小説 灯台
灯台が立っている。力強く、岬の上に。
僕と真也子は灯台を見上げていた。
コンクリートの土手に波が打ち付け、しぶきを上げた。
昔、ここに美しい浜辺があった。海の家がいくつも並び、海水浴を楽しむ人々で溢れていた。幼い頃を思い返すと、蘇るのは浜辺に連なる海の家であり、そこを行き交う人々の笑顔ばかりである。
小さい頃、あの灯台へ行った。小学生の頃だ。
真也子も一緒だったと記憶している。彼女は遅れて、僕だけが一人で先に到着した。
灯台はとても大きかった。首をぐっと上げて、見上げなければならなかった。
少し遅れて、真也子が来た。彼女は、少し涙ぐみながらやってきた。
「一人で先に行かないでよ」
と彼女は言った。
「まったく、とろい奴だな」
僕はそう言った。彼女は頬を膨らませて僕を追いかけてきた。
あれから、十年経つ。
「昔、灯台一緒に来たことあったね。小学生の頃かな」
と真也子は言った。
僕らはこの村で育った。振り返ると思い出が鮮明に蘇る。
近くには港があって、土手には何人もの釣り人が来て、釣りを楽しんでいた。港はずっと工事が続いていた。護岸工事を行っていたらしい。
護岸工事が進む中で、浜辺はどんどん少なくなっていった。
工事をしたせいで、潮の流れが変わって、そのせいで波が砂を全部持っていっていくのだと村の人は言っていた。
その言葉の真偽は分からない。ただ、結果として、波はどんどん海岸を浸食していった。そして、とうとう浜辺は無くなった。
浜辺が消失してから、ほとんどの人が海の家も閉めた。真也子の祖母も経営していた海の家を閉めた。
それからしばらくして真也子の祖母は、病でこの世を去った。
僕らは高校卒業後、お互い東京の大学へと進学した。
また、会おうね。
そんな言葉を交わしたけれども、会うことはなかった。
なぜだろう。新しい自分を都会の中で見つけたかったのかもしれない。理想に燃えていた。可能性を探していた。凡庸な、自分なのに。背伸びして、新しい自分を見つけようとしていたのだ。
過去を切り離し、未来を見ようとしたのだ。そんなこと、できるはずもないのに。
波が砂浜を削るように、時間も僕の心を削った。生活のためにバイトをいくつも掛け持ちしなければならなかった。僕は何をしに東京にやってきたのだろう。時折やってくる疑問を必死で振り払い、懸命に働いた。
就職活動の時に、真也子と再会した。ある会社の説明会で彼女を見つけた。
はじめ、二人は言葉を探しながら話した。記憶の向こうに隠された思い出を引きずりださなければならなかった。しかし、すぐに打ち解けた。
二人の中には昔と変わらないイメージが残っていた。そのイメージを足場に、二人はすぐに過去の二人に戻ることができた。
僕らはすぐにお互いを好きになった。恋をするのに言葉はそれほど必要なかった。僕らは再会した。そして、恋をした。海のように広いこの町の中で。
僕らは互いに互いを必要としていたのだ。大切な人を。変わらない時間を。
ある夏の終わり、僕らは村へ向かった。
海へ向かい、灯台を見た。小さい頃から、僕らの側にあった建物だ。
村の時間は止まっているようだった。あるのは海と山と、過去の記憶だけだった。
浜辺はもう姿を消した。
海は青々とした狂気を大地へと向けている。僕らが駆け抜けた、あの浜辺はもう記憶の中にしかない。
真也子が僕の手を握ってきた。僕も力強く握り返した。
海がどれだけ大地を浸食していっても、僕らの記憶は消えない。
「そういえば」
真也子が言った。
「何?」
「あなた、昔私のこと灯台のところで、とろい奴って言ってばかにしたよね?」
真也子がいたずらな笑みを浮かべた。猫じゃらしをいじる子猫のように。
「覚えてないな」
と僕は言った。
目の前を、小さな僕らが走っていったような気がした。
昔の、僕らだ。
コンクリートの土手の足場に波が打ちつける。
迷ったら、この場所に来ようと思った。
灯台は、その役目を終えても、思い出としてそこに凛としてあり続ける。
それが僕らを未来へといざなう光なのだ。
冷たい風が吹いた。もうすぐ、秋がやってくる。
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