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揃わない前提の授業とクラス

こんにちは。
ましゅまろの会 はやちょです。 今回のましゅまろトークは、読書会でした。とてもいい会でした! note、長くなりました。すみません!

  • はじめに

 「子どもと共にある教師でありたい」これは、私が学生時代から変わらず思い続けていることで す。最初は、「子どもに寄り添える教師でありたい」、「反発されたくない」というような漠然としたものでした。

 しかしながら、10年弱の教員生活の中で、生徒指導はもちろん、授業や学 級経営、行事等、様々なことに対して子どもと共にあることを意識してきたことで、子どもと共にある(子どもと共につくる)という自分の教師像が具体的にイメージできるようになり、それに近づけている実感も少しずつ高まってきています。

 このような教育観をもっていましたので、子どもを管理する、必要以上に揃える(学級内で、 他学級と)ことへの抵抗感はなんとなく感じていました。子どもの思いや子どもらしさを大切にしたい、自由にのびのびとした雰囲気をつくっていきたいという思いで、子どもたちと向き合ってきました。

 しかしながら、教員になり始めてからの数年は、理想と現実のギャップに苦労しました。特に 1年目は、「のびのび自由に」と「わがまま」を子どもたちに勘違いさせてしまったような学級経営になっていました。また、周りの先生との軋轢?のようなものも生まないようにという意識も自分の中に生まれてきました。

 様々な失敗を経て、やはり、揃えるべきものは揃える、管理的な指導が必要な時もある、管理・ 自由、揃える・揃えないの二項対立ではなく日々悩みながら子どもと共に過ごしていくことの中 に正解がある、このような考えに至りました。

 しかしながら、ここ数年で「多様性を大切にする」という言葉が社会でも学校でも叫ばれるよ うになり、再び自分の思いが揺らいでいます。「やっぱりここは揃えよう、指導しよう」と考えて いたことに対して、問い直しが今迫られているように感じるのです。

 そんな中で企画された今回の ましゅまろの読書会。「揃わない前提の授業とクラス」という本を読んで考えたことをいつもの ように熱く、でもやわらかく対話したのですが、さらにもやもやした気持ちが高まってしまいま した笑 そのもやもやを整理するために、アウトプットしてみたいと思います。
 
 読書会の話題や概要を伝えるという内容ではなく、自分本位な文章です。ご了承ください。


1.何を揃えて何を揃えないのか


 「揃わない時代に揃える」「教室の揃えたくないことと揃えたいこと」という見出しが本の中にもありました。自分自身、何を揃えて何を揃えないべきか、今一度問い直しが迫られています。本の中にも出てきた事例をもとに、自分の考えを述べたいと思います。

○登校後の朝の支度が終わらず時間に間に合わない。授業開始時間に遅れる。
 しっかりとできている子を損させたくないので、遅れている子がいても気にせず集団の活動を始めます。ここで悩むのは、遅れている子を指導するかということ。

 自分はやはり、時間を守るということは大切だと考えるし、そこから教室が荒れていってしまうんじゃないかという不安があります。頭ごなしな指導ではなく、子どもに寄り添いながら、改善を促す指導はしていくように思います。

 これを新年度の最初からするか、少し様子を見てからするかということも悩ましいです。最初に指導してしまった方が、「この先生は許してくれないんだ」と子どもが感じ、正しい行動が強化されるように思う反面、いきなり変えるのは子どもも辛いかな・・・ 子どもの様子を見ながら少しづつでもいいか・・・ とも思ってしまいます。

 本の中には

・授業開始時に遅れる児童がいても細かく声をかけない。
・それを「荒れ」と結びつけて考えない。
・朝の会が始まる時間でも空席が目立っていたが、放っておいたらと自然と  
 減っていった。

 こんな記述もありました。このようなお考えの先生方もいると分かり、やはり悩みます。みなさんはどう思われますか?

○姿勢

 これは、読書会でも話題にあがりました。「グー・ペタ・ピン」のような言葉だけを伝え、児童を管理するようなことはしたくないと自分は思っています。

 朝の会や授業で私が前に立って話し ている時も、ビシッとした形だけの姿勢を要求することはありません。大切なのは、「話を聞く」ということであり、聞き方(その姿勢)はビシッと揃える必要はないと考えています。

 ただ、 本気で伝えたい大事な内容(生徒指導的な意味でも、授業内容的な意味でも)の時は、良い姿勢で目線を話しての方に向けるよう指導します。
 
 阿部真也先生の著書で、「心と体は繋がっている」という記述で話を聞く際の姿勢の大切さについて書かれたものを拝見し、それには納得したからです。

 みなさんは、姿勢ついて、どのように考えていますか? また、私自身がビシッとした姿勢で聞くことを必要と感じなくても、ゲストティーチャーの話を聞く時や全校での集会時など、学校では、しっかりとした姿勢や集団行動が求められる機会が少なくありません。その時だけやろうとしても子どもはなかなかできません。姿勢や集団行動にお いても多様性を重んじるのか、教室で多少の練習(ビシッとする経験)を積ませておくべきか、こちらも悩ましいところです。いずれにしても、学校としての共通認識が大切なような気がします。

○授業

 自分がこれまで担任した学級では、出会った4月当初、授業中に折り紙をする、本を読む、このような子どもの姿に出会ったことがありました。今の時代であれば、タブレット端末をずっとかまっているというような行為も同じような行為としてあり得ると思います。
 
 私の場合、授業中の私語は当然指導します。周りの子の学びの妨げになるからです。その一方で、授業中のいわゆる内職は、他の人に迷惑がかかるわけではありません。
 
 しかし、学びに向かっていない、良い姿とは言えません。自分の場合、4月の最初の頃は、ある程度放っておきました。そして少しずつ、机の 中身を整理して学習環境を整えたり、その子と話をしたりしながら少しずつ改善していきまし た。結果的に学習態度にある程度の改善は見られましたが、1年経っても十分とはいえない状況 でした。年度当初にしっかりと指導していれば、またその子の様子は変わったのかなあとも思うのです。

 本の中の齋藤暁生先生のページは、「私語、内職、スマホ、教室外にいってもOK!」という見出しで始まります。学びの主体は子ども自身にあり、学ぶ・学ばないということすら主体性に関わってくるということで、学ばないということも認めていたそうです。

 しかし、そういった姿もだ んだんと減っていくと書かれていました。 中嶋先生のページでも、「私の授業では残念ながら、1時間ずっと私語をしている生徒やタブ レットをいじって終わる生徒もでてきます」と述べられれています。そして、「それが生徒のリアル な学びの実態であり自分の授業の現在地でもある」とも書かれています。

 内職しているその子が本気になる学びは何なのか、どんな手立てが必要なのかということに心を砕き、自身の授業力を高めていくことはもちろん大切ですが、「授業中がまんしてやるべきことをやる」ということを子どもに要求しなければならないことも自分の授業では少なくないのが現実です。(こういった状況への打開策として、「自由進度学習」や「学習の個性化・個別化」が叫ばれているのだと思いますが)

 今後、個別最適な学びがより一層充実していく中で、学習規律と いう言葉の意味や児童の授業態度への指導が変わっていくように思います。いずれにせよ、授業では何を揃えるのか・何を揃えないのか、すっきりしません。みなさんは、どう思いますか。

2.周りの先生との関係性が揃わないことを阻んでいる


 揃えることが前提の学校で、揃えることが正義のように考えている先生は、まだまだ多いように感じます。

 「先生のクラス見に行ったけど、みんなビシッとしていて素晴らしいね。」こんな会話が職員室でも聞かれます。もちろん、児童の安全安心を保障したり無用なトラブルや問題行動を減らしたりするために、環境を整え揃えるべきことを揃えることは大切だと私は思います。

 自分のクラスの子どもたちが揃っていない状況の時に、私が気になるのは、教室を巡回してくる 校長先生であったり、ふらっと教室を眺めながら廊下を通り過ぎる他の先生方です。
 
 揃えていない時に自分が恐れているのは、「学級の荒れ」よりも、「他の先生の目」なのかもしれません。 クラスで問題が起こったりすると、「先生のクラスはもう少し規律を意識した方がいいんじゃない?」というような声が飛んでくることを恐れているのだと思います。

 このような現状を変えていくには、対話により互いの思いを共有することが必要だと考えます。周りを気にせず自分の教育観を貫くことで学級づくりはできますが、学校づくりはできませ ん。考えや教育観を共有し、互いを認め合い、それぞれの先生が自分らしさを発揮して子どもたちと向き合っていくことが魅力ある学校づくりにつながっていくように思います。

 しかしなが ら、教育観や経験も様々である学校の職員集団の中で、自分の思いを伝えていくことには大きな ストレスを感じてしまいます。こんなことを話すと変な目で見られるんじゃないか、忙しそうにしているのにこんなことを話して迷惑にならないか、そんな不安もあります。働き方改革もあり、 そのような対話をする機会自体もほとんどありません。どのようにこの状況を打開していくか、 考えていきたいと思います。

3.おわりに


 以上、今自分が抱いている悩みや葛藤を述べさせていただきました。揃える・揃えないという 問題は、正解がなく、難しい問題だと改めて感じました。

 本の中の田中博司先生の言葉を借りると、「多様性を大事にしたいという思いと、同調性やまとまりを大切にしたいという思い、二つの評価基準が存在している」のだと思います。そして、それが子どもたちに対しても職員集団に対しても存在しているのです。

 もうすぐ始まる2学期。少しでもできることからチャレンジしていきたいです!

はやちょさんのXは下記リンクから⬇︎

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今回の課題図書⬇︎


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