五感も喜ぶお香習慣 #清潔の毎ルール
パナソニック社の主催するお題チャレンジが面白そうだったので、真正面から取り組んでみたいと思う。
ナノイーXという「水」のポテンシャルをもとに人々の住空間を快適にする技術をエアコンや空気清浄機、ドラム式洗濯機に搭載し人々の健康を守ろうとするクリーンテクノロジーからのお題。
コロナ禍も経験し、家に帰ったら手洗いうがい、外出時にはマスクをするようになったりと健康と清潔について考える機会は増えた。
それらの習慣は健康でいるために良いのだろうとは思いつつも、必ずしもそうとは言えないケースも出てくる。手を洗う頻度やマスクを交換する頻度が悪いと手荒れが起きたりマスクにばい菌が繁殖し逆に体調を悪くするなどネガティブなことが起きる。
健康や清潔って何?という定義が揺れ動く中、清潔って何だろうをみんなで考えそれぞれの考えるアイディアを出し合うことでより具体的な定義とアクションを見つけようというのが本お題の背景にあると考える。
私が考えた健康や清潔との向き合い方は、結局自分たちが、喜べる空間を作ること。私にとってはそれがお香習慣となっている。
清潔って何?を意識し始めたきっかけ
意識し始めたのはコロナ禍で見かけた公衆トイレでのハンドドライヤーの張り紙である。
↓これである。
手をきれいにするための機械がなぜ不潔なものとして扱われているのだ?
手を洗い清潔になった濡れた手を、菌が付着する前に早く乾かすために生まれたであろうこのハンドドライヤーが不潔な機械として扱われていることに猛烈な違和感を感じた。
清潔と不潔の境目がわからなくなった経験であり、時代や人の認識によって清潔という概念は変わってしまうのだと気が付いた瞬間であった。
清潔についての考え
清潔についての私の考えは文頭に書いた通り、「自分たちが喜ぶ空間づくり」である。
これが本章の結論なのであるが、その考えに至った経緯と喜ぶ空間づくりが何を意図しているかについてもう少し書かせていただきたい。
清潔などの概念は人によって時代によって違う。
先日書いた箸置きに関する話とも通ずる。
平安時代などでは箸を使って神に食事を献上するところから箸置きが誕生したが、今でも箸を清潔に保つために箸置きは生き残っている。
当時良いと考えていたものが時代を経て別の文脈をもってして良いものと考えられる例は往々にしてある。
その逆もしかりである。
先に挙げたトイレのハンドドライヤーも時代によっては不潔なものとして扱われている。
他にも大自然。山などはマイナスイオンが出ており清潔なものであるというイメージがあるが、花粉症の人にとって春先の山は大敵である。
花粉症の人にとっての春山はアレルギーウイルスが蔓延している不潔以外の何物でもない場所である。
私の妻も花粉症であり、春先は山に近づこうとしていない。私は花粉症ではないので春でも山に行き新緑の緑を楽しんだり小川を眺めたりして楽しんでいる。
体質以外にも文化圏によって清潔の考えは違うこともある。
海外を旅行している時に気づいた不潔のとらえ方に対するエピソードがある。その国では買った食べ物のごみをそのまま路上に捨てていたのである。日本では路上はきれいにしようと歩きたばこの取り締まりが行われていたり、シンガポールではポイ捨ては罰金の対象である。しかしその国では数年前までバナナなど自然に帰る食べ物を歩きながら食べる習慣であったのでポイ捨てに対してそうした不潔の概念がない。
このように清潔と不潔の境目は人によって時代によってとらえ方によって変わっていくと考えた。
そうした中で得られた気付きとしては、不潔から逃げる姿勢ではダメだということである。
マスクをしたり手を洗ったり不潔なものを防ごうとすることはもちろん大切であるが、何が清潔で何が不潔であるかを考え不潔から逃げようとするその考え方では限界があると。なぜなら時代によって人によって、とらえ方によって概念が違い正解は移り変わっていくからである。
不潔から逃げるではなく、自分たちが心地よい空間を作る、5感すべてで快適と感じれる状態を目指す。それが一人一人にとっての清潔への向き合い方なのではという考えに至ったのである。
回りの意見や科学的な清潔の定義を聞くのはもちろんであるが、それだけが正解ではなく、結局何が正解かわからない以上、自分たちが心地よい空間を作る。その理由も含めて考えていく。それが私の清潔への想いである。自分の周りのいう清潔が必ずしも清潔の正解であるわけではない。自分にとって周りの人にとって実践する中で心地よいと思うものがその人たちの清潔なんだと考える。
かつてSteve Jobsが言ったように、自分にとっての正解は不思議とすでに自分が知っているということと通ずる。
お香をたく
そうした直感に従った結果自分として始めたことは、お香をたくことであった。
空間の中に、いい香りが立ち込め、煙の揺らぎにリラックスし、火をつける動作に集中できる時間が一種の瞑想のような瞬間となっている。また灰の処理に関してもそのまま肥料に使えたりしていろいろ考えなくて済むのも良い。(空気清浄機だと水を抜き忘れると雑菌が繁殖する土壌となってしまうのでちゃんとケアしてあげる必要があり少しめんどくさい。)
またお香をたくようになってから知ったことであるが、お香には虫よけの効果に加えて除菌効果もあるらしい。確かに雨の多い東南アジアの地域でお香文化が根強いことを考えると納得がいく。
科学的にも効果があり、デザイン的にも5感も癒してくれるお香習慣。これが私の清潔についての向き合う習慣となった。
これから「清潔」とどう向き合うか
ここまで書いてきて、改めて自分の清潔との向き合い方についてまとめてみたい。
清潔は、時代とともに移り変わっていく。上に挙げた事例のように人によって時代によって、とらえ方によって変わる。
しかし、その中でも変わらないものもある。手を洗う・うがいをするなどは自分を清潔に保つ一つの変わらない習慣である(公衆衛生の概念が発達した以降で、という前置きはあるが。)。
そうした不変的なものは取り入れつつ、結局は自分たちが気持ちよい、過ごしやすい空間を作ることを続けていく。それが私の清潔との向き合い方である。
科学的な湿度管理や温度調整がされているだけでなく匂いや視覚でも心地よいと感じる空間。もちろん科学の力は偉大である。その力なくては今日の快適な生活はできない。が、人間として一人一人が気持ちよく暮らすにはそれだけではない。
数値化しにくいデザインや美意識の領域も取り込んだ科学技術。そうしたものが出てきたら私のお香生活はお香生活ver.2に進化しますます快適な生活を送れるようになると考える。
以上。読んでくださりありがとうございました。
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