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闘病記(1年前)2021年3月

※2021年3月上旬に書いた記事です。
アメブロからNOTEに移行中。


2021年3月9日。

関東から実家の奈良に来ました!

偶然にも
昨年の3月9日に、
長く療養生活していた実家から、
関東の自分の家に戻りました。


1年間が過ぎたわけです。

昨年は
喜んで意気揚々と
自分の家に戻ったわけではありませんでした。

まだまだ心身不調な状態での決断でした。

長く実家で両親と暮らしていたので、
とても寂しく、
新大阪駅の新幹線のホームまで
母親が見送ってくれましたが、
泣くのを必死で堪えてました。


東京駅まで息子が迎えに来てくれてました。


新幹線の新大阪⇄東京間くらいは、
普通に平気で乗ることが
できるようになってました。


向精神薬を飲み始めて、
何故だか
1人で新幹線含め乗り物に乗れなくなってました。


いいようのない不安感に襲われる
ようになったからです。


挙げ句の果てには、
パニックを起こすようになりました。

新幹線に乗る時は
頓服薬を飲む有様でした。



当時は
自分は「心の病気」だから、
そのような状態になると思ってましたし、
家族もそう思ってました。


違ったんですねぇ。

向精神薬飲のせいでそうなってたのです。

薬は、
当初はいいのですが、
耐性がつくからか、
逆に牙を剥いて、
マイナスの作用をもたらすようになります。


不眠はもっと酷い薬剤性不眠になるし、
不安は、もっと酷い不安になる。
パニックはもっと酷いパニックになる。


今から思うと

私の脳は、
薬により
ドーパミンやらセロトニンやらGABAやら、
ノルアドレナリンやら、
神経伝達物質がぐちゃぐちゃになってた


思います。


自分の家に戻ってきましたが、
昨年の日記を読むと
2020年3月は、

不眠なので朝早く目覚めてはいるものの、
身体がつらくて午前中はベッドに
引きこもってることが多く、

一日中パジャマで過ごしてる日も多かったです。

そして
当時1番悩んでたことは

「認知機能の低下」でした。

離脱症状で「認知機能の低下」を訴える人は多いです。

私も酷いものでした。


昨年の日記
3月11日には、
このように書かれてました。

「自分の頭がパーになってるのが悲しくて、
1人で泣いていた。
脳がなんだか変で痺れてる感じがする」


実際に
脳がビリビリしてる感覚もよくありました。

手足は未だにビリビリ痺れてますが、
きっと脳も痺れてたと思います(笑)

認知機能が低下したまま、
戻らなかったらどうしよう。。。


この心配と恐れは本当に恐怖でした。


認知機能は、
ほぼ問題なく戻ったと思います。

でも
さらに何年間も向精神薬を飲んでいたら、
どうなったかはわかりません。

人間を人間にしてるのは、
脳だと思います。
その脳がやられたら、
もう自分でなくなったようなものだと思います。



今でも時々、

精神科の閉鎖病棟に入院してた時のことを、思い出します。

そこには、
認知機能がやられたような患者が
たくさんいました。

あの人達どうなったのでしょう。

当時、
私はみんな病気だから、
あんなことになってる。

自分も含め思ってました。

でも
今から思うと、

みーんな
薬で鎮静されて認知機能やられていた
んだと
思います。

悲しい病棟でした。


椿。
絞りが入ってるような変わった色合いでした。

東京駅構内。
こんなお店初めて見たような、、、

でも、昔からあるそうです。

全国の駅弁が売ってます。
見ていて超楽しかったです!


選んだのは
平泉のウニご飯弁当💕

頓服薬飲んで不安に震えながら新幹線乗ってた私ですが、

断薬して
1年半経った今、

新幹線乗って
窓から景色眺めながら、
駅弁食べてテンション上がるわー!
富士山最高!

って
感じです。

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