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人生を味わう食事の話


生きる為に必要なエネルギーは「人の笑顔」でも「幸せな瞬間」でも「悔しさや妬み」ではなく、「食べ物」のエネルギーですよね。

摂食障害になって、回復期を経て心も体も健康になった今も食事の有り難みと大切さを日々感じています。


健康について、ではなく「食事とは?」を書いていこうと思うのですが、食事に対する考え方って人それぞれ違うのが面白いなと思うんです。


ある人は、生きる為の必要なエネルギーだけを摂る行為と捉えてバランスより「効率」を考えて栄養食といわれるものをコンビニでストック買いして、朝昼夜食べる。みたいな、食生活の人がいます。

元彼は運動部で「運動の為の体」として自分の体も生活も軸は運動。食べるものも、運動に活きるものを選んで食べる。彼は体質的に痩せ型なので増量しなければならないという焦りから寝ながらパスタを啜っていました。

私の父はレストランのオーナーシェフ。生まれて初めて怒られた記憶は「食事の作法」について。初めての家族の思い出は「レストランの食事」行きつけのお店になり、祝い事や家族の集まりは必ずその店の食事と共にした。食に囲まれ育ったそんな家族で私の人生。


そんな私は食事はただのエネルギー源ではなく「思い出」とも捉えている。例えば、サイゼリヤのミラノ風ドリアとドリンクバー。中学生でお金が無かった私はバス代として貰った500円玉を使わずに最寄駅まで徒歩で向かい、ヒソヒソと貯金していた。その500円玉で食べられるものが、サイゼリヤのミラノ風ドリアとドリンクバーだったので放課後の思い出はサイゼリヤなのだ。

原宿によく遊びに行った。けれど "ちょっとお茶でも" なんていっても600円以上はかかるし、"ご飯でも" なんていっても1000円くらいが相場の原宿。中学生には到底払えない金額なので、竹下通りの入り口にあるマクドナルドの常連客だった私。ポテトやドリンクを頼み3時間は居座った。(今は迷惑と思われるかもしれないけど当時はそういう学生で溢れかえっていた)

これを、大人は「栄養のない食事」と呼ぶ。私も両親に叱られていました。「家でご飯を食べなさい!バランスが悪い!」などと。

ファストフードを食べるのを健康に害だとして遠慮する人々もいるが、安くて早くて美味しいの三拍子が生活にとっては貴重とする人もいるんだ。人それぞれのライフスタイルに結びつく食事はどんなカタチでもいいと私は思う。

何より、食事というより思い出に近いようなもの。学生時代のいろいろな愚痴や悩みを1番側で聞いていたのは、ミラノ風ドリアとポテトMサイズだった。

高校生になり、アルバイトができるようになったら多少の余裕が生まれて飲み食いの幅も広がる。おしゃれなカフェに行ったりするのも楽しかったけれど、スタバのフラペチーノを飲める事が至福だった。毎月新作は必ず飲むし、学校帰りに「勉強しよう」という" 程 "でスタバに行き、教科書は開く事なく口だけ開けて喋った思い出。

丁度あの頃、「タピオカ」がブームだったのでゴンチャに1時間並んでいた時もあった。並んだからこそ美味しいみたいな事もあって、並ぶ事で一味加わり、タピオカは美味しかった。


一人暮らししている友達は「手料理」が食べたいと言う。よく私の実家に来るのは私に会いに来るのではなく、母の手料理を食べにきている。今では手軽に美味しいものが食べられる世の中なのに、やっぱり誰かに振る舞ってもらう、誰かと食卓を囲んで「美味しいね」と言いながら食べるご飯は、お金では買えない絶品飯なのだと思う。

他の人の家で振る舞ってもらう料理はどれも美味しいけれど味噌汁、白米、何をとっても「家庭の味」があってウチとは違う味。母の手料理が恋しくなるのは、母しか作れない味噌汁があって、母しか炊けない米があって、だから恋しくなるんだと実感する。

これは、コンビニでも高級レストランでも味わう事ができない特別な美味しさと、一緒に味わえるのは「思い出の温かさ」だと思う。

学校で辛い事があった時に、何も言わなくても私の大好きな肉団子スープを作ってくれた。運動会の日の朝はカツ丼を作ってくれた。小学校から給食になり、遠足の時だけお弁当になった。私の母は「キャラ弁」を作ってくれる。箱を開ければ皆んなが「わあ!」と言うような、もはや料理ではなく芸術に近いキャラ弁を、4時前に起きて作ってくれた。母のくれた思い出の味は、この私を作ってくれた。



生きる為の食事には違いはない。どれも食材を切って湯掻いて炒めて揚げて、組み合わせたもの。シンプルだ。

でも、そこに思い出が加わる事で食事はただのエネルギー源ではなくなると私は思う。思い出を味わう、人生を噛み締める。


摂食障害になる前、ダイエットを始めた時頃から母の手料理を食べなくなった。思い返せば一緒にご飯を食べなくなってから両親との距離もできた。何気なく「いただきます」と言って食べ始めて、今日一日の出来事や、明日の予定を話すだけなのだが、それがコミュニケーションになっていたんだと気付いた。

回復期、色々と食べられるようになった私に母は黙って肉団子スープを作ってくれた。何年振りかも忘れたが、母の作った肉団子スープは、辛かった私を包み込んでくれる味。色々な思いが沸いてきて、母と泣きながら食べた。

栄養バランスだとか、カロリーだとか、数字やら健康を指す基準は人それぞれだけれど、それぞれに思い出があってライフスタイルがある。それぞれが、そんな思い出を噛み締めて、味わって「美味しかった!」と思えるなら、私はなんだっていいと思う。

そんな気持ちを忘れないように、今日は私が肉団子スープを作ることにする。


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