる。これが一番の幸せでしょ」
 母はそう言った。

 僕はテーブルの上に置かれた皿を見た。そこには色鮮やかな冷やし中華があった。
 冷やし中華って、なんで冷やし中華なんだろう。ふと、母に尋ねた。小学生の頃だったように思う。母はもちろん、そんなことは知らずに、ただ好きだから食べる、その主張を繰り返した。

 時々、思いついたように「夏に食べるとさっぱりするから冷やし中華。体を冷やし中か?ってこと」などと言ったが、その一方で、「冬でも冷やし中華を食べると、背中がピンと張る気がする。背筋が冷えるから冷やし中華」などと季節ごとに様々な言葉を生み出しては、子どもを納得させようとした(とても納得できるものではなかったが)

 中学になって、母とはあまり話さなくなった。あまりうまく話せなくなった。
 言葉をうまく伝えようとしても、なぜだか言葉は重力を振り切って、見知らぬ方向へと着地してしまう。うまく、自分を扱うことができなかった。いつも、いら立っていた。言葉の上で、気持ちの上で僕らは疎遠になっていって。

 遅くに帰ることもあった。ある日、日をまたいで帰った。夜の1時くらいだったと記憶している。夜まで遊び歩いて、疲れて帰ってくる。そんな生活が続いた時があったのだ。

 リビングへ向かうと、食卓には冷やし中華が置いてあった。なんで夕食に冷やし中華なんだ。僕は母の感覚には違和感を覚えたが、全部食べた。お母さんの味だった。もちろん、市販で売ってる奴をそのまま説明書通りに作っただけだ。

 それでも、おいしかった。懐かしい味がした。
 適当な時間に帰っても、いつも夕食は作ってあった。テーブルの上に、当たり前のように置いてあった。中でも冷やし中華は一目をひいた。光の下、いくつもの食材の色彩の妙が僕を惹きつけた。

 大学になってから、祖母に聞いた話なのだが、祖母もよく冷やし中華を作ったという。家族にとっては思い出の味のようだ。祖父が生きていた時代、家族三人で食べていた味。

 僕は祖父に会ったことはない。僕は生まれるよりも前に亡くなってしまった。その頃のことを、母は思い出しているのかもしれない。記憶を紡ぐ味。それが、冷やし中華だったのかもしれない。

 久ぶりに実家に帰った。郊外の街並みは静かだった。ここにあるのは暮らしだけだ。それ以上、どんなものがこの街に必要だろうか。

 母は僕を笑顔で迎えた。東京はどうだ、と言った。問題ないよ。僕はそう答えた。
 昼ごはん食べよう。母はそう言った。

「今日は、僕が作るよ」
 と僕は言った。僕は鞄の中にこっそりと入れておいた冷やし中華の袋を取り出した。作る、といっても誰でもできる。

 しかし、母の息子は僕しかいない。母に冷やし中華を作れるのは僕しかいない。

「ああ、そう?」
 と母は言った。そのままテレビをつけた。お昼のワイドショーが始まった。母の顔はどこか柔らかかった。

 さてと。僕は、台所へ向かった。
 好きな時に、好きなものを食べる。母の言葉をなんとなく理解できたような気がした。

 好きな時に、好きなものを食べる。そして、食べさせたい人のために、作る。それでいい。それで十分だ。
 さあ、取り掛かろう。あまり、相手を待たせてもいけない。


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